第6話(終) 私も、呼んでいいですか


 魔法を使えないことで不遇に扱われ、事故で早逝するに至った少女、フゥロ・ナルメリア。今は、成宮なるみや


 当然のことながら、この世界でも魔法は使えません。そもそも転移した先は魔法の存在しない世界です。

 それでもなお、彼女は魔法への憧れめいたものを捨てられずにいました。


 魔法を見つけたとして、どうするのでしょう。

 元の世界に帰る糸口にでもする気でしょうか。いいえ、帰れるとしたって、実行する勇気は成宮にありません。また屋敷に閉じ込められるのがオチです。

 けれどその生き方しか知らないせいで、引き寄せられるのもまた事実。どちらつかずの無力な少女。

 目的がないのにさまよう姿は、さながら流星のよう。志半ばに、いつか燃え尽きるだけ。

 

 新たに生まれ落ちた世界で迎える、幾日目かの朝。

 目を覚ました成宮は、敷かれたレールを歩くがごとく規則的に学校へと向かいました。忘れ物と言えば、希望くらいです。




 その日は、高校生になって二日目でもありました。

 沿道に咲き誇る満開の桜には目もくれず、足下に散った花びらばかり見ているうちに、成宮は教室に着きます。


 昨日の今日で綿貫わたぬきさんと鈴鹿井すずかいさんに気まずい思いを抱えているかというと、成宮、意外にもそんなことはありませんでした。どうせもうほとんど関わることにならないだろうと踏んでいたのです。

 孤独を選ぶ少女の視界は狭く、よって隣の席に座る人の影に翻弄されます。


「成宮さん!」

 驚いて目を向けた先、瞳を輝かせる綿貫さんがいました。


「……どう、して」

 ――どうしてまだ話しかけてくれるんですか。

 言葉にならずに喉を震わせる成宮に、綿貫さんは笑いかけます。


「驚かせちゃってごめんね。でももっと驚かせるからね」

 彼女はそう言って、手に持ったカードの束をしゃっしゃっと混ぜ始めました。成宮でも、こちらの世界に来てから身に付けた知識によって理解できます。トランプという道具でした。


