第5話 ベーサーは、修羅場る!

 バンドメンバー探しの合間に俺は琴名にさっそく偽カノジョ作戦を頼むことにした。やることは簡単。俺の家に行って両親に挨拶してお喋りして貰うくらい。そんだけ。なのに…。


「なんでお前スーツ着てんの?」


 最寄り駅に琴名を迎えに行ったとき、彼女はタイトスカートの地味なビジネススーツを着ていた。


「え?彼氏のご両親にご挨拶するのならスーツを着るものじゃないの?」


 そうかなぁ?世間様で彼女を親に紹介するときにはおしゃれはしてもスーツは着ないと思う。でも着替えろと言っても仕方ないし。これでいいか。俺は琴名を連れて実家に向かう。


「ここが俺んち」


「立派なお家ね。太いの?」


「俺んちは地主系なんだよね。マンションとかテナントビルとかで収入がある。両親は余った土地で農業やってる」


「ますますあなたが結婚できない理由がわからないのだけど?」


 琴名さんは俺を怪訝そうな目で見ている。まあお金持ちのくせに結婚できないってのはなかなかアレなやつ扱いされても仕方がないかもしれない。


「あなたって実はすごく性格悪い?じゃなきゃ結婚はおろか彼女さえいなかった理由がまったくわかんないんだけど」


「性格が悪いか。まあそうかもしれない。俺は若いころから重度のうつでね。最近になって開発された薬のお陰でやっと寛解したんだよね。うつって怖い病気でさ、彼女を作るどころじゃないんだよ。自分がまず死なないで生き延びることに必死なの」


 毎日毎日が根拠もない恐怖と不安との戦いだった。何をやっても失敗と死の気配ばかりを覚える日々。寛解してやっと楽しい、嬉しいという感情を俺は知ったと思う。


「…そう。病気ね…。つらいわね。自分ではどうにもできないことで不幸になるのって嫌よね。すこしだけど気持ちはわかるかもしれないわ」


 俺のことをどこか優し気に見詰める琴名さんだけど、俺はその顔いろの中になにか悲しみを感じた。大学に通っているとは言えども、水商売もやっているあたりに彼女も何か事情があるのだろう。もしかしたら俺たちはお互いに自分ではどうにもできなかった事情で人生を捻じ曲げられた被害者同士なのかもしれない。それでシンパシーを覚えても別にかまわないだろう。


「いらっしゃい!あなたが琴名さんね!初めまして!」


 俺の両親は琴名さんを実に嬉しそうに出迎えてくれた。美味しいケーキに最高級のお茶とで歓談することになった。


「音大に通ってるんですって?素敵ね。ピアノがお上手とか」


「そうですね。特技というくらいには上手いつもりです。でもまだまだです。それで食べていけるわけではないので」


「あらそうなの?音楽って大変なのね」


 母は楽しそうに琴名さんの話を聞いていた。美人で趣味もピアノで可愛らしいから母にとっては好印象なのかもしれない。


「でもうちに入れば、お金の心配はしなくてもいいわよ別に。好きなだけピアノをしたらいいわ。それくらいの稼ぎと蓄えなら十分あるもの。うふふ」


 おっと!遠回しだけど嫁に来いって言ってるぞ。ちょっとまずいな。適当に歓談して、あとで別れたっていうつもりなのにここまで気に入られちゃうと正直困る。俺は琴名さんに適当にはぐらかしてもらうつもりで視線を送ったのだが、彼女は微かだがどこか怒っているような雰囲気を感じさせた。


「それは遠慮しておきます。私は音楽で食べていきたいんであって養われたいわけじゃないんです」


 場の空気がいきなり冷えた。琴名さんの声にはどこか冷たさを感じた。


「そうです。私のピアノはまだまだなんです。他人を圧倒して金を吐き出させるようなパワーはまだないんです。それなのに誰かに養われるなんて甘ったれたことをしたら腕が錆びちゃいます。音楽するのに甘えは許されないんです。私にそんな余裕はない」


 俺の両親は琴名さんの修羅みたいな言葉に戸惑っていた。まだ若い女の子から覚悟ガンギマリな台詞が出てくれば、そりゃ誰だってひくと思う。俺だって若干引いてる。


「琴名さん。俺の部屋に行こうか。父さん、母さん。お話はここまでってことで」


 俺は琴名さんの手を引っ張ってリビングを出て自分の部屋に向った。部屋に入ってデスクチェアに座ってため息を吐く。


「途中まではよかったけど、最後のあれはなに?結婚の話が出てきたら適当に流せって頼んだつもりだったんだけど?」


 琴名さんは額に手を当てて、悔いているような表情を浮かべている。


「そうね。失敗したわ。ごめんなさい。でもどうしても想像しちゃって我慢できなくて」


「何を想像したのよ?」


「あなたと結婚してこの家に嫁入りした後の生活」


「それを想像して我慢できないって言われるの俺ちゃんけっこうきついんですけど」


 それってつまり俺がありなしでいうとなしってことだよね?別に琴名さんと付き合いたいというわけではないが、露骨になし扱いされるのは辛い。


「あ、あの!そういう意味じゃないの!むしろね。たぶんあなたと結婚してここで暮らしていくのって楽しいと思うの。だけどね。きっとその代わりに私の音楽は駄目になる。そう思っちゃった」


