第6話 ベーサーは、優しい眠りに落ちる。
入るときに少し手間取ってしまった。だって宿泊案内モニターのUIがまじでくそなんだもん(システムエンジニア並みの感想)!違います。だってこんなところ来たの初めてだったんで…。
「ここが…あの…?!」
琴名さんは興奮気味に部屋の中を見回していた。
「え?本当に…見せられ…ちゃうの…?」
逆に清水さんはぽけーっとした表情のまま固まっている。琴名さんは部屋の中を物色してベットの枕もとの台にあるビニールの謎のパッケージを手に取り真剣な表情で見詰めている。
「どっちにしろ遅かれ早かれ経験することなのよね…そう、早いか遅いかだけ…よし…!」
何がよしなんだろう?琴名さんは俺の方に近づいてきて言う。
「こういう時ってどっちが先にシャワー浴びるの?!」
「さあ。こういうところ来たの初めてなんでわかんない」
「じゃあ私が先に入る!!絆創膏を用意して待ってて!!」
絆創膏を何に使う気なの?止める間もなく琴名さんはシャワールームに入っていった。そしてシャワーのざぁーって音が響く中で清水さんと二人部屋に取り残された。すごく気まずい空気を感じる。だけどその空気は一瞬にして消えた。清水さんが俺の袖をぎゅっと掴んでいた。
「ほんと…に…せっくす…見せるの…?」
俺のことをウルウルとした瞳で見つめてくる清水さんの顔にはどこか哀しそうなニュアンスを感じた。
「いや。そんな気はさらさらないよ。ただ静かなところに来て頭冷やしたかっただけ」
本来なら頭を冷やすような場所ではないのだが勢いって怖い。俺はとりあえずソファーに座って息を整える。
「清水さんも座りなよ」
「…は…い…」
俺は普通に勧めたつもりだった。なのに清水さんはなぜかソファーに座る俺の太ももの上にまたがり両手を俺の肩に乗せるようにして座った。
「ちょっと待って。どんな座り方やねん」
「え…こういう…ところ…ではこうやって座るのがいいって…わたしのチャンネルの…コメ欄に…あったから…」
「ネットの意見を真に受けちゃダメだよ」
世代差ってやつだろうか。若い子はネットの意見を疑いもなく受け入れるから怖い。俺は清水さんのおでこを人差し指で軽く弾く。
「きゃ…!」
「普通に隣に座りな」
清水さんは俺の太ももから降りてちょこんと俺の隣に座った。
「さっきまではすごい勢いでしゃべってたと思うんだけど」
『さっきのあれってこれかな?』
さっきのやんちゃそうな声が清水さんから響いてきた。取り出したスマホにVRのキャラが映っている。
「最近流行りのVtuberってやつか。趣味かな?好きなの?」
『おうとも。わたしのトークでオーディエンスを煽れた時が最高に痺れる!』
「なかなかいい趣味してるね。でも気持ちはわかるな。俺もこの間初めて路上で弾いたけどオーディエンスの心を掴んだって実感したときは気持ちよかったし」
『ああ!最高に気持ちいい演奏だった弾正さん!わたしのチャンネルでも推しまくっちゃったよ!』
「そうなんだ。それは嬉しいね。で、ちょっと聞きたいんだけど。俺らのことストーカーした?」
俺がそう聞くと清水さんはばっと視線を反らした。冷や汗をかいているように見える。
「あえてストーカーしていた理由はこの際問わないから両親にばらすのだけはやめてくれないかな?」
そう言うと清水さんがむーっと唸りだした。やべぇこいつ本気で暴露する気満々だったみたいだ。顔は可愛いのにえぐ過ぎない?
