マジック・スーツ・ユニ

藤原くう

とある日の戦い

 それが現れた場所に立っていたのは、街でも有名な門番だった。城の前に立った門番は、だれに対しても優しかった。


 だが、その日、彼の顔に結晶のような赤い線が走った。


 次の瞬間、魔力が体の内からほとばしった。それは天へと伸びていく柱のよう。魔力は空気と他者の魔力とで干渉しあい、そのたびに、バチバチと音を立てる。


 赤い魔力の中で、彼の姿は変貌していく。鎧の隙間から、血のような真紅の魔力がしたたり落ちたかと思えば次の瞬間には結晶化している。鎧を覆い、手にしていた剣を覆うと、親しまれていたその姿をずっと凶悪なものに塗り替えていく。


 人離れした咆哮とともに、光が霧散した。


 人々は、そこに現れた存在を、びくびくと見る。好かれていた青年はそこにはいなかった。今は、変わり果てたバケモノがそこにいただけだ。


 手には、赤黒い丸太のような剣。それをやすやすふるうと、低い低い、地の底から響くような咆哮を上げる。うなるような声に、人々は逃げ出すことを忘れてしまったように、その場に釘付けとなった。


 剣が振りおろされた。ぶおんと、暴風が吹く。それと同時に剣が鈍く光り、魔力がほとばしる。


 風が木々を揺らし、遅れてきた魔力の奔流が木を粉々にした。


 それが、人々の目を覚ました。


 悲鳴。


 人々は、そのバケモノから逃げる。その背中を見てなのか、バケモノは口角を上げるのだった。




 街の中心で起きた出来事は、逃げる人々の流れとともに恐怖を伝播させていき、流れは大きいものとなっていく。


 その中に一人、逃げ出すことなく中心部から放たれる魔力を見ている人間がいた。


 少女である。それもただの少女ではない。純白のドレスを身にまとった島村ゆにであった。

 

 アシンメトリーなスカートの先からのぞかせた脚はしなやかで、ネコ科の猛獣を連想させる。足元は汚れ一つない白のミュールで輝いていたが、どこか履きなれていないように見えた。シンプルながら目を引くそのドレスとは対照的な日に焼けた小麦色の肌は、彼女が屋内よりも屋外のほうを好んでいるというのがわかる。勝気に吊り上がった目がそれを証明している。


 シルクのアームロングに包まれた手には、Yという文字の片方を長くし、もう片方を短くしたようなものが握られていた。短い方には球が付いており、長い方は鋭く、側面で『undorip』という文字が白く瞬いた。

 

 そんなゆにの隣には、ぬいぐるみが浮かんでいる。グレーの毛を有したその小動物は、少女がいた世界の動物でいうなら、ミンクに似ていた。


「あれが敵ね」


「はい。数分前に現れたみたいです」


 彼女たちがここへとやってきたのは、膨大な魔力の励起が確認するため。それが、敵によるものなのかを確認するためだった。――果たして、あれは敵であった。


 ゆにはゆっくり息を吐いてストレッチ。スカートがめくれ上がっても気にしていない。ちらとスカートの奥が見えてしまったが、不釣り合いなスパッツがそこにはある。それを見た小動物がため息をついた。


「あの。もっとおしとやかにできないんですか」


「今から戦うっていうのに?」


「それはそうなんですけど、スカートの奥見えてますよ」


「下はいてるからへーき」


 小動物が、やれやれとばかりに首を振った。


 ぴょんぴょんとその場で跳躍するゆにのわきを人々が駆けていく。その顔には恐怖が張り付いていた。みな、街の中心で暴れまわっているバケモノから逃げており、少女のように準備体操を行っている人間は皆無だった。


 最後に大きく伸びをしてから膝を曲げて、ゆには跳ぶ。みしりと石畳がひび割れ、音を上げたが、それを見ていたものはいない。もっとも、見ていたとしても、あまりの速さに何が起きたのかわからなかったことだろう。その小さな体は、弾丸のような勢いで宙へと飛び出している。


