牢獄教室
カノン
牢獄教室
一級品で揃えられた、貴族の部屋。
そのフカフカのベッドで少女、レイは呟く。
「……どうしよ」
その黒髪は、部屋の灯りを受け輝く、少しウェーブの入ったショートヘア。
深紅の瞳はルビーのように大きく、夜空の星のようにキラキラと眩しいものがある。
背丈は低く、齢も十四程度のレイだが、整った顔立ちは将来有望で間違いないだろう。
「お父様にもお母様にも、お前は馬鹿で期待外れだって言われたし……」
はぁ、とため息をつき、
「私は、何をすればいいんだろ……?」
誰にともなく尋ねた。
その時、
「あの外から来たって言う異教徒、死刑宣告受けて牢屋にぶち込まれたってよ」
ドアの外から、兵士の会話が聞こえてくる。
「異教徒?」
レイはそれが気になり、ドアの方に身を寄せた。
「シャロンっていうやつだろ? 馬鹿だよなぁ、この国で異教を説くなんて」
「三番街の『無人牢獄』だって。あの凶悪政治犯とかがぶち込まれる一人きりの牢獄」
「看守との会話も禁止だろ? 死刑の前に、孤独で精神が逝っちまうかもな」
兵士の声が遠ざかり、何も聞こえなくなる。
だが、
「外から来た人……」
レイの心は、シャロンという人物への興味で一杯になった。
「その人に会えば、私がやるべきこと、見つかるかな」
そういうと、レイは立ち上がり、部屋から出る。
その胸に、大きな期待を寄せて……。
●
暗く、じめじめした道を、レイは歩く。
無人牢獄、その中へ入れる場所を探しているのだ。
星も月も雲に隠れきり、その深い闇はレイの心をひどく不安にさせる。
「……でも、行かなきゃ」
レイはそれでも、一歩前へと進む。
足元を抜ける風は、まるでこれ以上行くなと言うように足に絡まる。
恐怖に竦みそうになる足を、どうにかもう一歩踏み出した時、
「きゃっ」
濡れた苔を踏み、レイは足を滑らせる。
「いった……ぁ?」
尻を抑え、立ちあがろうとして、レイは壁にあった、それを見つけた。
「え、穴?」
子供一人が通れる横穴が、まるでレイを誘うように、その口を開けていたのだ。
●
穴を抜けた先、そこには背の高い男が一人。
腰ほどの長髪は銀色に煌めき、降り積もった雪の世界を連想させ、その瞳は木陰色のように柔らかく、翠色に輝く。
その整った容姿や穏やかな雰囲気は、極悪人とは思えないものだった。
男の名は、シャロン。
シャロンは、何処からか入って来たレイに目を見開き、
「君は一体、何者だ?」
ややハスキーな声で、レイに尋ねる。
「れ、レイ=ウルフィードと言います」
「……ウルフィード?」
その姓を、この国で知らない者はいない。
この国の王家、その姓だからだ。
「なぜそんな家の娘がここにいる?」
「えっと、あなたがどんな人か、気になって」
「ふむ、興味本位、か」
ならば、とシャロンはレイから視線を外し、
「もう、ここには来ない方がいい。見つかったら、何をされても文句を言えないぞ」
レイとの話を終わらせようとして、
「わ、わかってます! でも……、でも、このままじゃ私、何も出来ずに終わりそうで」
その言葉に、シャロンの動きが止まる。
「……何も出来ずに、か」
そして、なぜか胸に引っかかった言葉を、呟く。
「君は、何かしたいことがあるのか?」
「いいえ、何も、です。でも、何かしなきゃっていう気が、ずっとしてて」
「……なるほど」
何かしなくちゃいけない、その考えは、シャロンにもあった。
何かしようとひたすら知識を集め、その結果ここまできたのがシャロンだから。
だから、だろうか。
「……なら、またここに来るといい」
「え?」
思わず、シャロンはそう口に出していた。
「君が、レイがやりたいことを見つけるまで、私の知識を教えよう」
「いいん、ですか?」
「古今東西の知識を持つ私の授業だ、それを受けれるとは幸運だぞ?」
