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「これにて、我ら三組の〈紙の幻獣展〉は終了です。みんな、お疲れさまでした」

 時間はあっという間に過ぎた。通路を形成していた段ボール製の仕切りを取り払い、幻獣たちを壁際に寄せただけの教室で、目黒さんが宣言する。どっと拍手が起こった。

「まだ後夜祭のキャンプファイヤーもあるので、最後まで楽しみましょう。みんな、本当にありがとう。おかげで、素敵な学校祭になりました」

 クラスメイトたちが各々、教室を出て校庭へと向かっていく。最後に居残ったのは、目黒さん、あたし、霧積さんの三人だった。

「目黒さん、行かないの」と霧積さんが尋ねる。「もしかして片付けを気にしてる?」

 問われた目黒さんは、窓際に立ったままでかぶりを振った。「ううん、ちょっと人を待ってるの。一緒に踊るって約束したから」

 こともなげに発されたその言葉に、あたしと霧積さんはぽかんと唇を開いたのみだった。一瞬、空気が変容したような気さえした。

 相手は――やはり曽我くんだろうか。そういえば彼はついさっきまで、やたら複雑な構造の紙の鎧を着込んだままだった。あの格好のままでは踊れまい。彼が着替えるのを、目黒さんはここで待っているということなのか。

「あ」外を眺めていた霧積さんが、不意に声をあげた。あたしの肩を叩き、「あれ」

 キャンプファイヤーの灯りに向けて歩いていく人影が目に入った。途端、あたしは思わず仰け反りかけた。

 まさにその曽我くんだったのである。しかも隣にはあたしの知らない、おそらくは一年生の女の子が寄り添っている。単なる先輩後輩、という距離感では明らかにない。

「じゃあ誰が」

 と言いかけた瞬間、音を立てて教室のドアが開いた。踏み入ってきた人物の正体が知れるなり、あたしは雷に打ちのめされたようになった。

「待たせた、悪い」

 そこにいたのは、ほっそりとした暗色のドレスに身を包んだ楠原さんだったのである。あまりにも意外な人物の登場に、あたしは完全に言葉を失っていた。ふたりが幼馴染だとは聞いていたが、まさかこの場面で――。

 あたしたちの視線に気づくなり、彼女は普段と変わらない仏頂面で、「なんだよ」

「いや、あんた、キャンプファイヤーのためにそれ着てきたの?」

 半ば呆然としている霧積さんの問いかけに、楠原さんはすぐさま、

「んなわけあるか。演劇の衣装だよ。最後の公演に出てたんだ」

「ヒロインだったわけ?」

「まさか。お嬢さまをいびり倒す役だよ。そっちのほうがまだ似合うだろ」

 律ちゃん、と目黒さんが呼びかけた。慎重な足取りで、そっと近くへ歩み寄っていく。至近距離で向かい合うと、吐息交じりに声を震わせて、

「素敵だよ、とっても」

「着替えようかと思ってたんだけど」

「ううん、そのままでいい。踊ってくれるんだよね」

 楠原さんは再びあたしたちを見やったが、すぐに目黒さんに向き直った。低い呟き声で、「約束は守る。もう行くぞ」

「うん」流れるような動作で、目黒さんは楠原さんの腕を取った。もう片方の手をあたしたちに向けて振りながら、「じゃあ、またね。ふたりも後夜祭、楽しんでね」

 あたしも霧積さんも、しばらくのあいだ口も利けずにいた。ふたりの後ろ姿が完全に失せてしまい、もうとっくにキャンプファイヤーのもとに辿り着いているだろうという頃になって、霧積さんがようやく、

「びっくりしたね」

 あたしは頷き、それから付け加えて、「楠原さん、ドレス似合ってたね。目黒さんもすごく喜んでて――よかった」

「笑ってたね。目黒さんをあんな風に笑わせるのが楠原なのか。なんだかなあ」

 そうは言いつつも、霧積さんの目は穏やかで、口許は柔らかく湾曲していた。彼女もふたりを祝福しているのだと思うと嬉しく、この学校祭の締めくくりに相応しい出来事に立ち会えたのだという感慨が、そしてそれとはまた別の真新しい感情が、胸に満ちてきた。

「これから、どうする?」

「私ひとりだったら、楽器持ってきてあいつらの近くで歌ってやってたかも。だけど今は――」とここで彼女は言葉を切り、短く宙を眺めて、「――また違う気分だな」

「どんな?」

 霧積さんは答えず、窓から身を乗り出すようにして、キャンプファイヤーの夜を見つめた。あたしもその隣へ立ち、踊っている人影の中から曽我くんと後輩の女の子、目黒さんと楠原さんの姿を探そうとしたけれど、どうにも上手くいかなかった。もどかしいほどに意識が乱れる。空に向かって燃え上がる炎ばかりが、ただ鮮やかだった。

「星が見える場所に行きたい」こちらに顔を寄せて、囁き声で霧積さんが言った。「二等星、三等星、六等星まで見えるようなところ、どこかにある?」

 あたしはやっとのことで、「基本的に、高いところのほうが見やすいかな」

「屋上? あそこ封鎖されてない?」

「いや、もっと高くないと意味ないよ。山の上とか」

 なんだ、と彼女は笑った。「なら今度、一緒に行こう。星の話をもっと聞きたい。それで――あ」

 青く深い夜空を、流れ星が一筋、長く尾を曳いて渡っていった。あたしは口の中で素早く願い事を唱えると、できる限り平静を装いながら、「そのときは音楽、よろしくね」

「これまでで一番の曲を作るよ。今度はひとりだけのために」

 あたしは思わず顔を背けて、相手の視界から表情を隠した。窓硝子の向こうでふたつめの星が流れ、同時に霧積さんが小さく、あたしの名前を呼ぶのが聞こえた。

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