「相変わらず、どういう仕組みなの……」


「だから魔法ですってば」


 会話をしながら着地したのは、ゆにの身長の何倍もある建物の屋根だ。


「ほら、見てくださいよ」


 小動物が足元を指して言う。ゆにが履いているミュールを見れば、消えつつある魔法陣があった。ゆにの着ている美しいイブニングドレス――オートクチュールと名付けられたそれが、自動で魔法を発動し、ゆにの肉体を強化しているのだ。今の彼女は、中学生どころか大人にだって余裕であった。本人としては、あまり実感はなかったが。


 ゆには顔を上げる。屋上からだと、バケモノの姿がよく見えた。街の中心部で魔力の塊のような剣を振り回し、死と破壊とを振りまくキセイフクのなれの果てが。


 キセイフク。魔力の流れを整え増幅させる、服の形をした装置。広く普及しているキセイフクは、ある日、着用者を飲み込み、異形と化すようになった。その原因は未だに不明。


 オートクチュールは、暴走したキセイフクと戦うためにつくられた。


 ゆには一歩踏み出し、先ほどよりもずっと力強く、地面を踏みしめる。ピンク色の魔法陣が一瞬描かれると、石造りの建物がへこんだ。そして、再びの跳躍。魔法によって今の少女の脚力は何十倍にもなっている。助走なしで空へ飛び出すことなんて簡単にできた。


 少女の小さな体は、スカートをはためかせながら放物線を描くように飛んでいく。その先にあるのは、魔力を垂れ流しているバケモノ。街への破壊行動を繰り返すその巨体はまだ、スカートをはためかせながら空から降ってくるゆにに気が付いていない。


 アンドゥリップを両手で握りしめ、バケモノの頑丈そうなヘルムへと叩きつける。


 ――その直前。ぶおんという風圧を、ゆには感じた。


 一瞬ののち、金属と金属とがぶつかる、耳障りな音が鳴り響いた。


「うわあ!」


 ゆにの耳元でぬいぐるみが悲鳴を上げた。いつもならば、怒鳴るな、と言い返しているところだったが、手がしびれてそれどころではなかった。力が入らない。それでも剣へ体重を込める。

 

 そんな彼女ごと、バケモノは剣を振るう。丸太と見紛うほど大きな剣が素早く動き、ゆにの華奢な体をいともたやすく吹き飛ばした。

 

 ゆにはくるくる回りながら落ちていく。地面へ落ちる直前、くるりと体をひねり、猫さながらの動きで着地した。

 

「強い」


「わ、わたしの心配はしてくれないんですね……」


 少女の近くに浮かぶぬいぐるみは、明らかに肩を落としていた。


「あなたは縫い針で簡単に元に戻せるでしょ。あたしはこれが破けたら死んじゃうんだから」


「そりゃあわかりますけど、痛いことには変わりないんです」


 言葉を交わしている間にも、バケモノはゆにめがけて走り出している。鈍重な動きだが、加速がつくと意外と速い。


 バケモノが剣を振る。ゆにがしゃがみこんだ直後、暴力的な一撃が頭上を通り過ぎて行く。それを感じながら、飛び上がり、ゆには手の中の得物でバケモノの胴体を切りつける。だが、傷一つつかない。鎧型のキセイフクは魔力によってその堅牢さを増していた。


 舌打ちしたゆにを剣が襲う。横なぎの一撃を身体をそらして避け、そのままバク転の要領で距離を取る。相手の武器は剣。その間合いから距離を取りさえすれば、攻撃される危険はない。


 間合いを取り、ふうと息をついたゆにへ小動物の声。


「魔力によって強化されてます」


「そんなのみりゃわかるよ」


「そ、そうですよね、すみません……」


「何か手はないの?」


「えっと装甲が薄いところを突き刺すしか」


「つまりいつも通りってことね」


 ゆにはアンドゥリップを構えなおす。その先端は非常に鋭い。魔力を循環し増幅させるキセイフクを突き刺すことが可能だ。それも、意識を乗っ取られている着用者を傷つけることなく。そして、根元には刃が付いている。その刃でもってして、キセイフクをキセイフクたらしめている魔力回路を制御する糸を断ち切るのだ。そうすれば、キセイフクは機能不全を起こして停止する。


