大福の子は仔猫
北緒りお
大福の子は仔猫
虹の橋を渡った愛猫が、六匹の子猫になって今日戻ってきた。
けれども、どことなくの面影はあるものの、天寿を全うした〝大福〟ではなく、よく似た子猫たちで、なにか違うというふわっとした感覚と可愛さで天秤がしなる音が心の中でしたようだった。
部屋と言うのにはやや手狭な納戸の四方は棚が占拠していて、そこには銀色の筐体になにやら数字やボタンが並んでいる操作パネルらしきのが着いている機械や、水槽を逆さにして照明を付けたかのような機械の中に、ビーカーや試験管などが並び、日が長くなったと言え、春先の夕方は暗くなるのが早く、その部屋の煌々(こうこう)とした明かりと合わせ、なにやら世の中から完全に浮いているように感じた。LEDの純白に近いような照明で部屋中を照らし、その中の大ぶりなジャムの瓶みたいな容器の中に薄桃色っぽい色合いの液体が入れられ、そこに五〇〇円玉ぐらいの大きさの四角い透明な幕が浮かんでいる。
規則正しくヒクヒクと動き、なにやら切手とクラゲを足したような感じだが、これが〝大福の一部〟だと言う。
「まだ、再生の実験だからそれがおまえん家の大福くんになるわけじゃないぞ」と釘を刺される。
大福の一部を見るのにも「清潔な格好で来い」と言われ、ユニクロで買いそろえた新品の上下で向かったが、部屋の主の沢田にはそういうことではないと一蹴され、結局のところ不織布マスクの親玉のような全身つなぎを着せられ、その部屋に入っている。
特別な実験室とかではなく、三畳ほどの納戸に道具を押し込んだだけだから、二人入ろうとすると無理がある。
部屋の入り口には長いのれんが掛かり、ビニール製なのか半透明で中の様子がうっすらと見え、実験器具や何に使うのか判然としない装置が明かりの中に整然と並んでいるのが見える。
大福を仔猫にする途中経過を見せてもらえるとのことで、喜び勇んで来てみたまではいいが、ちょこっと見せてもらうだけなのにもかかわらず注文が多い。
だが、それに応えないと見せてもらえないのだからしようがない。
ビニールの暖簾(のれん)をくぐると、その中は埃一つない、清潔を潔癖で味付けして整然と言う単語で煮染めたような場所だった。
今日見たかったのはビーカーの中に浮かんでいる細胞の塊だった。
ビーカーに浮かぶ件の半透明の細胞の膜が、大福の体の一部だ。
猫どころか、生き物かどうかなのもわからない。
目の前にあるのは、人肌程度に暖められているビーカーの中に浮かぶ、四角いクラゲだ。
沢田は、うちの猫のことを君付けで呼ぶ。理由はわからないが、彼なりの親愛の表現なのかと受け取っている。
大福の名は、真っ白な全身の頭と尻尾の付け根にほくろのような黒い点がいくつかあったから名付けられた。物心つく前から一緒で、ほぼ兄弟のように育ってきたのだが、俺の高校卒業を待つかのようにして死んでしまった。
そこで頼ったのが、理科部に入り浸って、顕微鏡と飼育ケースを常ににらめっこしているような生活をしていた沢田だった。
推薦で大学入学が決まってからと言う物、ネットにある文献とホームセンターで買えるような機材をかき集めて、高校じゃできない実験を繰り返している、と自慢していた。
ネットの情報がまだページやPDFなんかの形で流通していた頃の資料から、海外の専門メディアの資料なんかを片っ端からかき集めて、冗談半分に〝彼女を造る〟と息巻いていた。
理系男子でなおかつ大食い、毎日実験と資料の読み込みの繰り返しという生活を繰り返しているせいもあって、いささか白くむくみ、ひげも剃らないものだから顔が汚い。高校に入学し、同じクラスになって初めて顔を見たときからそんな感じだから、もともとの顔立ちに生活が合わさってそうなってしまったのだろう。
そういう基本的なところを直す気はないらしく、汚い格好のままなのだが、なぜかモテないことが腑に落ちてないらしく、世の中の女は見る目がないとぼやいている。
ぼやいているだけだったら罪はないのだが、だんだんと斜め上の方向に努力をするようになり、彼女を造る方向になびいていったのだった。
はじめ聞いたときは、今時そんなマッドサイエンティストみたいなことをするのか、と思ったのだが、話を聞いてみると慎重にやればできなくもない、だろう、との話で、要になるところに高い薬剤が必要になるぐらいで、あとは、清潔な道具をそろえればできる、と豪語している。