「はい! ありがとうございます!」
その時、がちゃんと三重扉の最奥のドアが開く音がする。
「騒ぎすぎたな、授業は明日から。今日はもう帰るんだ」
「わかりました!」
レイは小さな横穴へと向かう。
「シャロンさん、いえ先生、また明日来ますね」
「……あぁ、また明日」
そして、牢屋越しの授業という奇妙な光景が始まる。
蝋燭の僅かな光と、月明かりの中で行われる、誰も知らない二人だけの秘密。
いつしかそれは、二人の掛け替えない時間となっていて……。
●
ある日、いつも通りやってきたレイに、
「レイ、君は世界を見たことがあるか?」
シャロンは問いかける。
それに、レイはいいえ、と首を振り、
「私は、この国から出たことがないので……」
「ふむ、それは残念だな。世界を知るとは、見解を広めると同義なのに」
「……世界には何があるんですか?」
「そうだな。まずあるのは大きな森だよ」
「森、ですか?」
「あぁ、多くの動物が暮らし、殺し殺されを繰り返す、非常に怖い場所だ」
それを聞いたレイは体を震わせ、
「……私、この国から出たくなくなりました」
「はは、今のは森の一部の話だ。耳を澄ませば川のせせらぎが、風が吹けば木の葉がその身を揺らし、遠くを見れば様々な動物がいる。……そんなところかな」
「……へぇ」
シャロンは他にも様々な場所の話をする。
重力に逆らい天へと浮かぶ『浮遊島』。
魔術を探求し、様々な人が学びを求め訪れる、『魔術大国』。
極寒の奥地に存在する、魔王が住まう地、『魔都』。
「……世界には、色々なものがあるんですね」
「そうだ、この世界は様々な未知で溢れている」
「……私でも、いつか世界を見に行けますか?」
「あぁ、本来、人間とは自由なものだ。……でも、そうだな。もし君が一人じゃいけないと言うなら、いつか私が、君を世界に連れ出そう」
そういうシャロンに、レイは身を乗り出し、
「っ! 本当ですか⁉︎」
「もちろんだ」
「約束、約束ですよ!」
そう言うレイに、シャロンは牢の隙間から手を伸ばし、その頭を撫でる。
「あぁ、約束だ、レイ」
すると、レイはくすぐったそうに目を細め、
「えへへ……、それじゃあ、また明日来ますね」
そう言って、横穴から出ていく。
「あぁ、また明日」
シャロンは、当たり前となったその言葉に、思わず微笑む。
「……明日、か」
冷たい牢獄も、いつしか知識の学び舎へと姿を変えていて……。
「楽しみだな」
格子の隙間から月を見上げた。
……半分が陰に隠れた、半月を。
●
「シャロン、貴様がレイ=ウルフィード様を誑かしたことは万死に値する。よって、これより貴様を処刑する」
翌朝、シャロンは看守に告げられた。
どうやら、レイがここに来ていることがバレたらしい。
シャロンは、どうすればレイを庇えるかを必死に考える。
「……私は、彼女に異教について話してはいません。ただ知識を与えただけです」
「だからどうした?」
「もし彼女に刑を下すのならば、それは間違いです。罰があるならば、私にのみ下されるべきだ」
しかし、看守はふん、と鼻を鳴らすと、
「我々が王家に手を出せるわけがないだろう?」
「……そう、ですか」
看守の言葉に、シャロンは安堵する。
そんなシャロンを見て、だが、と看守は嫌味に笑うと、
「王家の方々は、今回の騒動に大層御立腹だ」
故に、と一泊開け、
「レイ様には貴様の処刑を、最も間近で拝見して頂く事になった」
「……っ!」
シャロンを絶望に叩き落す。
「相手は子供だ! そんなことをしたら、レイの心にトラウマを刻んでもおかしくない!」
「承知の上だ。ウルフィード家の方々は、この件をかなりの汚点と考えている。心が折れようが、精神がおかしくなろうが、飼い殺すとお決めになった」
「卑劣な……っ」
その呟きに看守は笑い、シャロンの手に縄を結ぶと、
「さぁ出ろ。……執行の時間だ」