 それが、少女の仕事。


 この世界へとやってきてしまった少女が今、行っていることだった。


 ゆにが再び接近しようとしたその直前、バケモノの剣が禍々しい光を帯びた。赤黒い魔力の奔流。


 本能的に、ゆには横へ飛んでいた。


 ゆにがいた場所に、魔力の塊が着弾した。敷かれた石畳が木っ端みじんとなってそこここへと飛び散る。爆発したようなその衝撃に避けたはずの少女は吹き飛ばされる。めくりあがった石が礫となって身体を打った。


 石畳を転がりながら、ゆには痛む目を開く。


 先ほどまでいた場所には大の大人がすっぽり埋まってしまうほどの穴が開いていた。なんて威力だと、心臓が縮みあがった。


 が、恐怖している暇はない。視界の向こうでは、また光が生み出されようとしていた。ゆには慌てて立ち上がり、走り出す。光弾が飛んできた。背後に着弾し、建物が倒壊していく……。


「みーちゃん生きてる!?」


「な、なんとか」


 爆心地から、黒焦げになったぬいぐるみがふらふら飛び上がって、ゆにへと追従する。魔力による爆発をもろに受けてしまったからか、毛皮は焦げ、あたりには焼肉後のような香ばしい香りが漂っていた。


「ううっ。直してもらったばかりなのに」


「そんなのは後! なによ、あの馬鹿力っ」


「魔力そのものを剣を振るう際の風圧に乗せているようですけど、すさまじい威力です」


「敵に感心しないでよ!」


 ゆには、ぬいぐるみをはたく。ぐえ、とぬいぐるみの口から声が漏れた。そんなことをしながら少女たちは走る。その背後に、魔力的砲弾が着弾する。爆風が背中を押し、危うく倒れてしまいそうになった。


 ちらりと背後を窺えば、バケモノは三発目を放とうとしていた。剣に魔力が集中する。そして、剣を振るうと同時に魔力は飛翔する。それはちょうど、衝撃波のようにも見えなくなかった。


 ――まるで、ゲームの中にいるみたい。


 そんなことを思ってしまうのは、この世界が彼女にとっては、空想上の世界のようにしか思えなかったからだが、これはゲームなんかでも空想でもない。まぎれもない現実で、あんなのをまともに食らえば命はない。


 三発目は背後に迫っている。ゆにはジャンプし、それを回避する。足元を通り過ぎて行った魔弾は、建物へと激突し、その半分を跡形もなく消し去った。


 建物が倒れる音を耳にしながら、思案する。


 逃げること自体は簡単そうだった。飛ばしてくるという魔力は、威力こそは大きかったが、速さでいえばそれほどではない。


 だが、逃げ続ければ続けるほどに、街は破壊されていく。


 悩むゆにの背後でドンと音がした。少女は頭を動かし、そちらを見る。キセイフクが地団太を踏んでいた。


 ――逃げ回っていないで戦え。


 そんなことを言われているような気がした。


「……そんなことあたしだってわかってるわよ」


 ゆには、ついてくるばかりのぬいぐるみをひっとらえると、雑巾絞りのようにきつく握りしめる。痛い痛い、という悲鳴がもれてきてもお構いなし。


「なにか方法はないの!? あんたってあたしのサポートをしてくれんでしょ!」


「そ、そんなことを言われたって、わたしはドクターの使い魔で、あなたのことはよく知らないですし」


「じゃあ、武器とかはっ」


「そのアンドゥリップ以外には」


 ゆにはため息。次の瞬間には、ぬいぐるみをぶん投げている。


「あ、ちょっと。暴力反対!」


 そんなぬいぐるみの言葉もそこここに、ゆにはアンドゥリップの柄をきつく握りしめる。


 ふがいなかった。悔しさが湧き上がって、体の震えが止まらなかった。


 怖い。


 命を助けてもらった手前、ゆには戦ってきた。だが、やっぱり少女は少女なのだ。勝気なところがあるとはいえ、戦いのことを知らないで暮らしてきた、ただの女子高生だ。


 どーんと音がする。魔力の弾が建物へと命中した。半壊した建物はぐらぐらと揺れて、そのまま倒れていく。低い、くぐもった音が振動とともに響き、土煙が上がった。それを見れば、恐怖と後悔は増した。