その話が流れ流れて、大福を再生させる話になった。
大福は高齢猫だけあって最後の時間はほぼ寝てるだけだったが、だんだんと食欲が落ちていき真っ白な毛並みもゴワつき、あばらの線が見えるようになっていった。
年末の気配がし始めた頃になると、自力で餌を食べるのも難しくなり、スプーンで少しずつ口に運んでやったりしていた。
街や駅ではクリスマスに向けての大がかりな飾り付けが始まり、ありとあらゆるところが赤と緑の装飾に包まれ、ケーキの予約やチキンの宣伝でざわつき始める頃、大福はその時間を止めた。
物心つく前からずっとそばに居て、ランドセルの中に忍び込んだり、一緒に昼寝をしたりした。
入試に向けてと夜遅くまで参考書と格闘している俺のそばで、神妙そうな顔をしてこっちを見たり、膝の上に乗っかってきて寝息を立てていたり、見守ってくれているのか邪魔しているのかわからなかったが、それでもそばに居てくれた。
大学生になれることが決定し、これから大福の面倒をずっと見てやれると思うや、起きられなくなり、自分で食事もできなくなりと、日の流れとともに別れの予感を感じながらも、まだ大丈夫だという一方的な願望のみの思い込みで、その時が来ないと考えていた。
一方、家が近いと言うだけで高校時代から付き合いのある沢田に冬の始まりぐらいに話をしているとき、うちの猫がもう天国に行っちゃうかもしれない、なんて話題を出すと、本気か冗談かわからないものの、細胞をいくつか渡して置いてくれれば、お前ん家の猫ぐらい造ってやる、なんてことも言われていた。
大福が〝猫生〟の歩みを止めたその日、やたらと風の強い日で、電車は運休や遅れが出るかもしれない、なんてアナウンスがネットニュースのトップになったりするぐらいだった。
家族で大福との別れを一通り悲しみ、特にかわいがっていた母親が泣いているのをどうしていいのかわからないまま父親がようやく落ち着かせた後、大福が気に入っていた箱の中に花やおやつなんかと一緒に寝かせてやり、少し落ち着いたところで沢田の言葉を思い出した。
大急ぎでメッセージを送ってみる。
〔前にうちの大福を造れるって言ってたの覚えてるか?〕
〔いま、うちの猫が虹の橋を渡った。まだ造れるか?〕
と送る。
数分もしないうちに、音声チャットのコールが入り、画面に目をやると沢田だった。
慌てて通話に出る。
沢田はこちらの応答も聞かず「これから細胞を取りに行くが大丈夫か?」と言ってきた。
何のことやらわからず、ああ、とかの曖昧な返事をしていると「大福くんの体の一部を切り取って、それをもとに造るけれども、切り取るのはいいか?」と念を押すように聞かれた。
何のことやらわからず、沢田に説明をしてもらい、やっと何をしたいのかがわかった。
けれども、正直、大福の体の一部を切り取るのは抵抗があったが、それを沢田は察してか「口の中の一部を少し切り取るだけだから、見えるところはなんも変化がないようにする」とは言ってくれたものの、うちの猫になんかしているのを親が見たら何を言い出すかわからない。そこで、こっそりとやってもらえないかとお願いをしてみたのだった。
沢田は少しだけトーンを落とすと「大福くんを造るけど、前と同じ大福くんを復活させるんじゃなくって、新しい大福くんができるってことだけど、それでもいいか?」と聞かれる。
大福が帰ってきてくれるならと、それでもいいと頼むと「じゃあ、さっそく始めようか」と通話を切った。
友というのは玄関を通らない。玄関の横から入ってこれる庭先に入り、キッチンとリビングの間にある大きくあいている窓の外にぬっと顔を出してくるのだった。
大福はタオルに包まれ箱に入れられている。
沢田はなでるようなそぶりで大福の口元を触る。硬直が始まっているからか、口を開けようとするには手では無理らしかった。何かしらの道具が必要になるだろうと考えていた沢田は、ペンチの先がとがったような形をしているラジオペンチを用意している。
問題は、口の中にラジオペンチを入れ無理矢理広げるところを家族に見られないようにすることだった。