「ふむ。まいったねぇ。じゃあほんとのこと言うけど、君が疑った通り俺と琴名さんは偽のカレカノなんだ。両親を安心させたくてね。俺が琴名さんにお願いしてる」
それを聞いた清水さんは真剣な顔で心配そうに地声で呟く。
「わたし…心配です…お金とか…取られてるのかとか…弄ばれ…てるとか…」
「むしろ俺が迷惑をかけてる側だよ。だからこれ以上の迷惑を彼女にはかけられない。お願いだから彼女に迷惑をかけることだけはやめてほしい。あと両親への嘘も壊さないで欲しい」
俺は頭を下げて清水さんにお願いする。正直に言えば慈悲に縋るほかない。
「そんなに…あのひとが…大事?」
「ああ。同じバンド仲間だからね。大事だよ」
「バンド…仲間…」
清水さんは俯いている。どこか暗い顔を浮かべている。VRアバターを俺の方に向けて捲し立て始める。
『バンド仲間なんて爛れてるよ!きっと挨拶代わりにセクロスして、葉っぱキメてラりってうぇーいしながら演奏するような薄汚い陽キャだよ!』
「いや。それは流石に偏見だと思うぞ」
まあ俺もぶっちゃけそういう偏見が今でもないわけじゃない。なんか打ち上げでバンギャと乱交パーリィーしてるイメージとかないわけじゃない。
『そんな連中と一緒に演奏するくらいならわたしのためだけに演奏して!お金なら投げ銭でいっぱい稼いでるの!それを全部あげるから!わたしのためだけにベースを弾いて!』
ちょっと心が揺らいだ。ここまで俺のベースを好きって言ってくれる人は初めてだから。
「ついでに…その指でわたしの乳首を…スラップして、×●▲を…オルタナティブピッキングで…弾いてください…」
あっこいつやっぱりやべぇ奴だ。顔を赤くしてもじもじと恥ずかしがっている。可愛いけどなんかキモい。なんだろう?顔もスタイルもいいのに残念さえも通り越しているよ。
『そうだ!逆に見せつけてやろうよ!弾正さん!わたしの体はあなた専用ベースです♡いっぱい奏でてください!』
清水さんはベットの上で悩まし気なポーズを取っている。ついでにスマホのVRアバターもエロいポーズをシンクロして取っている。そのくびれを強調しているポーズはベースの形へのリスペクトかな?どうしよう?このバカをどうにかできる自信がなくなってきた。その時ふっと視界にカラオケのマイクが見えた。
「あっ?!これが伝説のラブホのカラオケ?!」
まだ若かりし頃に早めの初体験を決めた奴が『ラブホにはカラオケがあるんだぜ』とか自慢してたけどまじであったのか!ちょっと楽し気な気持ちになってしまった。
「清水さん!どうせここに来たのだから元を取ろう!カラオケしようぜ!」
俺はベットの上でポーズを取る清水さんの方にマイクを向ける。するとなぜか清水さんは顔を赤らめてマイクの方に舌を伸ばしてマイクを両手で握る。
「はじめて…だけど…がんばるね…」
「期待していた反応と違う!!」
だけどマイクは持ってくれた。俺たちは操作盤を弄って歌えそうなデュエット曲を探す。そしてお互いに知っていたVtuberのテーマソングを二人で歌うことにした。
「「♪♪♪~♪」」
俺はちょっと無理のある裏声っぽい声で歌っているからあんまりうまくはなかった。逆に清水さんの歌は激うまだった。リズムは狂いなく音程も完ぺき。そして何よりもその声がとても綺麗だった。それだけじゃない。清水さんは調子が出たのか、ラップソングを入れた。
「(なんか韻を踏みまくっている歌詞)♪」(ついでにベットの上で飛び跳ねているのでスカートがめくれて黒ストッキング越しの白いパンツがちらちらしている)
早口な歌詞をクリアな発音で鮮やかに歌い上げる。それだけではなく感情さえもうまく乗せていた。そしてさらに清水さんは曲を入れる。
「(凄まじいデスボイス)♪」
デスメタルの渋い曲調に合わせて迫力のあるデスボイスを叫んでいる。なんでこんな声が出せるのか不思議でしょうがない。てか俺に順番回してくれないの?その時ふっと気がついた。シャワーの音が止んでいることに。ぴとぴとと音が響く。振り向くとそこにはタオルだけを巻いた琴名さんがいた。彼女の目はまるでハンターが罠にかかった獲物を見るかのような獰猛なものだった。そしてニヤリと唇を歪める。俺はその笑みに恐怖した。
「見つけたぁああああ!!!」
「きゃっ?!」
琴名さんはベットの上に清水さんを押し倒してその上に覆いかぶさる。
「はぁはぁ…こ、これって運命よね?逃がさない!」
「い、いや!はじめて…弾正さんが…いいよ…助けて…!」
清水さんは首を振っている。そして俺の方に助けを求めるように顔を向けている。
「あなた。わたしのバンドに入らない?」
それは勧誘だった。怯えていた清水さんは首を傾げている。
「もしかして今のカラオケ聞いてた?」
「ええ、よく通る声だったからシャワー室にも綺麗に響いてた。すごい歌声ね…すごくすごぉおく欲しいわ」
獰猛な笑みを浮かべる琴名さんはなんかおっかない。
「い、いや…!」
それでも清水さんはきっと睨んで断った。
「じゃあ特典として弾正さんとセックスできる回数券をプレゼントするわ」
「はいります」
「おい」
なんかナチュラルに俺が売り払われたのだが?