 ゆには唇を噛みしめ、それでも逃げた。


 逃げ回った先で、声がした。


 幼い子供の声。困惑し、怯えている女の子の鳴き声。嗚咽交じりのそれは、恐怖から逃げるように走っていた少女にもはっきり聞こえた。


 取り残された子供がいる――。


 声の方を見れば、がれきの中に紛れて、子どもの姿があった。どうしてこんなところにいるのか。親とはぐれたのか、見捨てられてしまったのか。


 ゆには女の子へと駆け寄る。


 こんな場所にいてはいけない。ここには、危険なバケモノがいるのだから。


 涙浮かぶ女の子の小さな瞳に、魔力の光が映りこむ。その光は、少女の背後から――キセイフクがいるであろう方からやってきている。


 ――あいつ、この子を狙ってる。


 それはまるで、女の子を狙えば、ゆにがどのように行動するのかをバケモノが理解しているかのような行動で。


 ゆにはかぶりを振った。相手の思い通りになるのは嫌だったが、女の子が犠牲になるのはもっと嫌だった。


 光がその強さを増す。肩越しに見た魔力は、先ほどよりもずっと大きい。それが、今まさに飛んでくる。


 女の子を抱えようと考えていたが、間に合わないとゆには悟った。


 それでも女の子を助けたい。


 なら。


 ゆには、女の子とキセイフクの前に立ちふさがった。


 正面には、近づくにつれて大きく見える、魔力の塊。その禍々しさは、彼女の恐怖させた。体が震え、今にも膝は折れてしまいそうになる。


 ふと、丸まった背中に、弱々しい視線を感じた。振り返ると、女の子が、ゆにを見上げていた。その瞳は不安に揺れていた。


 女の子も不安なのだと、ゆには理解した。わからないなりに、自分が危ない目に遭っているのだと、女の子はわかっている。


 じゃあ、自分の不安も、女の子には伝わっている――。


 恐怖心の渦の中に、ほのかな羞恥心が芽生える。そして、申し訳ないという気持ちが、恐怖を上塗りしていった。


 ゆには、微笑みを浮かべた。女の子を安心させたい一心だった。ぎこちない笑みでも、それが虚勢だったとしても。


 女の子がどのような気持ちになったのか、それを知るのが怖くて、さっと正面へと向きなおった。


 凶悪な光は、今や目前にあり、目を刺してくるようだ。


 恐怖はあった。だが、それだけでもなかった。


 ゆにはキッと、光の向こうで嘲笑っているであろうキセイフクを睨みつける。


 手元のアンドゥリップを、すがるように見た。峰に刻み込まれた銘がほのかに明滅を繰り返してはいたが、それが何を意味するのかゆににはわからない。


 これで受け止められるかは彼女にもわからなかった。だが、そうするほかなかった。


 ゆにはたったひと振りの武器を両手に持ち、迫りくる一撃を受け止めた。


 魔力と魔力がぶつかりあった。


 眩い光が、風圧が周囲へと飛び散る。間近にいたゆにの髪をばたつかせ、眩しさに思わずまぶたをぎゅっと閉じる。

 

 恐る恐る目を開けると、アンドゥリップからピンク色のバリアのようなものが現れていた。それが、魔力を受け止めている。その反発しあう力によって、七色の魔力が飛び散っては周囲のものを破壊していく。その光景は恐ろしくもあり、幻想的でもある。


 だが、ゆにが目の前の光景に意識を受けていられたのは、ほんの一瞬のこと。


 キセイフクの放った攻撃によって消し飛ばされることはなかった。だが、圧倒的な魔力の奔流はバリアを生みだしているアンドゥリップを奪おうと、暴風のように荒れている。


 そうはさせないと、ゆには跳ね上がりそうになる腕に力をこめる。脚は石畳にめり込んでしまうほど踏ん張っていた。それでもなお魔力の刃に押され、地面には二つの線ができようとしている。