そこで俺は、さも軒先に居る沢田に猫を見せているかのようにし、大福が寝ている箱に覆い被さるような姿勢を作った。
キッチンとリビングは今は俺と沢田だけだが、いつ親が入ってくるかは判らない。
万が一、急に入ってきても沢田の手元が隠れていればごまかせる。
沢田はそれを察しているのか、目隠しされている少しの場所で、目的としている大福の〝ちょこっとの部分〟を切り取ろうとしたのだった。
猫のアゴの力というのは想像を遙かに超えて強い。硬直してかみしめるようになっている力には、沢田のラジオペンチはまったく太刀打ちできなかったみたいだった。
そんなこんなでもたもたとやっていると、お袋が沢田がいるのに気付いて声をかけてくる。
それこそ、家族の中で一番めそめそしていたのだが、少し落ち着いて自分の部屋で大福の写真を探して戻ってきたところだった。
沢田が大福の一部を切り取ろうというのは、それを頼み込んだ俺ですら目をそらしたくなる。
そのお袋にこんなところを見られたんじゃ、半狂乱になってしまう。
察しの悪い沢田でも、大福を文字通り猫かわいがりしていたお袋の姿を見ていて、こんなところを見せられないと考えていたらしい。 窓から見てリビングの一番遠いところにドアがあり、そこが開く音がした。
お袋らしき物音に気付くと、ラジオペンチを口から離し、少し大福を持ち上げ、下になっているところの毛をペンチで少しだけつまみ、そして引っ張り抜いたのだった。
案の定お袋だったが、こっちに近づいてくる頃にはすっかりとペンチとかを見えないようにし、人差し指の背で優しく額をなでるような仕草をしながら、お袋と二三言葉を交わしていたのだった。
理系馬鹿だと思っていたのだが、こんな最低限の社交辞令ができるなんて、と、少し感心する。と同時に、普通の大人ならば問題なくできることを感心してしまうのもいかがな物かと考えた。
それはそれとして、大福を作るための素材は沢田の手元に渡ったから大丈夫かと一安心したのだった。
夕方になり、またメッセージが届く。
〔大福君はまだ家に居る?〕
大福は沢田が帰ってから少しもしないうちにペット用の葬祭業者が持っていき、ついさっき骨になって帰ってきたところだ。
返信する。
〔ついさっき、帰ってきた〕
すぐにコメントが飛んでくる。
〔焼いちゃったか!〕
通話の通知が届き、沢田の名前が画面に出る。
通話のアイコンをタップしてスマホを耳に当てるとする「大福くんの肉片でもいいから、何か残ってないか?」と沢田は聞いてくる。
普通、愛猫を弔ったら肉片は残らない。が、そこはスルーして「特に何も残してないぞ。お前が持っていった毛の束以外はない」と応える。
これだって、大福が寝たきりになってあちこちに床ずれのハゲががあるにしても、小指の爪ほどの新しい傷口は家族に気付かれてしまいそうだったので、大福の毛の色と同じような色の綿を傷口ぐらいの大きさにし、それをくっつけて気付かれないようにと祈るような思いで送り出したのだった。
「そうかー、焼いちゃったかー」と沢田がつぶやく。
「お前がとったのじゃ足りなかったのか?」と聞くと、そうではないと応える。
「足りないって訳じゃないけれども、確実に再現しようと思ったらもう少し量があった方がいいんで、追加できないかと考えたんだ」と言う。
よくよく聞いてみると、大福の毛の束と一緒に肌やその下の皮膚とかもいくらかは取れたという。必要な〝大福の一部〟は回収できたのだけれども、量が少なく、少し増やしてやらないといけない。何事もそうだが、と前置きをしつつシンプルな方が成功する確率は高いと言う。〝少し増やす〟というプロセスが増える分、うまくいかない可能性が増える、とも言っている。
「大福くんを再生するのに失敗はしないが、確実な道が造れるんだったら、もう少し細胞が取れるといいんだけどな」とのことらしい。
その話を聞いて「できそうなのか?」と端的に聞いてみると、沢田はいつものトーンで「やってみなきゃわからないが、おおかた大丈夫。ただ、時間ははじめの想定よりもかかるだろうな」と、なにやら事務仕事でもこなすかのような感じで返事をする。
こっちが心配しようが何をしようが、やってもらわなければ進まないので、ひとまず沢田がいいと考えるやり方で進めてもらうようにした。
