【御伽話】天使のための階段

──わたしはその石工の言葉を聞いて、階段を登ることを決めた。いや、もともと決めていたのだけれど、登る前にその言葉が欲しかったのだと思う。

 ガイドの語る言葉には嘘がある。そして口伝にはブレがある。そぎ落とす過程で何を取りこぼし、何を拾い上げるかは、語る者のまなざしがどこを見ているかによる。ガイドのそれは、天使の彫像のグッズを売るためのセールスだ。だから私は、生の口伝を聞きたかった。

 私はを聞けただけで充分。


「登るな危険・落下死者多数! 眺めるだけにしてください」


 大きな字で書かれた文句を眺めまわして、それから何重にも張られたロープを跨いでいく。階段は人の背丈ほどの穴で、それが螺旋階段のように石肌に穿たれている。

 人一人通るのが精いっぱいの幅。そして女の私でも、わずかに背を屈めなければ通れない小さな穴。掘る苦労を考えればこれが限界だったのだろう。クヴェルはそう背が高くなかったと聞く。

 しばらくすると、階段の幅が広がり、天井も高くなる。気合の入ったこの掘りはおそらくマリオットだ。好きな人にいいところを見せたくて、必死に頑張ったマリオットだったけれど、最後は身から出た錆の性病で死んでしまった。つくづく哀れな男だ。

 そして、マリオットの次の世代から、手分けして階段が掘られていった――。


 階段は長く細く続いていく。私は一段一段を踏みしめながら、高く高く昇っていく。下は見ない。見たら、私もぺしゃんこになってしまうに違いない。

 階段を天まで掘りぬいたとされるフェルダン・ステアビルドは、最初に「ぺしゃんこ」になってしまった一人だった。それ以来誰も登ることがなかった天使のための階段は、掘りぬいたフェルダンを除いて誰にも踏破されることないまま、未踏の地となっている。

 フェルダンの姉、彫刻家のロゼッタは、弟が死んだ翌年、天使のために彫像を掘った。美しい天使が子供を抱いて微笑んでいる像――それが、やがてこの地の名物のひとつ「天使の彫像」になる。

 そして天使は。天使は……。


「……父さん、母さん」


 空気の薄い空の上で、私は両腕を広げてみる。下は見ない。私はかつての母さんとは違って翼をもたない。かつての父さんのように落ちて死ぬわけにもいかない。ただ、この景色を見たかった。雲の上は果てしなく広く、はるか下に人々の営みが小さく見えた。母と私の像は真下だから、見えない。どこまでも透き通る空気の中で、私は飛び回る天使の幻影を見た。それは両手を広げた自分の姿が、目の前の雲に映りこんだだけだったかもしれない。でも私はそれを、母さん天使だと思った。


「ここが空なんだね。空なんだね」

 私はつぶやいた。

「私、空に来たよ、父さん」





 昔々、天使の娘がおりました。

 天使の娘には翼はありませんでしたが、彼女の中には空への望郷が息づいていました。そこで天使の娘は、ステアビルドというある男が立てた「天使のための階段」を登ることに決めました。飛べない天使が登ったところで、意味をなさない階段です。しかし、天使の娘はそこで、天使を見ました。

 悠々と空を行く天使は、やがて天の国へと姿を消しました。天の国は、遠いところにあるのでした。天使の娘はつつがなく階段を降り、その風景を、絵本に残すことに決めました。……私は「彼女」から聞いた言葉をそのまま、作品に込めます。


――エンゼル・ステアビルド著『天使のための階段』あとがきより

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きざはし 紫陽_凛 @syw_rin

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