掌編小説・『ミュージシャン』
夢美瑠瑠
掌編小説・『ミュージシャン』
(これは、2019年の「ミュージックの日」にアメブロに投稿したものです)
掌編小説・『ミュージシャン』
おれはNHKの交響楽団のコンマスを務めたこともある、老練なヴァイオリニストだが、深酒の悪癖と女性問題で失脚し、現在は零落して街頭でヴァイオリン演奏をして、日銭を稼いでいる。まあ、ホームレスに近い生活なのである。
おれはプロ中のプロだから、いわゆる超絶技巧、とかいうのもお茶の子さいさいで、テクニックではグリュミオーやハイフェッツにでも匹敵するという評判をもらっていた。
だから、女性にFTFで演奏を聴かせると、ヴァイオリンの古典的でロマンチックな調べに例外なく女性は陶酔して、熱っぽい目でおれを見つめてくれるようになる。
熱っぽい目というのは、一種独特で、例えばマイケルジャクソンのコンサートで、
「きゃーーー」とか叫んでいる女性の目である。特殊な興奮状態なのだー
これは男性ストリップを見ている女性の目というのとも、それも独特だが、微妙に違うのだ・・・ その場合は、「淫蕩」と、「賛美」の違いである。
ただそうやって超絶技巧で口説くとかといっても、いざベッドインしてからの技巧は大したことないのがつまらないところである・・・w
こういう生活になってから永いので、日々のルーチンというのか、フォーマットというのか、がすっかり出来上がっていて、コンビニの弁当をもらいに行って、公園のベンチで昼寝をして、女子高生の制服姿を見物しに行って、夜には前に帽子を置いて、人混みを選んで超絶技巧を披露する。
稼いだ金で自販機のワンカップを買って、呑んだくれて、段ボールの我が家で眠る。
ヴァイオリンを盗まれたら酒が飲めなくなるので、ヴァイオリンだけは抱きかかえて眠るのだ。
売りに出せば100万はくだらないだろうというストラディバリウスの逸品で、これだけはどんなに貧窮しても手放さなかったのだ。
ともかく、何とかしてこういう生活から抜け出したいのだが、現実は厳しくて、アパートを借りられるくらいに金がたまると、豈はからんや、そっくりちょろまかされたりする。
住所不定の不審者だから警察にも届けられない。
最近、といってもう二十年近くになるが、おかしな幻聴に悩まされていて、そのことを書きだすと本が二三冊できそうなくらいの、しつこくてややこしい幻聴なのだが、それは今度にする。
だいたい他にはなーんにも楽しみがないので、毎晩、空腹に酒を飲む。で、消化器官がいつも具合が悪い。もう食道の癌かもしれない。
閑話休題。
最近、毎晩おれの演奏を聴きに来てくれるきれいな女性がいて、例の熱っぽい目で、ひたすらおれを見つめている。「マイケルジャクソン」みたいに見えるのだろう・・・w
モチベーションが上がるので、演奏も出来が良くなって、実入りも多くなる。福の神である。年齢は不祥な感じだが、少し小太りで、髪型も服装もおしゃれな感じである。ヴァイオリンの演奏の善し悪しが分かるのだから、賢い女性だろうか・・・
その日も、おれはぐでんぐでんになるまで安酒をかっくらって、やっとのことで街頭に立つ勇気を得ることができた。文字通り、スピリット(酒精)からスピリット(根性)をもらうわけである。 へべれけな状態でも、ヴァイオリンだけは精確無比に、演奏ができるのが、おれの美徳である。プライドといってもいい。
例の女性が、演奏しているおれにできるだけ近づくような位置で、また熱い視線を注いでくる。
おれも彼女も大好きらしい、バッハの「G線上のアリア」を弾いてあげる。
サビの部分でインプロピゼイションにエグゼクション トランセンダンツをご披露してやると、神も御覧じろ、みるみる彼女の目が潤んでいくのが分かる・・・
・・・ ・・・
一週間ほどそのチャーミングな女性の「日参」は続き、眼と眼のやり取りで、お互いにかなりの好意を抱き合っている、そういうことを確かめ合った。・・・気がする。した。
おれは汚い身なりの、オケラのヴァイオリン弾きなので、そういう瀟洒な印象の、賢そうな女性に、自分から声をかける勇気はないが、一週間後、帰り支度をしている俺に、豈はからんや、女性のほうから「あの・・・」と、声をかけてくれたのだ!
「は?」とおれは緊張しつつ宣(のたま)った。「何ですか?」
「お茶でもいかがですか?ちょっとあったまりたいでしょ?」
色白でふくよかな瓜実顔が笑顔になった。
笑顔は「観世音菩薩」という印象になり、ますます賢そうに見えた。
おれは賢い女が好きなので、蕩(とろ)けそうに魅惑される感じになった。
こういう女性は淫蕩かもしれないという、そういう固定観念をなぜか抱いていることに気づいた。
・・・ ・・・
2か月ぶりに風呂に入って、旅館の一室で睦みあった後、女性の打ち明け話を聞いた。
女性には一人息子がいて、将来を嘱望されるヴァイオリン少年だった。
モーツアルトではないが、一通り曲を聴くとすぐ採譜できて、演奏も自在にできるという、天才少年だったそうだ。
が、好事魔多しで、自動車事故に遭遇した。
腕が不自由になって、ヴァイオリンを弾けなくなり、悩みぬいた果てに自ら命を絶ったという。
母は少年があまりに不憫で、遺影を抱いて半年間泣き暮らしたが、泣いていてばかりではいけないと思い、少年の愛したヴァイオリンというものにできるだけ通暁しようという志(こころざし)を立てて、様々な文献を渉猟し、演奏会を経めぐって、
ひたすらヴァイオリンというものに人生を捧げつくした。
そうすると、気が付いたら音楽雑誌に評論を書くような、ヴァイオリン評論家になっていたのだという。
彼女は美しい黒曜石のような瞳に、燃えるような裸の感情をこめて、真摯に、まっすぐにおれに語り掛けてきた。
「あなたはどこか息子に似ている。わたしはあなたの演奏する姿を見ながら、そこに息子の姿を重ね合わせて、殆どいつもしびれるようなエクスタシーを感じていました♡
そうして私の耳は確かです。あなたの才能は本物です。
こうやって場末にうずもれている人ではない。
どうか立ち直ってください。私がお手伝いしますから・・・♡」
で、おれたちは結婚し、彼女はおれのパトロンになり、おれは苦労した挙句にある楽団のコンマスに返り咲いた・・・
それにつけても人生というのは数奇な出会いに満ちている。
数寄の道を簡単に諦めなくてよかったという話である・・・
<終>
掌編小説・『ミュージシャン』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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