 それほどまでの威力の魔力を受けても、アンドゥリップには刃こぼれ一つない。それどころか、刻印された銘がその光を強めている。最初こそは目立たなかったものの、徐々にその輝きを増していく。ゆには気が付いたものの、どうして輝いているのかわからない。


 だが、頭の中に、何かが流れ込んでくるのをはっきり感じた。アンドゥリップから流れ込んでくるそれは、決して悪いものではない。


「ようし!」


 ゆには、上半身を器用にひねり、アンドゥリップの切っ先を光へと――その向こうにいるキセイフクへと向ける。銀色の答申に光が映りこむ。周囲へと飛び散る極彩色の光に負けず劣らず、銘は強く輝いていた。


 そうしてどうなるのか、ゆににもわからない。ただ、この状況がどうにかなるという確信だけがあった。


 頭の中に浮かんだ行動をなぞっていく。


 光へと向けられたアンドゥリップを、突き刺した。


 その瞬間、刀身の周りに、輪の形をした魔法陣が三つ浮かび上がる。白い魔法陣は光を増しながら、大きくなっていく。先端にあるものは小さく、根元のものは大きい。魔法陣が大きくなると、そこから魔力があふれ出し、形を成していく。先へ行くほどとがっており、それはどこか槍を連想させた。


 様変わりした武器を、ゆには投げた。


 今まで魔力を受け止め続けていたアンドゥリップを手放せばどうなってしまうかなど、少女にもわかっていた。だが、大丈夫、という確信があった。


 投擲された武器は、魔力に弾かれることなく、いやむしろ押し返しながら、飛翔していく。先ほどまでは受け止めるだけで精いっぱいだったのに、どうしてだろうか。ゆにには、訳が分からなかった。


 困惑しているゆにをよそに、アンドゥリップはそのまま突き進み、光もろともキセイフクの武器へと命中した。


 金属音がゴングのように鳴り響く。困惑と驚きとがないまぜになったキセイフクの方向が、後に続く。魔力的な砲弾が霧散し見えたキセイフクの手甲には、先ほどの一撃によってひびが入っていた。


 はじめて受けた痛みに、キセイフクが絶叫を垂れ流しながら暴れている。ゆにのことなど、目に入っていない。


 ゆには駆けだした。スカートを翻し、キセイフクへと突き進む。


 振りかぶって、勢いそのまま殴りつける。鈍い衝撃が返ってきた。ジーンと腕が痺れる。依然として鎧は硬い。だが、効いていないわけではなさそうだった。


「よし」


 右右左。ゆには矢継ぎ早に攻撃を加えていく。蹴りを放とうとしたところで、ぶおんと風圧を感じた。しゃがんだゆにの頭上を、重量のある剣が通り抜けていって、髪の毛がひと房ちぎれて落ちた。


 ゆには肝を冷やした。もろに受けたら、ひとたまりもない。だが、キセイフクの動きが手に取るように分かった。


 負ける気がしなった。


 ゆには、攻撃をよけながら打って出る。一撃一撃は小さかったものの、キセイフクの動きをじわじわ鈍らせていく。


 ひときわ大きな絶叫を上げたキセイフクが、重い剣を振り上げ、叩きつけた。


 石畳が割れ、破片が散る。土煙が上がって、あたりに漂った。


 肩で息をつきながら、キセイフクが剣を引き抜く。


 ――そこに、ゆにの姿はない。肉片はおろか、血の一滴だってついてはいなった。


 困惑の声が、キセイフクの鎧から漏れる。


「あたしはここだ!」


 声を上げながら、駆ける。その手には、アンドゥリップが握られていた。キセイフクの攻撃を回避した彼女は、そのまま転がっていた武器を拾い上げたのだ。


 下段に構えたアンドゥリップの切っ先が地面をなめ、火花を散らす。振り上げられたそれは、引き抜かれようとしていた巨大な剣へと叩きつけられた。


 砕ける音があたりに響く。結晶化した魔力とともに、丸太のような剣がいとも簡単に折れた。


「これで終わり」


 アンドゥリップがひときわ光る。一回二回、そして三度目の発光とともに――キセイフクの腹部へ、アンドゥリップが根元へ深々刺さり、切り上げられた。


 赤い線が走ると同時に、キセイフクが身もだえする。一度苦痛に満ちた絶叫を放ったかと思えば、その巨体はピンク色の爆発に包まれた。

 