「音楽が駄目になる?自分でいうのもなんだけど、俺と結婚して豊かな生活を手にすれば音楽する時間は増えると思うよ。今みたいにキャバやって学費や生活費を稼ぐ必要もなくなる」


「お金のあるなしとかじゃないの。余裕のあるなしでもないの。誰かに頼るのが駄目なのよ。じゃなきゃ私はなんのために独り立ちしたのかわかんなくなっちゃう」


 この子はどうやら親とうまくいっていないということは俺も察している。なんかそのせいで思考に枷をかけているような印象も受ける。だけどそこに踏み込むには俺たちはお互いを知らない。


「わかった。まあいいよ。今日はありがとう。両親もこれでいい夢が見れただろうさ」


「そうならいいけど。ちゃんと彼女を作って結婚できるように頑張った方がいいんじゃない?」


「自信ないな」


「そう?でもこれからバンドやってけば女の子との出会いも増えるし、めっちゃくちゃモテるようになるわよ。ってあれ?これってもしかして」


 琴名さんは部屋の隅に飾ってあった俺のNゲージに興味を示した。


「もしかしてベーサーさんは鉄オタってやつなの?」


「違う。俺はそれを走らせるのが好きなの」


 俺はクローゼットを開けて、中から家やビルや橋などのジオラマのセットとレールを取り出して床に並べる。そして飾られていたNゲージの車両を走らせる。


「見てよ。いいでしょ!この街の中を走る電車がかっこよくてさ!この家とかビルは俺が造ったんだ!」


 うつの時代からNゲージは好きだった。ジオラマを作っている間は不安や恐怖から逃れられた。作ったジオラマの街が広がっていくことに不思議な達成感を感じていた。だけどその喜びを誰かと共有したことはない。ふっと気がついたのだが、そもそも女の人ってこういう趣味を嫌がる人が多いと聞いている。キモい奴扱いする人も多いとか。俺は少しビビりながら琴名さんに顔を向けた。すると彼女は優し気に笑っていた。


「今のベーサーさんの顔素敵だったわよ。すごくかわいかった。そういうところを女の子に見せられればきっといい人があなたを好きになってくれると思うわよ」


 琴名さんは俺の隣にしゃがむ。


「これどうやって動かすの?私もやっていい?」


 俺はそれを聞いて頷きながら彼女にコントローラを渡す。


「あはは。ほんとに走ってる。かわいいわね。ふふふ」


 楽し気にNゲージで遊ぶ琴名さんの横顔は不思議と可愛く見えた。この子が本当に彼女だったらきっと楽しいなって思ったのだ。








 琴名さんを送っていくとき、どうせなら池袋で飲もうということになった。適当な居酒屋でバンド活動や互いの好きな楽器についての話なんかをして楽しく過ごして店を出た時だった。店の目の前に知り合いが立っていた。


「あれ?清水さん?奇遇だね」


 清水さんはジトっとした目を琴名さんに向けている。誰だか気になってるのかな?


「えっと。この人は琴名さんっていうんだ」


「…どんな。関係。です?」


 いつもよりもどこか冷たい声でそう言った。


「えーっと。知りあ」


「彼女です」


 俺が知り合いだという前に琴名さんはそうはっきりと言い切った。偽カノジョの設定はどうやら両親の前だけではないようだ。というか琴名さんの目線が少し厳しいものに見える。それだけではなく、彼女は俺の腕に抱き着いてきた。胸の柔らかさにドギマギしてしまう。


「…っ…!」


 清水さんは一瞬目を見開いた。そしてすぐにスマホをポケットから取り出して、俺たちの方に向ける。画面には可愛らしい女の子型のVRアバターが映っていた。


『でもその割には不自然だな?その腕組。なんで店を出てきたときにやらなかった?ん?』


 VRアバターによく似合う萌えボイスが俺の耳に響いてくる。だけどその声はスマホではなく、その後ろの清水さんから聞こえてきた。口を微かに開けて喋ったようだ。いわゆる腹話術のようだ。


「そんなのあなたに関係ないでしょ?」


『関係ないわけないんだよなぁ。てかさ。本当にお二人さんって付き合ってるの?』


「付き合ってるって私いったよね?」


 琴名さんはイライラした声でそう言った。というか何この状況。空気がすごく悪い。清水さんの持つスマホがVRアバターから何かの動画に切り替わった。それは依然俺が言ったことのあるお店だった。というか琴名が務めているキャバクラだ。


『カノンちゃんっていうんだけ?うちの会社のバカアホドぐされ部長さんの御気になんだって?んー?弾正さん?その女キャバ嬢だよ?その意味わかってる?あんた騙されてるんじゃないの?』


 清水さんの口からは揶揄うような明るい声が出ているのに、その表情は氷のように冷たく見える。


『去年婚活に失敗したのは知ってるよ。そこに漬け込まれてるんじゃない?水商売の女はそういう男に集るからねぇ。搾取するためにさ!。ねぇカノンちゃん?そうでしょ?いくらむしった?』