「けれども、少しばかりお金がかかるんで、そこだけサポートしてくれ」と言われ、二つ返事で了解してみたら、遊ぶのに使おうと貯めといた貯金をほぼ全額使う羽目になったが、それでも大福がそばに居てくれるようになるなら、すんなりと出した。
「じゃあさ、しばらく待ってろ。いったん大福くんを増やして、それから造るから」
言っていることの意味はわからないが、沢田に任せる以外の道がない以上、やりやすいように進めてもらう以外はない。
そんなこんながあって、二月に入ったところで、沢田が納戸にこしらえた実験室で〝少し増やされた〟大福と再会することになった。
「そこにあるのは心臓の細胞になるように手を加えてあるから本番では使わないやつ。本番用はその隣の塊だ」と、案内してくれる。それはいいのだが、動いている薄い膜と、親指程度の白っぽい塊が大福なのだという。
「これが育っていって、大福になるのか?」と聞くと、その質問を全否定しつつも、これから何が起きるか〝大雑把な説明として受け取れ〟とのことで話してくれた。
「その塊から、大福くんになる予定の受精卵を造って、それを子宮に似たような水槽に入れて育てる。成功率があまり高くないから受精卵はいくつも造っといて育てるんで、もしかしたら大福くんが何匹もできるかもしれない」とのことだった。
成功率が低いんだったら大福が何匹もできるなんてことはないんじゃないかと聞いてみたら、沢田の口からは「植物の種を蒔(ま)くようなもんだ、絶対に芽が出る種じゃなくって芽が出たりでなかったりする種だから、たくさん蒔いてみて、そこから発芽したのを育てるような感じを考えとけばいいよ」との説明があった。
それから、半月もしない頃だ。
唐突にメッセージが入り〔どっかで、もう一回見に来れるか?〕と沢田からの声かけがあった。
その日の夜に沢田の家に行く。
そこで見せてもらったのは、大福の〝卵〟だという。
大福は種と言われてみたり卵と言われてみたり、猫としての自我がどっかに行ってしまうのではないかと思ったが、猫として造られているらしい。
沢田は一つ目の山を越えたから顕微鏡で覗いてみろと、何やら自慢げに言う。
沢田が言うには「古い型だけど使えるしやすいから」との理由で使い続けているカメラなしの顕微鏡をのぞき込む。まるで双眼鏡のようにのぞき込むレンズが二つ並び、円筒についたダイアルをいじりピントを合わせる。真っ白な光の中にカエルの卵のようなのがいくつも転がっていて、よく見てみると半透明な丸い塊は、まるでシャボン玉に包まれているかのような膜の中にうっすらと灰色がかったような塊がいくつかくっついて入っていた。
カエルの卵みたいだな、と言うと「そのカエルの卵の一つひとつが大福くんの〝卵〟だ。これからそれを育てていく」と沢田が言う。
「これが大福になるのか?」とつぶやくと、沢田は「人工授精ってニュースとかで見たことあるだろ? あれの受精後を作ったんだ。人工授精の場合は母胎に落ち着かせるんだけど、大福くんの場合はここから先は人工母胎で子猫にまで持っていくつもりだ」
沢田は説明してくれてるのか独り言なのか曖昧につぶやいて、ここから後は温度と栄養の管理の続けて安定させるのが主な仕事になるぞ、と、実験室に並ぶ機材を眺めながら言っている。
沢田は少しトーンを落とした感じで「念のために言っとくけど、大福くんが生きてた時のままで生まれてくるわけじゃないからな、大福くんが生まれるけど、大福くんとは違うからな」と禅問答のようなことを言っているが、大福に会えるならと「わかってるって」と返事をした。
実験室は大福を造る過程が変わるごとに機材の並びが変わり、この間までの試験管の見本市みたいな並びは片付けられ、いまは水槽のような容器の中に、点滴の袋みたいなの、それこそ水しか入ってない透明なレトルトの袋みたいなのがいくつか並んでいてそのそれぞれに透明なチューブがつながっている。。
「こいつが大福のお母さんたちだ」と袋を指して沢田が言う。
いちいち言われていることがわからない。
沢田は続けて「この袋が子宮と同じように卵を育てて、胎児にして、そして子猫まで育ててくれる。栄養とか酸素とかはこっちでやるんだけどな」と瓶ビールの通い箱を三つ重ねたぐらいの大きさの機材を見せてくれた。「簡単な仕組みだから」と手作りしたらしいが、何がどう簡単にできているのか見当すらつかない。
