6. ONE LIFE, ONE DEATH
詐欺師に必要なのは、誠実さと真摯さ。
そして何食わぬ顔で、嘘をつけるこころ。
あるいは――自分さえも騙し続ける、気の持ちようだ。
私はこれまでに騙した全ての女のことを愛しているし、その一挙手一投足の全てを覚えている。その名前、交わした言葉、その全てを記憶している。
私の愛は本物だ。
心から愛し、彼女たちと心から向き合った。
だからこそ、欺し通せる。
不破嶺衣奈とて、それは例外ではない。
――桐脇財閥にメンデル社の買収を進言したのは私だ。
理由は不破嶺衣奈に話した通り、計画を長期的なスパンで見たときに、巨大資本の参加に入るべきだと感じていたからだ。桐脇財閥が関与すると聞いて、私は真っ先にその案を思い付いた。
だから不破嶺衣奈が時期尚早に人工精子の存在を明かすことを止めなかった。共犯関係を作るなら早く、そして長い方がいい。根はそうやって時間をかけて張り巡らされ、複雑に絡み合い、やがてほどけなくなる。
それから私は不破嶺衣奈には内密に、田場之成紀に会ってある約束を取り付けた。
「あなたは随分と情熱的なんですね、志田狭周子さん」と田場之成紀は笑う。「あなたのような方がいて、メンデル社は本当に幸運ですね」
「――皮肉がお上手すぎますよ、幹事長」
「いいえ、本心ですよこれは」
そう言って田場之成紀はにこりと笑う。
腹の見えない政治家だったが、彼女がメンデル社の話を聞いてくれていたのは、ひとえに私たちの研究に共感してくれていたからに他ならない。
「それでは幹事長、手筈通りに」
「ええ志田狭さん――共に良い未来を作りましょう」
――その後私は、桐脇財閥の手によって、詐欺師であることを暴露された。
いや、正確には暴露させた。
結果的に人工精子のことも世間に公表されることになり、これは大きなスキャンダルになった。
桐脇公彦は詐欺師が自らを謀ったことに憤怒し、メンデル社に対して訴訟の準備をした。しかし実際に子を産んだ公歌は、これを取り下げたいとメディアで滔々と訴えた。
「最初は……単なる人工授精だと言われました。ですから私と、私のパートナーの遺伝子情報が不当に使われたことは、やはり憤りを隠せません。でも生まれた子は、私とパートナーの子供なんです。私はこれをかけがえのないものだと感じています。――生まれた子は、元気に育っています。この技術は、私たち同性婚者の絆を強くするんです」
世間は私のことを、強く非難した。
しかし同時にこの技術を強く支持する人々もいた。
また、メンデル社への風向きは、思ったよりも強くなかった。
それは連日、私という詐欺師の存在がセンセーショナルに報道されていたからだ。
『M社も騙された!? 豪腕女社長に詐欺師の影!』『人道倫理はどこへ? 女詐欺師による残虐な非道』『大財閥を欺し通した超巨大詐欺』『命党 田場之成紀「私も騙されてしまった」』『倫理を弄ぶ詐欺によって明らかになった遺伝子技術、人間はどこへ向かうのか』
これらは桐脇財閥が金を使って、情報の露出をコントロールしていると聞く。
私はあの日以来、不破嶺衣奈とは会っていない。
ただ今後起こりえることについて、一通のメールを送っただけ――。
そう、これは全て私が仕組んだことだ。
田場之成紀も、桐脇財閥も、桐脇公歌のいずれも協力者である。
田場之も、桐脇財閥も、全て私に騙されたことにしてもらった。私は彼女たちを一切騙していないが、一連の詐欺であるように仕向けてもらったのだ。
これでメンデル社の株価は下がり、桐脇財閥はメンデル社をTOBにより買収できた。
私がメンデル社の不破嶺衣奈をそそのかし、その内部情報を使って国内第一政党へ働きかけ、桐脇財閥に禁忌的な技術を与えて「倫理の
私という詐欺師は「同性子」をスキャンダルの種として脅し、権力を掌握しようとした。しかしその封じ手として同性子が存在することを公表するに至った。
――という筋書きだ。
私は不破嶺衣奈からの当初の依頼通りに、国を騙すことにしたのだ。
私という詐欺師を通すことで、メンデル社の被害者的な一面が強調され、非難は弱まる。
もちろん倫理の問題には立ち向かってもらわねばならないが、桐脇公歌という被害者の悲哀が、これを単なる詐欺事件にはしないだろう。「人工的な生殖細胞で生まれた子供は誰の子供なのか」という話は、やがて人工的な生命をどう認めるかという話になる。――そう議論が起こるように、田場之成紀を通じて「改正繁栄規定」の法案提出と、政治の根回しを約束してもらった。
田場之成紀にとって、同性婚者の立場をより強めるための提案は、彼女の政治信条にも合致していた。
桐脇財閥と桐脇公歌にとっては、後ろ暗い嫡男の誕生の責任転嫁ができる。もちろん生涯を通して隠し立てすることも出来ただろうが、私やメンデル社がその情報を持ち続け、後々暴露されるよりもリスクが低いと判断したに違いない。桐脇公歌は世間に嘘をつくことに躊躇いを見せていたが、しかしこの議論が未来のためならばと、協力してくれることになった。