「私はこの人に集ってなんかいないわ!ちゃんと付き合ってる!今日は彼のご両親にも挨拶したのよ!」


『へぇ。そう?じゃあさ。証拠みせてよ!』


「証拠?今言ったでしょ!ご両親にも挨拶したって!それで十分本気だってわかるでしょ!」


『そんなの証拠になんないよ。ちゃんと本気で付き合ってるって証拠を今ここで見せてよ!』


 付き合ってる証拠っていうとなんだろう。漫画とかならみんなの前でキスするとか?でもさすがにそれは琴名さんに申し訳ないと思ったのだが。


「へぇ?!付き合ってる証拠ねぇ!キスとかかしら!?いいわよ!見せてあげるわ!!」


 琴名さんは今たぶん酔ってるんだと思う。俺の頬を両手でぎゅっと挟んできた。真っ赤な顔で唇を伸ばして俺に迫ってくる。琴名さんの顔がまるでタコみたいで若干怖い。


『やめろ!キスするな!!』


 清水さんが大声で叫ぶ。それで迫ってくる琴名さんは止まった。


「あれぇ?なにぃ?キスを見るくらいのがこわいのかなぁ?もしかしてあなたあれなの?弾正さんのことが好きなのかなぁ?ふふふ」


 琴名さんは清水さんを煽り始めた。心底楽しそうな顔でケラケラと笑っている。清水さんはほっぺたを膨らませてめちゃめちゃ震えている。


「まあこれで私たちは付き合ってるってことだからもういいかしら?」


『待てよビッチ。まだ証拠を見せてもらってない』


「はぁ?キスするのが見たくなきゃどうやって付き合ってるのを証明するの?別に私はキスくらいならいくらでもしていいのよ!きゃはは!」


「…せっ…」


「はぁ?せ?せって何?」


 そして清水さんは息を大きく吸って、こう叫んだ。


『二人が本当に付き合ってるっていうなら!セックスしてるところをみせて見ろよ!いますぐに!!』


 清水さんは萌えボイスで思い切りシャウトした。周りの通行人たちの視線が俺たちに一気に集まる。


『できるだろう!付き合ってるならセックスできるだろ!ほら!ほら!今すぐにしてみろよ!』


 なにこれ?普段大人しい清水さんの口からセックスとか言う言葉が出てくるとなんか戸惑いを隠せない。


『セックス!セックス!セックス!セックス!ほら!セックスしろよ!今すぐ見せて見ろよおらぁ!!』


 ラッパー?いや馬鹿か。セックスセックス言われると居心地が悪い。さすがにいい歳のおっさんなので恥ずかしいとは思わないけど。


「ちょっと!やめてよ!恥ずかしいじゃない!セッ…そんなエッチな言葉を連呼しないで!!あなたも女の子でしょ!」


『なにかまととぶってんだびぃいいっち!セックスくらいちゃんと口にしろセーーーーーっクス!!てか見せろ!付き合ってるならヤリまくってんだろ!見せろ!見せろ!セックス!セックス!セックス!!』


 なんだろう。中学生の喧嘩かな?だけど清水さんはガチらしいし、琴名さんは真に受けている。


『もしセックス見せてくれなかったら、弾正さんのご両親にお前が偽カノジョでキャバ嬢の結婚詐欺師だってタレこんでやる。セーっクス!せっくーす!せっぇぇぇくぅぅぅううす!!』


「なんてことなの…?!このままじゃまずいわ!」


 琴名さんは頭を抱え始める。真に受けすぎじゃない?一人で何かをぶつぶつと小声で呟き始める。


「でも彼女だったらするのが普通なのよね?でもでもそもそもどうやってやればいいの?やっぱり布団をかぶるの?電気は消すんだっけ?でもそしたら天井のシミは数えられないよね?やっぱり入ってくる前にストレッチとかしておいた方がいいのかしら?そういえば血が出るとか聞いた気がする。絆創膏持ってないよ!どうすればいいの?!」


『YO!セックス!セックス!らぶ!らぶ!いちゃらぶ!愛撫 あいぶ!俺は震わすバイブレーション!お前受け入れるペネトレーション!二人は合体!コンドームにバイバイ!こんにちわベイビー!YEAH!セックス!セックス!セックス!』


 なんか清水さんが調子に乗り始めたのか、くそみたいなラップを披露し始める。美声だけど歌詞がマジでひどい。このバカ二人の修羅場がそろそろウザくなってきた。つーか周りの人たちの視線がすごく恥ずかしくて何より痛い。俺はぶつぶつと言い続ける琴名さんの手を引っ張りついでに清水さんの手を引っ張って走り出す。とにかく静かになれるところに行きたかった。騒いでもたいじょうぶな場所。それを探して通りを走る。そして見つけたカラオケ屋。だけどこんなメンツを連れて言ったら絶対に断られるに決まってる。俺はその時派手な看板の出ている場所を見つけた。『ご休憩』『ご宿泊』各種クレジットオーケーって書いてある。その施設ならきっと二人が騒いでもきっと怒られることはないだろう。俺は二人を引っ張ってエントランスをくぐった。





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