プラスチックのバッグには人差し指ぐらいの太さの管がその機械から4本づつつながっている。ぼんやりと、中に入っている液体とかを入れ替えたりしているのか、なんてことを考えてみたが、詳しい説明を聞いてもわからないことが増えていく一方に思えたので、この後、大福の卵がどれぐらいの流れで大きくなっていくのかを聞くことにした。
沢田は軽く確認するような口ぶりで「ここからは猫の妊娠と一緒だけど早めに出すから、1ヶ月ちょっとで出産になるだろうなあ」と言うと、こちらの方を見ながら「その間、毎日、人工羊水を追加したり、栄養や酸素のユニット交換とかあるんだけれども、お前も手伝ってくれないか?」と言う。
沢田はダメ押しをするかのように「バイトが終わってからで大丈夫だから」と続け、こちらの返事を聞かず「代えなきゃいけないものはメッセージで届くような仕組みが走ってるから、それを見ながらやってくれればとにかくどうにかなるから」と言う。「やり方はちゃんと説明するけれども、まあ、そんなに複雑ではないはず」と、大福の胎児を男二人で育てる流れになった。
それからは、バイトのある日も休みの日も沢田の家に通うようになった。
沢田の考えとしては、自分で対応できないときに俺がやるというようなバックアップ的な考えでいたらしいが、こっちは大福が育つ姿が見られるのだから毎日でも見たい。沢田の計算違いはそこだった。
ついでに言うと、ペットモニターがあり、いつでも様子を見ることはできるし、沢田が作った測定値の異常やなにか発生したらチャットで飛ばしてくれる仕組みがあり、前もって言われているとおりに通知を受け取ってその通りに動くだけでも良かった。が、やっと見えるぐらいの芋虫ぐらいの大きさでも大福が育っていると思うと毎日見ていても飽きない。
ソバの切れ端みたいなのに手足らしいのがくっつき、背を丸めているような格好でビニールバッグの中に浮かぶ。
人工の臍(へそ)の緒につながっているからか、宇宙飛行士が船外活動するかのような感じで、小さな宇宙の中に浮かんでいるのだった。
しかも、それが五つもある。
沢田が言うのには、この数というのは想像していたよりもかなり少ないらしい。
なおかつ、これから育てていっても、子猫の大きさになるまでに命が途切れる可能性もあるとのことだった。
それはそれとして、目の前には五つの大福がいる。
まだ、生き物かどうかわからないような大きさだが、大福だ。
毎日のように見に行くと、沢田家にとってもそれが当たり前にようになる。
初めのうちは家を訪れるたびに「夜分遅くにすいませんが」なんて言っていたが、そのうちに沢田のおふくろさんから〝期間限定〟とのことで裏口の鍵を渡されるようになった。
そのときのやりとりも間が抜けていて、沢田のおふくろさんに「毎日来るんだったら、いちいち対応するのも手間だから、通っている間はカギを使って」と渡されたのだった。
今時防犯とかそういうのはいいのかと思ったが、高校生に入ってからの付き合いなのもあり、するっと渡され、そして俺はそれを便利に使っている。
沢田は研究系のバイトをしているとのことで夜が遅い。
そのかわりに、メッセージツールへのアクセスが自由らしく、ちょっとしたやりとりは即答に近い形でメッセージが返ってくるのだった。
そのおかげで俺は〝毎日やってくる息子の同級生〟という立ち位置で、沢田のおふくろさんと話をする時間が長くなるのだった。
日課の計測や交換の作業はすぐに終わってしまう。
その後、何があるというわけではないが順調に育っている大福の姿を眺めていると、そこにおふくろさんがやってくるのだった。
個包装のお菓子を少しとコーヒーを持ってきてくれながら「これねぇ、毎日お水とか取り替えてるけど、魚か何かなの?」と聞かれるが、猫を造っているとは伝えにくい。
適当にお茶を濁すように「ええ、おおざっぱにはそんな感じです。もう少しで、かわいいのが出てきてくれるはずなんですよ」と、嘘ではないが本当でもない返事をしている。
猫の妊娠は大体九週間ぐらいとされている、つまりは二ヶ月とちょっとだ。
二週間ほどで生き物らしくなり、六週間もすれば胎児らしくなるのだという。