 魔力の爆発が収縮すると、そこにはキセイフクを失い気絶した兵士の姿があった。

 


 息を整えたゆには、ふてくされてしゃべらなくなったぬいぐるみを拾い上げ、背後へと歩く。


 ゆにがかばった女の子は、変わらずそこにいた。だが、今は泣いていない。目を大きく見開いて、彼女を守った英雄のことを見上げていた。


「あなたはだあれ?」


「あたしは――島村ゆに」


 それだけ言って、ゆには、女の子の頭をなでる。荒っぽかったが、思いやりに満ちた撫で方であった。


 頭をなでていた時間は短い。


 手を頭から話すと、ゆには女の子から離れる。


 背中に、女の子の視線を感じた。憧れるようなその視線は、くすぐったく感じられて、島村の足は自然と早くなった。



 早歩きでその場から去る島村を、見ている目があった。


 彼女から少し離れたところにある、半壊した建物の屋上。そこに一人の少女がいた。


 身にまとっているのは、巫女装束。でも、それにしては、白い部分はねずみ色で、袴もくすんだ赤。それに全体的に破れていて、本来の清らかさはない。それに何より、変わった巫女装束を縛るように巻き付けられた鎖が目を引く。その先端は、少女の首にかけられた輪へとつながっている。ボロボロの袴から覗くのは、黒のブーツ。


 その姿は異様ではあったが、同時に妖艶さも兼ね備えていた。


 なるほどなるほど、と少女が呟いた。


 その視線は、まっすぐゆにの方を向いている。瞳には、何も浮かんでいない。悪意も善意もないガラス玉のような透明な瞳が、ゆにを、島村が身に着けているものを追いかけていく。


 少女の口角がわずかに上がった。


「今日は様子見。でも次は――」


 ――ゆにちゃんを倒すから。


 呟き声は風に乗ってどこかへと漂っていく。


 少女は、後ろへと倒れていく。その先には何もない。遠くに地面があるばかり。


 落ちて落ちて――。



 ゆにが背後を振り返った


「どうかしましたか」


「いや、なんか名前を呼ばれた気がして」


「変ですね。わたしは何も聞こえませんでしたけど」


「あんたの耳が悪いのよ」


「誰のせいだと思ってるんですかっ! あなたが雑巾絞りみたいにするから、耳がとれちゃったじゃないですか!」


 ぷかぷか浮かぶぬいぐるみの耳は片方がちぎれかけている。もう片方は完全に取れていた。


 ゆにがため息をついた。


「めんどくさい……」


「ひ、ひどいっ。わたしは命がけでついてきてるっていうのに」


「何も気の利いた事言ってくれないけどね」


「どうせわたしは、足手まといですよ」


 また始まった。ゆには、愚痴をこぼすぬいぐるみを無視し、両手を頭の後ろで組んだ。


 この世界へ来る前のことを思い出す。魔法なんて存在しない世界。そこで出会った友達の姿は、ありありと想像できた。


 その友達もまた、この世界にいる。


 この世界で、キセイフクを着せられて、ゆにへと戦いを挑んでくる。それは、以前の彼女からは想像できないような姿だった。


 ゆには頭をかく。どうすればいいのかわからなかった。友人のこともそうだが、キセイフクのこともだ。頼みの綱であるキセイフクの生みの親ヘルメスは行方不明になっていたし、どうしてキセイフクが暴走しているのかも正確な理由はわかっていないのだ。


「……巻き込みやがったやつは絶対ぶっとばしてやる」


「何か言いました?」


 なんでも、とゆには答えて、研究所への帰路につくのだった。

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マジック・スーツ・ユニ 藤原くう @erevestakiba

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