「え?駄目なの?こんなに可愛いことセックスできるのよ。男の人っていつも頭の中で精子作りながら考えてるんでしょ?」
「あいにくさぁ俺童貞なのよ。それも高齢童貞。いきなりセックスとか言われても割とマジで困る。経験ないから自信ない…」
いやまあそういう問題ではないのだが。でもいざことに及んでがっかりされたらショックじゃん?その可能性が1%でもあるならそんな特典は認められない。
「あの…!わたしも…経験ない…から…!いっしょに…がんば…りましょう…!」
「庇われてるのがみじめになるぅ!…だけど…たしかにそうなんだよな」
この子の歌声は美しい。そしてどこか人を乗せるエモさが宿っている。彼女の歌声は高音域にある。なら俺のベースの低音域でそれを支えたらどれだけ気持ちいい音が奏でられるだろうか?俺は琴名さんを清水さんの上からどかして代わりにその上に覆いかぶさる。
「清水さん。君の声は綺麗だ。君の声を俺のベースと一緒に奏でさせろ」
お願いじゃない。これは清水さんへの命令だ。もう決めた。この子のボーカルでバンドしたい。
「…は…い…よろしく…お願い…します…」
清水さんはどこか甘いニュアンスの笑みで頷いてくれた。
ばかばかしい騒動の中で俺たちはとっくに終電を逃していた。自然と女子たちはベットで俺はソファーで眠ることになった。だけど俺の目はまどろみつつもどこか冴えていた。昔の空気を思い出す。うつ病は不思議な病だ。眠いのに眠れない。不安ばかりが頭を行きかい、終わらない絶望に興奮し続けるのだ。地獄の時間。それは大抵楽しい時間があったあとに反動が来るように思える。楽しければ楽しい程虚しさばかりが募るのだ。このラブホテルはかつては憧れた場所だった。恋人と入っていちゃいちゃしてドキドキしてセックスする場所だろう。ここではそういう楽しいことが行われる。だけど俺には無縁の世界だった。それが酷く心を苛む。他人の青春っぽい出来事を見てしまうたびに、絶望は訪れる。なぜ俺にはそれが与えられないのだろう。友達も、恋人も、やりがいも、思いでさえも俺の人生には与えられなかった。今日は大変だったけど楽しかった。だけどそれがなんで昔に怒らなかったのだろう。十年前、二十年前の若かりし頃の自分にどうしてこういうイベントが起きなかった?なんで今なんだ?うつが寛解して初めて人生の喜びが訪れた。だけど心の片隅は乾いている。もっとむかしになんでそれを与えてくれなかった?だから俺の人生は周回遅れになっている。かつての同級生たちは家庭を持ったり夢を叶えたりして大人になっていっているのに、俺はここで若くもないのに若人と同じようなことをやっている。その恥ずかしさに惨めさに。涙さえも出ないのに。心が闇に沈んでいくんだ。
「眠れないの?」
それは琴名さんの声だった。ベットの方から聞こえてくる。
「ああ」
「いつも眠れないの?」
「そんなことはないよ。酒を眠くなるまで飲んだり、眠剤を入れたりしてちゃんと眠ってる」
眠剤で入る眠りは心地の悪い痺れと起きたときのだるさが嫌いだ。
「そうなの…。ねえこっちに来てよ」
琴名さんはかぶっていた布団を開いた。
「一人分くらいのスペースならあるよ。一人で寝れないなら、一緒に寝てあげる」
その瞬間瞳が濡れた。かつて一人ぼっちで眠れない日々を何年も過ごし続けた。だけど初めてその夜に誰かの優しいことばを聞いた。今この瞬間は俺は一人じゃない。俺は琴名さんの傍に横たわる。彼女は布団を俺に優しくかぶせてくれた。そして頭をぎゅっと抱きしめてくれた。柔らかい感触がとても暖かくて優しく感じられる。
「私はあなたのバンド仲間だよ。だからね。寂しかったら言って。ぎゅってしてあげるから」
「うん。…ありがとう」
背中にも柔らかさを感じた。清水さんの手が俺の背中を優しく撫でくれている。初めてだった。一人じゃない夜は。俺は鬱になって初めて、薬にも酒にも頼らずに眠りに落ちることができた。
***作者のひとり言***
清水さんを動かすの楽しいぃ。
この物語は一人の人間がやさしさのなかで立ち上がる癒しの青春の物語になってほしいなって思って書いております。
おっさんの俺がベースを始めたら、拗らせ女子たちが集まってきてバンド組むことになった!! 園業公起 @muteki_succubus
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