タイムトラベル

家猫のノラ

第1話

『さあ、タイムトラベルに必要なものはなんでしょう?』

海底から引き上げられた残骸。君の声が耳の奥で響く。不敵な笑みがまぶたの裏に染み付く。

『そんなの上げ始めたらキリがないですよ、ちょっと調べただけでこのざまです。相対性理論、量子力学、超ひも理論、何1つ理解できないまま、時間が過ぎていきます。ていうかなんかこの会話デジャブです。前にも話しませんでしたか?』

学生時代、あの一瞬一瞬は永遠の時間の中をループしていた気がする。

『そうだね。大天才の私なんか哲学にまで片足を突っ込んでしまったよ』

誰も来ない踊り場の一角、屋上という非現実世界と教室という現実世界の狭間、

『科学の枠を超えちゃってるじゃないですか』

境界線に君と僕はいた。

『それで私が本当に必要だと思うものは…』


「博士、船内の水抜きが完了しました」

「船内に生命反応は?」

「ありません」

僕は何を聞いているんだ。いるわけがないじゃないか。


「船内調査、開始」

まるで宇宙服みたいな、大仰しい特殊スーツを着て、中に入る。

計測器の針は依然として安全域で小さく揺れている。人体を害するものはないようだ。

この光景を撮って、何も知らない人に見せれば、きっとSF映画か何かだと思うだろうな。

君はエイリアンが好きなんだっけ。あの宇宙船によく似てるよ。

ガコン、一歩踏み出すたびに足が重くなる。

「くそっ」

そこに君がいた。


君が卒業してから数年が経ったある日、一枚の、君らしい飾りっけのない便箋が届いた。

電話番号の一つも交換していなかったのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、君とは連絡をとっていなかった。

だから便箋が届いた時は無理矢理に笑顔を作った。

胸のざわめきを隠すように。

『佐々木くんへ

学生時代、境界線でたくさんの話をしたね。たくさん、と言っても私が三年生になってからはタイムマシンの話しかしなかったっけ。実をいえばあの頃は、学校、家、この街、日本、世界、この瞬間、全てから逃げて遠くに行きたかったの。妄想に妄想を重ねて、理屈に理屈を捏ねて、逃避に逃避を続けていたの。

卒業式の日、屋上の扉を開けて、非現実に飛び出したことを覚えているかな。真っ青な空と吹雪く桜の花びらが一面に広がっていて、パラレルワールドに来たんだと思った。

タイムマシンが実現したとして、まず問題になるのはパラドックス。回避するためには主に2つの説がある。1つは運命説。全てはこの世界の始まりからあって、揺らぐことがない。君と私が生まれたのも、出会ったのも、全ては必然、この世界に組み込められた運命だった。ということ。もし私がロマンチックな夢見る乙女ならこの説を支持したかもしれない。だけど私は君が知っているようにそれとは正反対の性格なんだよね。赤い糸なんてぶち切って、海辺で恋人とキスした時間を君との放課後のおしゃべりに使ったと思いたいの。思っているの。

だから私が信じるのは2つ目の説、パラレルワールド説。幾つもの分岐点、その数だけ世界は存在していて、その世界の数だけ私と君がいる。

不思議だね、あの頃あんなにも逃げたかった世界が今はただ美しい。

私ね、やっぱ天才だったわ。タイムマシンできたんだよ。

じゃあね、この世界の君。パラレルワールドの自分に伝言はある?』


封筒に書かれた住所は空き家だった。

僕に便箋が届いたその日、君はタイムトラベルしたんだ。


『昨夜、日本の領海内に墜落した謎の飛行物体について、政府が秘密裏に作成していた時空間移動装置ということを…』

何気なく習慣でつけたニュース。胸のざわめきと耳鳴りが収まらなくて、アナウンサーの声も聞き取れない。

『中には一人の女性研究員が乗っていたとのことです』

全ての情報が繋がって、悪い方向にしか考えが回らなかった。

思考を断ち切るように電話が鳴った。

『佐々木、今回の件お前のラボが調べろ』

これを運命と言わずして、なんと言うのか僕には思いつかなかった。


遺体は綺麗なまま、僕らに背を向けて座席に座っていた。

「良かったです」

そう呟く声が後ろからした。いまにでも息を吹き返しそうな姿だ。これなら遺族にも問題なく見せられるだろう。

しかし僕は、腐って、白骨化して、チリの1つも残っていてほしくなかった。

「君にタイムトラベルしてほしかった」

座席をそっと回転させて、しゃがみこんで、君と向き合った。

「あの頃に、戻してくれ…」


『やあ、佐々木くん』

そこに君がいた。真っ青な空をバックに、桜吹雪が舞う屋上で仁王立していた。

『どうやって光の速度の壁を超えたんですか?』

君はふっと不敵な笑みを浮かべた。

『この状況に動じないで質問をするなんて、さすが佐々木くんだね』

当たり前じゃないか。

『どうせ夢なんですから、聞かなきゃ損ですよ』

君は少し眉を下げた。

『夢、か。君らしいね。うん、話そうよ。たくさん。まず光の速度の壁だけど、結論から言えば超えてないの』

『まさかタキオンが見つかったんですか!?』

またさっきの笑みに戻った。君に似合うのはその笑顔だ。

『そのまさかだよ』

それから、ずっと君と話した。その一瞬一瞬が永遠の時間をループしていた。

『…なんで墜落したんですか。聞いている限り、完璧なタイムマシンに思えます』

お願いだから眉を下げないでくれ。

『あの日の会話を覚えてる?』

『えっ?』


『さあ、タイムトラベルに必要なものはなんでしょう?』


桜吹雪が一層激しく舞う。空の青さが狂ったように明るく、深く、輝く。君の長い髪が乱れる。意識が遠のく感覚に襲われる。もうここには来れない、君には会えない、という予感が走る。


『待ってっ、パラレルワールドの君にっ、伝えなきゃいけない事があるんだっ!!』

眉を下げないで。

『僕は君のことをっ』

そう、君にはその笑顔が似合うんだ。全てを見透かしたその目を…

『知ってる』


「愛してる」

もう開かぬ目を見ると、一粒の涙が流れていた。

運命ではない、夢ではない、確かに君と僕はタイムトラベルしたんだ。






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