それでいまはそのだいぶ前半の、胎児になる予定の細胞を育てているところだ。
沢田からの説明はさっぱりとわからなかったのだが、沢田が言うには「ほら、昆虫の蛹(さなぎ)ってあの中で全部の細胞が分解されてもう一度組み立てられているの知ってるだろ? (首を横に振る俺を見て)まあ、そうなってるんだけど、それに近い感じで、大福の細胞を増やして、その上で分解して、大福の大元の卵の状態にまでして、それで育て直しているんだ」と語るが、最初から最後まで話がつかめなく、その後の説明の「大福くんのお母さんのおなかを再現して、赤ちゃんの大福くんを造るってこと」との一言だけがやっとわかった。
沢田の説明は続いて「ここに入れる前は、まあ、化学の実験みたいなもんで、肉眼で見えにくい反応と成長が続いてるから、それが考えているとおりに動いているかを見てるだけなんだけど、心臓らしき物ができて少し成長すると大福くんの胎児になる。そこからは万が一やり直すようなことがあったら命を無駄にすると言うことだから、神経を使った」と、息巻いていた。
沢田は「植物なんかは造ってしまえば後は勝手に育ってくれるから、まあ、楽なもんだ。猫は目すらあいてないところからの世話だから、大変だと思うぞ」と言う。が、子猫の世話なんて物は大変さと引き換えに中毒的なかわいいが毎日朝から晩まで浴びることができる。
沢田は続けて言う「多分、生まれて出てくるまであっという間だから、準備しとけよ。生まれた後は、世話のタームだからな」という。さらの「繰り返すけど、一匹だけ造ろうとしても無理な話だから、普通の猫の出産と同じようにたくさん生まれるのも覚悟しておけよ。大福くんの集団ができるからな」と念を押されるが、実感はなかった。
沢田の言うとおりに、二か月はあっという間で、撮影した画像を拡大したところで寸詰まりのミミズみたいだったのが、足が伸び尻尾が伸び耳ができ、毛が生えとし、あれよあれよという間に子猫の姿になったのだった。
出産の日は沢田の「おまえの都合に合わせる」との一言で、金曜日の夜にした。
そうすれば、土日と一緒に居られるからだ。
まるでテレビや映画で見る点滴の袋のようになにやら子難しい名前がありそうな液体が入った透明な袋にチューブが何本が伸びている。そのうちの一本は子猫まで伸び、その透明な袋の中ですやすやと寝ているのだった。
時々伸びをしたり寝返りでもうっているつもりなのか、体を動かしたりしている。
ただ、ものすごく小さい。後ろ足というか子猫のお尻から頭まで人差し指ぐらいの長さしかない。そこに申し訳程度の尻尾が着いている。
この子猫も、はじめは毛がなくピンク色の芋虫みたいだったのが、少しずつ毛が生え、顔立ちも猫らしくなり、子猫の持つ魔性のかわいさが日増しに出てきたのだった。
出産日までもう少し、と身構える。
身構えると言っても、やることはほとんどない。生まれたばっかりの新生児猫を受け入れる準備をするだけだ。
成猫ならば大福の経験があるから、何があればすぐに見当がつくが、猫の赤ちゃんとなると勝手が違う。ミルクを飲ませるためのスポイトやなんやとご飯を食べさせるだけでも勝手が違う。それにもう一つ、沢田から言われているのが「難しいとは思うけれども、子猫の乳母を見つけてやれると、大福くんたちの健康にいいかも」と言われている。
沢田は「病気やウイルスなんかに対抗するための免疫は母猫の乳からとるのが一番だけど、まあ、薬で与えることもできるから」と言う。
育児中の猫を都合良く見つけ出すことはさすがに無理で、沢田に薬を頼む。
子猫たちを迎えるのは、俺と沢田が早退し、沢田の部屋に集まってからだった。
大福との感動の再会というのにはいささかあっさりとした行程の連続だった。
まずは、人工子宮にしていた透明なバッグをお湯、それも猫の母胎と同じ温度にしていたお湯、から取り出す。
羊水をためておくためのバケツを用意する。
あとは、子猫を受け止める清潔なタオルを用意する。
タオルについては、ペーパータオルでいいと言われ、大量に買い込んであり、すぐに使えるように入れ物から出して山のように積んである。
普通の猫の出産とは勝手は違うが、それでも汚れるかと思い安いTシャツを買い、この場に挑んだ。