結局、詐欺とは信頼を作る技術だ。
私はこの取引に嘘がないと彼らを信用させるだけのことをやってきたつもりだ。
――私は、この倫理を議論できるようにしたかったのだ。
世界は馬鹿じゃない。もし不破嶺衣奈の言うとおり秘密裏に法改正を進めていたら、結局繁栄規定の改正も、それに続く人造の生命も、やがて強い反発を受けただろう。世界を騙すなら物語が必要だ。それはもちろん、本物でなくていい。
桐脇公歌の物語が、あるいは不破嶺衣奈の物語が、私という詐欺師に翻弄されたという物語を通して、彼女たちを悲劇のヒロインにしてくれる。
それは世間からの評価を、少なからず良い方向へ働かせてくれるはずだ。
あるいは法律が変わらないとしても、倫理を越えて生まれてきた存在を肯定する者が増えるだろう。それを大きなうねりに出来るかどうかは、これからの動き次第だ。
不可能と考えていたが、可能性は残した。わずか数年でここまでやったなら重畳だろう。
ただ……私はもはやその流れの中にはいない。ここで退場だ。
全ての段取りが終わったとき、私は無視し続けていた不破嶺衣奈からの電話に出た。
日本中を逃げ回り、風の強い海岸沿いを車で走っている時だった。
「繋がった……! 周子、お前、いまどこに居る!」
車を止めて電話を取ると、そこからは心配と怒りと、あらゆる感情の混じった声が聞こえてきた。
志田狭周子――それはもはや私にとって、不要になった名前だ。
「落ち着いて下さい、嶺衣奈さん。私はもうどこにも居ません」と、私は事もなげに言った。
「まるで嘘みたいに綺麗に収まったでしょう? 褒めてくれてもいいんですよ」
「ふざけるな……ふざけるなよ、周子! 私は許さないぞ、こんな自らを犠牲にするようなやり方……! そんなこと、私は頼んでいない! 墓の下まで付き合ってもらうと言ったはずだ!」
「健やかなる時も、病める時もなんて――あんなの嘘ですよ。だって私は詐欺師ですから。嶺衣奈さんだって、本当は分かっていたでしょう」
聡明な彼女が私の裏切りを事前に勘づかなかったとは思わない。計画の子細は分からなくとも、私が詐欺師であることを忘れてはいなかったはずだ。
だが、目を背けていたということはある。
この計画を不破嶺衣奈に話さなかったのは、彼女が私を愛していたからだ。
私のようなやつを愛した人間の行動は読みやすい。
疑わない、無碍にできない、そして頼ってしまう。
――なんて、いじらしい。
騙し甲斐がある。
彼女の騙された顔が最後に見られなかったのは心残りだが――彼女を私の虜にするという目的は達成した。彼女を騙し、愛を与え、愛を貰った。
こんな巨大な詐欺仕掛けは詐欺師冥利に尽きる。最後を飾るに相応しい。
「私に電話なんてしてたら、折角の仕掛けが台無しだ。そろそろお開きにしましょう。あなたは――メンデル社はこれから、大きなうねりの中に入る。様々な困難もあるでしょうが……まあ、大丈夫でしょう。流れは悪くない。嶺衣奈さんなら、世界を望む方向に向けられる」
「馬鹿野郎! 周子、お前がいたから私は――」
私は不破嶺衣奈の言葉を遮った。
「
電話口の不破嶺衣奈は、息をのんで黙り込んだ。
「同じ名前なんて、驚きましたか? 私はあなたを愛した志田狭周子ではなく、あるいはあなたが愛した志田狭周子でもありません。あなたと共に居たあの女は、やはり、とんだ偽物なんです。私の全ては所詮、愛の偽物なんですよ。だから私はあなたと居るとき、あなたと夜を共にした時、あるいはあなたといないときも、ずっとずっと、あなたを騙すことばかり考えていました。――そして見事に出し抜いた。あなたを愛して、愛して、愛して、愛して、そして裏切らせてもらった。志田狭周子は、不破嶺衣奈を愛していた。――しかし、志田狭周子はただの偽物。そんな人間はこの世にいなかったんです。いなかった人間が、退場し、この物語は終わる」
「周子、だが、私は……」
「――あなたを、最後に騙すことが出来て良かった。それではさよならです、不破嶺衣奈さん」
「待て、周子! 周子――」
私という偽物が退場し、不破嶺衣奈には本物になるための道を残した。
あとは私が警察に出頭して幕引きを図ってもいい。警察の取り調べだって、私は騙せる自信がある。あるいは失踪してしまって謎の女詐欺師として伝説になるのも悪くない。きっと私が騙してきた女たちが、私のことを語ってくれるだろう。
私は車を出て、持っていたスマートフォンを近くの岩場で破壊し、海に投げ捨てた。
そして胸の奥に込みあげてきた得体の知れない感情に、私は戸惑っていた。
それが私の中に確かに生じた、何かの本物であったと気付くのは、もう少し後になってからのことだ。
私は再び、車に乗って走り出す。
ぱらぱらと少し、雨が降る。
さようなら、不破嶺衣奈。
そしてさようなら、志田狭周子。
さようなら、私が愛した、ふたりの
すべては所詮、愛の偽物。 立談百景 @Tachibanashi_100
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