そう言って、シャロンを檻から出す。
「……くそ」
シャロンは唇を噛んで、看守についていった。
●
シャロンが連れてこられたのは、関係者のみの斬首台。
レイへの見せしめとするため、人目を避けた、と言うことか。
斬首台の前には、顔を真っ青にして項垂れる、レイがいた。
「……レイ」
その声に、レイはハッ、と顔を上げ、
「っ、先生!」
震える声で、シャロンを呼ぶ。
「ごめんなさいっ、私が、私が先生に関わろうとしたから……っ」
「っ、レイ、それはちが……」
シャロンがレイと言葉を交わそうとすると、
「さっさと登れ」
「ぐ……っ」
看守がその背を押し、十三段の階段をシャロンに上らせる。
「そこに首をはめろ」
「……」
「さっさとしろっ!」
「ぐぅっ!」
看守が半円の穴が開いた板に、シャロンの首を押し込み、その上から首を固定する板をはめた。
レイは、それを見て必死に泣き叫ぶ。
「謝ります、何でも言うこと聞きますっ! だから、お願いだから、先生を……っ」
だが、その声に答える者などいない。
それでもと叫ぶレイに、
「……レイ」
シャロンは声をかける。
「すまない、レイ」
首を持ち上げてレイを見た。
「私じゃ、君に世界を見せてあげることが、できなかった……」
「せん、せい……」
だから、とシャロンはレイに笑いかける。
「レイがその目で、その足で、世界を見てきてくれ」
「――いや、いやです……。先生と、先生と一緒じゃなきゃ……」
シャロンに近付こうとするレイを看守が抑え込み、
「刑を執行する」
執行官へ、無情にもそう告げた。
「いやだ、いやだいやだっ!」
暴れるレイを看守が押さえつけ、シャロンに顔を向けさせる。
「大丈夫、いつでも私は、君の心にいる。そして……」
「先生、せんせぇええっ!」
「やれ」
そして、執行官の合図と共に、
「私は君が、心の底から……」
その首は、宙を舞う。
「……あ、ぁ」
そして、ボトンと音を立てて、レイの前にそれは落ちた。
「ああ、あぁぁ……」
レイの目に、それが映り、
「あぁぁあああっ!」
それが何かを理解して、レイは叫んだ。
この世の終わりを迎えた、魂の慟哭。
それは、レイを押さえつけていた看守をも怯ませた。
レイは拘束を振り解き、シャロンの元へと駆け出し、
「先生っ、せんせい、せん、せい……」
シャロンの首を、胸に抱きしめる。
「いやだ、行かないで……。私を、置いてかないでよぉ」
涙をボロボロとこぼし、行かないでと叫び続け、
「……レイ=ウルフィード様。その下賤な者の首をお離しください」
そう言って手を伸ばす看守に、
「……触るな」
「……っ!」
レイは静かに、その憎しみの声をあげた。
シャロンを胸に抱いて立ち上がり、その目を周囲に向け、
「復讐してやる。先生の仇を、全部、全部この手で……っ」
絶望に落ちた少女は、その目に暗い光を宿そうとして、
『レイがその目で、その足で、世界を見てきてくれ』
「っ!」
シャロンの、大事な人の言葉を思い出す。
『大丈夫、いつでも私は、君の心にいる』
「……私、は、私はっ!」
復讐の道へ行くか、世界を見に行くか。
迷って、葛藤して……、
『私は君が、心の底から……『大好きだ』』
レイは、涙を拭い、選択する。
「……私も、先生のことが、大好きです」
復讐の道を捨てることを。
「レ、レイ様、こち……」
「邪魔」
レイは、近寄ってきた看守を蹴飛ばし、告げる。
「私は、ウルフィードを捨てる。もう、ここにいる必要はない」
苗字を捨てる、それは家を捨てると言うことで……、
「っ! 正気ですか⁉︎ それは……」
驚愕する看守に、
「当たり前だ」
そう言って、レイは歩き出す。
「私は、世界を見に行くんだから」
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