「好きなところでストップって言って」

 本のページを捲るような要領で、綿貫さんがトランプの山札をぱらぱらと高速で弾きます。

「え、あの、ストップ、」

「おけ! このカード、覚えてね」

 成宮だけに絵柄が見えるように、一枚のカードが掲げられます。それはハートのAでした。


「覚えた? じゃあ選んでもらったカードを今から――」

 山札に近づけます。その瞬間、ばしっ! と紙の擦れる激しい音がしました。

「消しちゃいました」

 まさにその通り、綿貫さんの手から先ほどのカードが忽然と消えています。


「え、え……? でも……」

「気になるでしょ。探していいよ」

 成宮はカードの行く先を、残った山札に求めます。綿貫さんから受け取り、中身を検分。数多くカードはあれど、ハートのAだけは見つかりません。


「消えたカードはね、ここ――」

 綿貫さんが右手を伸ばします。それは成宮の頬を軽く掠めて、頭の後ろまで。肌と髪に触れられる感触と、近づいて薫る彼女の香りに、成宮はどきりとします。


 ばしっ! 成宮の背後で、また音がしました。思わずびくりと身体が跳ねます。


 引き戻した綿貫さんの手には、いつの間にか一枚のカードが掴まれていました。何ということでしょう。それはまさに、ハートのA。

 さらには、先ほどはなかったはずの、ある言葉が書かれていました。意匠の凝った可愛らしいデザインで――『綿貫陽奈ひな』、と。


「じゃーん! どうかな!」

 空間魔法のような見事な手際に成宮は沸き立ちそうになりますが、気持ちをぐっと堪えます。魔法なんて、存在しないのですから。


「……お上手、ですね」

「ありがとう! 私ね、けっこうがんばってるんだよ。けっこうがんばって、まだこれくらいなんだけどさ」

 綿貫さんは瞳の輝きに決意の炎を焚きます。


「私さ、陽奈って言うの」

 トランプに書かれた名前は、彼女のフルネーム。成宮の曖昧な記憶の中にも、確かにそれはあって。

「……はい」

「私のマジックってね、正直タネも仕掛けもめちゃくちゃあるんだけど。まだまだ下手なんだけど。でもね、成宮さんのことたくさん喜ばせたいって思うんだ」

 少し頬を赤らめながら、気恥ずかしいのをそうではないみたいに装う綿貫さん。


 成宮は戸惑います。

「……私のことなんて、放っておいて構いませんから」

 女神ことめがみん様にも放置され、なおも人との関わりを断とうとするのです。


「えーと、やだ」

「ぇっ」

 そんな成宮のことさえ、綿貫さんは一刀両断。


「昨日私がマジックしたとき、成宮さん、魔法みたいだって言って感激してくれたでしょ。ああいう成宮さんが好き」

 だから、と。

「友達になろう、フーちゃん」

 綿貫さんは屈託なく笑って言いました。


 ――友達。

「……ふーちゃん、とは」

「名前、成宮フーロさんでしょ。だから、フーちゃんって」

 その笑顔は眩しすぎるほどで、けれどずっと見続けていたいと成宮には思えました。それはいつか目にしたことのある、優しく柔らかな煌めきに似ていて。

 そして名前を呼ばれて。

 幼い頃の記憶が、成宮の脳裏によみがえります――。


 草原で転んでしまった彼女を、母親が介抱していました。

 怪我をした足に手をかざし、母親は口を開きます。優秀な魔法使いである母親は、呪文の詠唱を必要としません。だから紡いだ言葉は、

「フゥロ」

 我が子の名前を。

 この世界に、これより他は何もいらないというみたいに。

 ――。


 成宮は、上手く答えることができませんでした。感情が摩擦して、身体を震わせます。答えた数だけ泣いてしまう気がしました。魔法使いでなくたって、誰だって予感すること。

「朝から元気ですわね。よくもまあ懲りませんで」

「出たな、変なの」

「普通なの、ですわ」


 鈴鹿井さんでした。気づけば成宮たちの席のそばに立っていた彼女は、長い髪に指を絡ませたり解いたりしながら、

「ごきげんよう、成宮さん」

「は、はい。ごきげんよう……」

「今しがた風に運ばれて耳にしたのですけれど、あなたのお名前の呼び方を、その、フ、」


 というところにキャンセル割り込みを仕掛けてきた人がいました。ええ、綿貫さんです。

「だめだめ! いきなり現れて好き勝手言ってる人にはだめです!」

「んなっ! どこまでも痴れ者……」

「こういうのは自分からなんだよ」

 と、諭すように綿貫さんが掲げたのは、トランプの山札とサインペンでした。


「もう。はいはい、ですわ」

 溜飲を下げた鈴鹿井さん、一枚のカードを引いて、ささっとペンを走らせます。カードは、ハートの3。可愛げのある丸っこい字で書かれた言葉は、

「『鈴鹿井美景みかげ』ですの。昨日も申し上げましたけれど」

「お、覚えています……」

「それは何より」


 鈴鹿井さんは、綿貫さんがまたちょっかいを出してこないことを確認してから、優美に微笑みました。

「よろしくですわ。フーロさん」

 また名前を呼ばれて。


 今度はもう、目を伏せて黙っていることをしませんでした。成宮はなけなしの勇気で、綿貫さんに振り向きます。

「あの! 私にも……」

 待ってましたとばかりに、綿貫さんは頷きました。


 そして成宮の受け取ったのは、ハートの2のカードとサインペンです。

 震える手を抑えて、名前を書きます。小さく控えめな、拙い字です。けれど、一生懸命です。ファーストネームで詰まるも、書ききりました。


 ――『成宮副露フーロ』と。


 綿貫さんと鈴鹿井さんは数度瞬きをして、表情を崩しました。

「フーロってこう書くんだね」

「あな珍しい」

 めがみん様の日本ライクなネーミングセンスは独特のようでした。


 成宮は顔から火が出そうになります。そんな彼女の俯きかけた視線を、綿貫さんと鈴鹿井さんが引き上げます。

「これからよろしく、フーちゃん!」

「フーロさん」


 ようやっと、成宮は思い至ります。

 人と絆を結ぶには、大層な魔法なんていらないということ。


「私も、呼んでいいですか」

 だから、勇気を出して口にするのです。

「陽奈さん」

 綿貫さんが頷きます。

「美景さん」

 鈴鹿井さんが頷きます。

 三人は、声を揃えて笑いました。


 何のために生きればいいかは、まだわかりません。

 けれど、ほんのささやかな生き方を知った気がしました。







 余談ではありますが。

 空気の読みにズレのある成宮が、ふと呟きました。

「そう言えば、お二人同士の呼び方は……」


 お二人同士とは。

 綿貫さんと鈴鹿井さんが互いを見合わせ、淡々と答えました。

「鈴鹿井」「綿貫」

「あ、名字なんですね……」

 小学校から続く幼馴染みのはずですが。


「小学校から付き合わされていますけれど。まあ、お腐れ縁というものですわ」

 成宮のようやく掴んだものに疑問を呈しかねない一幕です。そんな成宮の内情とは裏腹に、綿貫さんは言います。

「フーちゃん、実はこれには事情があってね」

 そっと成宮に耳打ちをします。しかし明らかに鈴鹿井さんにも聞かせる声量で、


「鈴鹿井は私のことが好き過ぎて、逆に名字で呼んでくるの。私は合わせてあげてるだけ」

「えっ」

「ちちちゃ、ちゃいますわ!」

 鈴鹿井さんは顔が真っ赤でした。


「顔真っ赤じゃん」

「違うと言っていますのに! 大体、そんな言い分が思いつくということは、あなた自身にそういう気持ちがあるからでなくて!?」

「こうやってポンコツなうちは可愛いのにね」

「ポンコツは綿貫でしょう! 昔からいつもいつも……」

「何さ!」

「何ですの!」


 仲が良いほどケンカする。ケンカするほど仲が良い。

 そんな関係性もあるのだと成宮が理解できるようになるのは、まだまだ先の話。

 


 というところで、以上。

 あまねく生と死を司る神にして、迷える魂を導きし者、私めがみんがお送りいたしました。

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