沢田はというと、医者が着るような白衣を着ている。テレビで見ているイメージと違うのは、袖にゴムが入っていて、たくし上げても止まるところだ。
沢田はぼそっと「さ、お産しようか」という。
バッグから取り出すところまでが沢田の仕事で、出たあとは俺が処理する流れになっている。
沢田が言うには「全部うまく育ったなぁ」との感想で、五匹分のバッグが温水に浮いている。
いよいよ取り出す。
沢田は一匹ごとのパックに入った子猫を温水から取り出し、ペーパータオルで軽く表面の水をとるとへその緒代わりの管に金属製の洗濯ばさみみたいなのを二つ挟み、中の養分や羊水の流れを止め、その洗濯ばさみの間をはさみで切る。
それから素早く、四角い金属トレイの上に移すとレトルトカレーを開けるかのように、ぽろっと子猫を外に出したのだった。
まだ目も開いてなく、首を動かすのもやっとで、鳴き声だってか細い。
濡れている子猫を俺がペーパータオルで包むようにして乾かしてやり、新品のタオルをひいた箱の中に置いてやる。
本能が親猫を探しているのか、懸命に鳴いている。流れ作業のように六匹の大福を取り出すと、沢田は改めて子猫を一匹ずつ持ち上げ観察をしている。
鳴いている口の中から手足の作り、腹のあたりを探ってみたりしている。
あまりにも神妙な顔をしてやっている物だから「なあ、沢田、子猫たちは問題ないよな」と話しかけると、子猫の体を確認しながら「ぱっと見、おかしなところはないし、元気そうだから、たぶん大丈夫だと思うんだけどな」とつぶやく。「たぶん?」と聞いてみると「造って生むところまでは責任は持てるけれども、この後の成長についてはなんともわからんなあ、免疫系がちゃんとしてくれればいいけれども」と頭の中にある不安の種を蒔いていく。
製造者としての責任を感じたのか、沢田はさらに付け足してくる「免疫と言ってもわかりにくいから、病気になりやすいかどうかだが、はっきり言ってわからん。できることは母猫からもらうはずだった病気に対する抵抗力を薬で与えるぐらいだ。体は問題なさそうだけれども、病気に対しては抵抗力があるかどうかわからない。だから、全員病弱な子だと思って育てれば、まあ、命に関わることはないだろうと思う」と、言うと、子猫の扱いをさっきまでの検品作業みたいな見方から一転して、小動物をかわいがるそぶりでちょっかいを出すのだった。
「子猫を育てた経験はあるんだろ?」と言われたが、それも大福が小さいときの話で、物心ついた頃にはそばに居た。
とはいうものの、大福の喜びそうなものも見当がつく。
そんなことを思っていたが、沢田はきっぱりと「セオリー通りに行くところもあれば行かないところもある。特に生物的な成長についてはどうなるかわからない要素が多すぎて、予想できないところだらけだ。まあ、これだけ元気に鳴いてりゃ心配は少なそうだけどな」と言う。
そういう物なのか、と思いつつも、かといって何を対処すればいいのかも見当がつかないんじゃ、なんてことを考えながら、生まれた子猫たちの羊水を拭き取り、乾いたタオルで包んで優しくもみほぐすかのように毛の湿り気をとっていく。
模様がだんだんとはっきりしてくる。
大福は白い中に黒い水玉がまばらにあったからからその名前が付けられたのだが、黒い水玉の位置が大福とは違う。
水玉もはっきりした子もいれば、黒い点の中に白い毛が混じり込みなにやらはっきりしないのもいる。
「大福くんから造ったけど、大福くんがそのままできるわけじゃないぞ」と何度も念を押されていた。
この子たちはこの子たちでかわいい。けれども、大福とは違う子たちだ。と思うと同時に、沢田から何度も言われている、大福くんの設計図を使ったからって、同じ姿や模様ができるもんじゃない、というのがやっと、目の前の大福から造った子猫でわかった。
子猫のかわいさは問答無用で頬を緩ませる。
けれども、小さかった頃の大福との劇的な再会、というのとは全然違い、新しい子猫たちとの出会いというのが気持ちの中にある動きだ。
今日、俺は子猫六匹を迎える。
大福の子は仔猫 北緒りお @kitaorio
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