第7話 守屋夕野という童女

 「おにいちゃーん、朝だよー。起きてー」

うるさい。俺の体は睡眠を欲しているんだ。あと5時間は寝させろ。

「ねぇー、ご飯冷めちゃうよー。いいの」

構わない。俺は冷たいご飯が大好きだからな。

知ってるか。冷やご飯に含まれるレジスタントスターチは腹持ちが良く、ダイエットに適しているんだぞ。

「あー、また屁理屈言っちゃって。それに、私太ってなんかないもんね」

とにかく、あと30分で良いから寝させてくれ。大丈夫、絶対起きるから。安心しろ。しんじてくれ。俺が今まで嘘をついたことがあったか?

「うーんとね、あ、確か、お兄ちゃんが花瓶割っちゃった時、お母さんに『知らないよー。野良猫がやった』って嘘ついてた」

いたんだもん。本当に野良猫いたんだもん。黒い野良猫がお魚咥えて花瓶を倒していったんだもん。

「もぉー、こうなったら最終手段だ!よし、とう!」

あれ、何だこれ。なんか、手に柔らかい感触が。

「ふぁん!もう、お兄ちゃんってば、積極的なんだから。でも、お兄ちゃんになら、私───」

「待て待て待て待て待て!早まるな!」

「えぇー、いいじゃん!兄妹だよ?私達」

「兄妹だから駄目なんだよ。いや、兄妹で無くとも駄目だ」

「ちぇー、けちー。あ、ご飯できてるから早く降りてきてね」

そう言い残すと、陽華は階段を降りていった。

「ケチとかの問題じゃないんだが……」

なぜ朝からこんな目に遭わないといけないのだろうか。そんな事を考えながら、俺も階段を降りた。



 今朝の授業が終わり、守屋の事が気がかりだった俺は女子バスケ部の活動場所である体育館に来ていた。コートの中では5対5でゲームが行われており、守屋も出場している。

「ヘイ、パース!」

小柄な部員が守屋へパスを裁き、ボールをキャッチした守屋がシュートを放つ。

「ナイスゥ!」

放たれたボールは綺麗な弧を描きながらゴールへと吸い込まれていった。

「よっしゃー!」

その瞬間、ゲームの終了を知らせるブザーが鳴り響いた。どうやら、守屋のシュートによって彼女のチームが勝ったようだ。

「あっ、センパーイ」

こちらに気づいたのか、手を振りながら近づいてくる。

「どうしたんすか?体験希望っすか?先輩は確かに女の子みたいな顔立ちしてますけど、さすがに無理っすよ」

「当たり前だ。というか、俺にそんな趣味はない」

「えー、じゃあどうしたんすか?まさか、私に会いたくなっちゃったんすか?」

「違う。昨日のあれを心配して来たんだ。でも、その様子じゃ大丈夫そうだな」

「はいっす!」

元気そうに跳び跳ねる守屋。どうやら、昨日より痛みは引いているようだ。

「ならいい。それじゃあな」

「あっ、ちょっと待ってっす!」

帰ろうとした矢先、守屋に腕を捕まれる。

「せっかくここまで来たんすから、最後まで見てってくださいよ。私、次も出ますし」

「はぁ?なんで俺が」

「別にいいじゃないっすか。先輩、どうせ暇っすよね?」

「……分かった」

靴を脱ぎ、体育館の壁にもたれて座る。

「そろそろ行け。始まるぞ」

「ありがとうっす!それじゃ、がんばってくるっすよぉ」

「あぁ」

コートに戻ると、すぐに練習が再開した。どうやらもう一度5対5のゲームをするらしく、守屋を含め選ばれた部員が続々とコートに入っていく。

「それじゃ、始めるぞ」

顧問の掛け声と共に、ボールが投げ上げられた。そして、次の瞬間。

「よし、もらったっす───ぐっ…っぁ!」

ボールをタップし、地面に着地した守屋が突然、その場に倒れ込んだ。

「おい、大丈夫か!」

慌てて駆け寄ると、守屋は自分の右膝を強く押さえていた。火傷跡を隠すためか履いている長ズボンの上から膝に手を当てると、彼女の顔が激しく歪む。

「クソッ、保健室に連れていきます!」

顧問の教師にそう叫び、守屋を抱き抱える。筋肉質ということもあり、かなり重いが今はそんなことを気にしている場合ではない。

「痛い、痛いよぉ」

譫言のように、そう繰り返す守屋。保健室に着くと、ベットに寝かせた。

「許せ、守屋」

患部の様態を見ようと、彼女が履いている長ズボンを脱がせる。すると、彼女の膝は紫色に大きく腫れ上がっていた。

「酷いな」

こんな腫れ方、バスケットボールでできるものじゃない。かといって、何かにぶつけたにしては、腫れの範囲が余りにも大きすぎる。おそらくだが、彼女の父親によるものだろう。ベットを用いて足の位置を心臓より高く挙げ、冷蔵庫から氷嚢を取り出し、彼女の膝に固定する。応急処置にしかならないが、少しはマシになるはずだ。

「先輩、その、ありがとうございます」

気がついていたのか、守屋がそう言った。

「礼はいい。それより、守屋。お前今日は俺の家に泊まれ」

「え?」

「悪いが、例え父親であってもこれ以上お前を傷つけさせるわけにはいかない」

「なんでなんすか!前にも言ったっすけど、これは虐待じゃないっすよ!私がパパの言うことを聞かなかったから、怒られただけっす」

「そうだとしても、だ。さすがに行きすぎている。このままだと、お前、本当に殺されるぞ」

「別にいいっすよ!第一、私が死んでも先輩には関係ないでしょ!他人事に、首突っ込まないでください!」

その言葉に、胸ぐらを掴んだ。

「あぁ、そうさ。今ここでお前が死んでも、俺にはなんも関係もない。だが、俺はお前を助けたいと思った。なんとかしてやりたいと思った。他人事だと言うなら、俺が勝手に行動したとしてもお前に文句を言われる道理はない」

「っ……。分かったっすよ!好きにしてくださいっす」

「あぁ、言われなくても、そうさせてもらう」

スマホを取り出し、陽華へと電話をかける。

「もしもし、陽華」

『はーい、どうしたの?お兄ちゃん』

「今日、一人友達を泊めたいんだが、いいか」

『えっ、お兄ちゃんに友達……。大丈夫?エイプリルフールはもう終わったよ?』

「嘘じゃない。とにかく、そういうことだから。よろしく」

『あ、まっ───』

返答を聞く前に、通話を切った。こうすれば、無理だったとしても電波が悪くて聞こえなかった、と言い訳すれば通るからだ。時計を見れば、最終下校時間まで10分も無い。そろそろ学校を出なければ、俺は守屋と二人で明日の朝まで学校暮らしをするはめになる。

「行くぞ」

不貞腐れた表情の守屋を背中に負ぶり、両手に鞄を持って学校を出た。

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