押し売りの壺

香久山 ゆみ

押し売りの壺

「きみが真面目すぎるからだよ」

 男はそんないい加減なことを言う。

「仕事もしっかりこなすし、悪口だって言わない。なのに人と打ち解けないのは、きみが真面目すぎるからだ」

 真っ直ぐに私を見つめて言う。

「みんな怖いんだよ。真面目なきみに向き合うことで、自分自身のボロが出てしまうのが」

 にこりともせず真面目くさった表情で。いや、心なしかにやついているような気もする。

「だからね、きみはもっと自分の思ったことを言った方がいい」

 無茶を言う。

「思ったことを言う相手は誰だっていい。直接その相手でなくたって。恋人でもいいし、友人でもいい」

 私には恋人も友人もいない。

「僕でもいいし。もし誰にも言えないのなら、ほら、壺の中に言いたいことを吐き出したっていい!」

「そんなこと言ったって、壺なんて買いませんからね!」

 私はぴしゃりと男に言う。テーブルの上の大きな壺を挟んで正面に座る男は「あちゃー」とか言いながら頭を掻いている。

 会社の裏のゴミ捨て場で壺を見つけた。大きくて古めかしい、もしかしたら骨董品として値がつくんじゃないかという立派な壺。でも、私には必要ない。1Kの小さな部屋には不用品だ。素通りしたところ、あとから男が追いかけてきて、私を呼び止めた。「壺を買ってくれませんか」と言う。もちろん断った。が、男はしつこく、気づくとずるずると喫茶店で話を聞かされる羽目に。

 はじめ「十万円」とふっかけられた壺は、「一万」になり「千円」になり、ついには「タダでいいからもらってください」だと。

「十万だったものがタダだなんて、すっごく怪しい。いらないです」

「いやいや、タダだと怪しいかと思って値をつけただけで。本当にもらってくれるだけでいいんだ」

「全然いりません」

「でも、本音を言える相手が必要だろ」

「本音を言える友人はほしいかもしれないけれど、壺はいらないです」

「あ、なら、恋人がほしい? 親友とか」

「べつに。恋人とか友人とか、職場の同僚とか。人間関係は面倒くさいし」

 男は「壺の精」だと言う。三つの願いを叶えなければならないらしい。そこで人生に不満を抱いてそうな私に目をつけたのか。

 でも、いらない。私はなにもいらないし、欲しいものは自分で手に入れるし。

「いやいや、そういうところがさ。もっと誰かに頼らなきゃ」

「そりゃあ上手く頼れるならいいけれど、私口下手でかわいげないし、一人でもできるし、なんなら一人でやったほうが早かったりするし。べつに困っちゃいないもの」

「ほらほら、そういうところがかわいくない。男も女ももっとかわいげがないと、ねっ?」

 男は隣の席の客に同意を求める。突然同意を求められた老紳士は驚いている。

「いきなり、ね? とか言われても困りますよね、ね」

 男の無礼を詫びるのも忘れ、私も援護を求める。老紳士は、穏やかな苦笑を浮かべながら鷹揚に答えてくれた。どっちかというと男よりも老紳士の方が「壺の精」って感じだ。

「確かに、かわいげというのは重要だねえ。特に社会人には。あれば大いに得をする」

 私はがっくり項垂れる。男はふふんと鼻を鳴らす。

「でもね」

 老紳士はにっこり笑って続ける。

「お二人の会話はこちらにも聞こえていましたが、彼女は大変かわいらしい人だね。今のままで十分に魅力的だと思うよ」

 他人に褒められこそばゆいが、今度は私が鼻を鳴らす番だ。

「ありがとうございます。ほらね、このままでいいって。だから壺なんて買わないよ」

「うん。そうだね、了解。じゃあ僕はこれで帰るよ」

「え、あ、うん、あれ、ちょっと……」

 驚くほどあっさりと。突然の終結宣言におろおろする私を尻目に、男が微笑む。

「本音を言う。人に頼る。そして、壺は買わない」

 男は指を折って数える。三本。

「きみの三つの願いだ」

 確かに。私はこの男に飾らぬ言葉で話した。老紳士に援軍を求め助けてもらった。そして。

「じゃあ、僕はこれで。短い時間だったけど楽しかった。ありがとう。本音のきみは確かにかわいいよ。無防備で。だから隠そうとするのかもしれないけれど」

 男が真っ直ぐに私を見つめて微笑む。真面目くさったやさしい微笑で。

 男はそのまま席を立ち、壺を抱えて入口から出て行った。

 私はぼんやりとその姿を見送る。

「痴話喧嘩かい? 仲直りは早い方がいい。すぐに追いかけなさい」

 老紳士に心配げな声を掛けられてようやく我に返る。「いえ、べつに痴話喧嘩とかじゃないですし」と答えたものの、老紳士があまりにしつこく追いかけろと言うものだから、私は駆け出した。けれど、ドアを開けた街並みはいつも通りで、男の姿はもうどこにも見つからなかった。

 呆然と喫茶店の入口に立ち尽くす。自分の中に生じた喪失感に戸惑いながら。

 こんなことならもっと違う願いをすればよかった。

 そう思ったが、自分がそう思う理由が分からない。ならどんな願いならよかったのか。

 そうして、それ以来ずっと壺を探している。仕事帰りの街角や、休日には少し遠出をして。似た壺を見ると思わず買ってしまう。あれだけいらないと言った壺を買っている。ふふ、あいつ、商売上手だったんだな。

 でも、三つの願いはちゃんと叶えられていないのだから、男はまた私のもとに現れるはず。だって、私の願いは「本音を言う」ではない。「本音を言える友人がほしい」と言ったのだ。友人ならこんな風に姿を消してはいけないでしょう。だからまた彼に会えると信じているし、今度は彼の話ももっとちゃんと聞いてあげようと思う。友だち、だから。

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