王の愛した書

九月ソナタ

蘭亭序

王義之(303-361)の書いた「蘭亭序」は「世界一の書」と言われています。

唐の創建者と言われる太宗皇帝(598-649)が、その「蘭亭序」を探し求め、複製(臨書)をたくさん作らせ、王義之の直書は墓まで持っていったと伝えられています。

その書(複製)の写真は近況ノートに載せてみました。専門家なら、この書体を見てすぐに唸るところなのでしょうか。


蘭亭序とは353年のある宴で作られた詩集の序文で、わずか28行324字の短い文章からなっています。

なぜそれほまでにすばらしいのかというと、書体だけではなく、その文章の内容に鍵がありそうです。

そこには、どんなことが書いてあったのかと思って、調べてみました。


「蘭亭序」の記事はここに一度書いたことがあるのですが、読んでくださる方がいなくて、ひっそりと取り下げました。

ところが昨日今日と、ある人気作家の方が、私の文章を褒めてくださったので(豚もおだてれば木に登るそうですが)、私の場合は空を飛びました。

というわけで、勢いをつけて、もう一度トライです。


「蘭亭序」は王義之のシンプルな文章の中に絶対的真理があって、とても感動させられたものなので、ぜひここにアップしておきたいと思うのです。


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日本語訳を始める前に、少し説明をしますと、

王義之は会滑というところで将軍〈将軍〉として働いていましたが、五十歳の時その地で隠遁しました。


引退した年(353)の三月三日、彼は四十一人の賢者を招き、蘭亭で、曲水の宴を催しました。

曲水の宴というのは、庭に曲水を作り、その周囲に人々が座り、水に盃を浮かべて、自分のところにくる間に詩歌を作る遊びです。

三月三日は西王母、つまり長寿をつかさどる女仙人の誕生日です。

客に自分をいれて四十二人。

4x2は8で、 八は末広がり、中国で一番縁起のよい数字です。


招かれた人々がそれぞれに詩を詠み、詩集を作りましたが、その序として、王義之が「蘭亭序」を書きました。

序の最初には、蘭亭の風景が描かれているのですが、風水的にも運気が上がるような配置になっているように思えます。



それでは、つたない解釈ですが、私流の「蘭亭序」です。


       

  ☆  ☆  ☆



永和九年、会稽山の近くにある私の「蘭亭」にお招きした人々が集まり、詩の会を開きました。三月三日の節分の日に、長寿を祈るためです。知識人、年配者から若い方までが、たくさんのお客様が来てくれました。


ここは神聖な山を望み、険しいな嶺に囲まれており、そばには茂った林、そして伸びた竹が植わっています。そこには清流が水しぶきをあげながら流れていて、左右の景色を写しています。その清流の水を引いて「曲水」をつくり、客はそれぞれ流れの周囲に座りました。

楽団が奏でる賑やかな音楽はないですが、静かに心の奥を述べあう曲水の宴には、このほうがふさわしいでしょう。空は澄んで晴れわたり、春風がおだやかに吹いています。

天を見ますと、宏大な宇宙が広がり、地上を見ますと、自然の産物が豊かな様子です。ういう景色を眺めながら、自分の心を詠うというのは、なんとも楽しいことです。


さて、人間というものは、誰でもが決められた短い時間の中で、その人生を生きるのですが、生き方は、人それぞれです。ある人は部屋の中で、自分の心を相手に語る人もいるし、またある人は、外に出て、自然の中に生きる人もいます。

人にとって、何か重要かということはみなそれぞれに違いますが、もしわかりあえる人と出会えたとしたら、それは喜びです。


わずかな間でも、自分自身のやっていることに満足感を覚えた時とか、ものごとに夢中になっている時などは、年月が過ぎるもの忘れてしまいます。

しかし、ふと立ち止まり、自分の歩んでいた道に倦怠や迷いを感じるような時もあります。感情というのは変化しますし、心情も、いろんなことにより、左右されます。

かつてはあれほど熱中していたいたことでも、時間がたつと醒めてしまい、過去のものになってしまいます。


私はこういう無常ということにたいして、寂寥の念を感じます。でも、ものごとは変化するものであり、やがては終わるのです。私達が老いていって、死ぬように。

いにしえの人も、死こそが、一番の憂慮すべきことだと言っています。それはそのとおりで、ああ、なんて悲しいことでしょう。


いにしえ人は、それをどんなにどう嘆き悲しんでいたのでしょうか。その方々の書物を読む時、そこに書かれている思いは、私の心、私の心境とぴったりと一致します。

古人のそういう文章に触れる時、私の心は嘆き悲しみます。そして、今でも、それをなだめる方法などはないのです。


「死と生は同じものである」と言う人がいますが、それは間違いであり、長命も短命も同じ、などということはありえないと思います。


後の世の人々は、今日の私達をどのように見るのでしょうか。今の私達が、いにしえの人を想っているのと同じでしょう。

誰も死からは逃れようがありません。それは本当に、悲しいことです。


そんなわけで、私は今日参加した人の名を書き、この日に、私達が生きていた証拠として、それぞれが作った歌を記録しようと思いました。

時間が過ぎていき、人々の生活習慣が変わったとしても、人の心に憂慮するものは、「老い」や「死」のことでしょう。

後の世で、この詩集を手にとって見てくれる人は、きっとこの文章に、何かを感じてくれるにちがいないと信じます。



             ☆ ☆ ☆



拙訳ですが、こんなところでしょうか。


私は、ある時、アジア美術館で小さな王義之の像を見たことがきっかけで、王義之の「蘭亭序」と出逢いました。


私は大袈裟な表現はしないようにしていますが、この「蘭亭序」を読んだ時、この文章と巡り合うために、ここまで生かしてもらってきたのかしらと思ったくらいです。


「蘭亭序」はなんて簡潔で、真直、真剣な文章でしょうか。

その文章には、私が知りたいすべてのことがありました。すべての疑問がひとつにまとまり、答えがはじきだされたように思いました。


いろんなことが目に浮かびました。

たとえば、

私が旅行などをして、天気も健康もすべてが良好な時、宇宙につながっている広い空を見上げ、周囲の美しさを感嘆しつつ、この瞬間がやがて過去になっていくのだろうと思った時のこと。


美術館に行って、過去の人々の作品を見た時。


また仕事に夢中だった日々、語り合って、楽しい時間を過ごしたこと。


今はひとりになり、いろんなことを発見する日々に生きていること。


ここまで長く生きることがなかったら、こういうことは知らなかっただろうと何度も思ったこと。

最近は、人々の辞世の句に興味をもっていること。


そういうことを、あれこれ、日々に考えてはいたのですが、ぼやっとしていて、輪郭が見えていませんでした。それが、急に形になって、見えたように思いました。


書聖と呼ばれ、皇帝からも尊敬された方でも、結局は「死」を恐れていたこと。そして、死から逃れる方法も、慰める方法も、そういうものはないということですよね。


あの永和九年の三月三日、王義之が遠い未来に向けて投げかけた思いと、

約1700年後のある日、私がその序を読んで彼に向けた思いが、僭越ながら、

レーザーの光ビームのように、空中でつながったような気がします。


たぶん、

こういう交流こそが、「生きる」ということなのだと思います。

ここまで生きて、ようやくこういう人生の髄とに巡り合えたような気がしました。

それは、やはりここまで生きてこなければわからなかったことだと思いました。







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