5. 細胞具ドリー:ソラミミ:PHANTOM

 桐脇財閥がメンデル社の買収に動き始めたと分かったのは、桐脇公歌の同性子誕生からほどなくしてだった。

 彼らとしては、私たちの手綱を握っておきたいということなのだろう。あわよくば不破嶺衣奈を封殺しようという腹づもりなのかも知れない。

 同性子の存在は、桐脇財閥にとって確かに巨大すぎる爆弾だ。

 しかしそれはにとっても同じこと。私たちはいわば共犯関係になったはすだが、富も権力もあちらが上手……そういった暴力に抗う術は、私たちにはない。

 だからまだ、時期尚早だったのだ。確かに彼らに爆弾を植え付けることは出来たが、このまま爆発させては巻き込まれるだけ。私はもっと根回しを進めてから、会社としての力をつけてから、彼らに人工精子を使わせるつもりだった。

 このままでは、買収と同時にあらゆる研究成果を潰されかねない。メンデル社はこのまま潰されてしまうかも知れないのだ。

 仮に今の状況で同性子の存在を私たちが明かして、桐脇財閥が世間からの逆風に晒されても彼らは持ち堪えられるだろう。一方で私たちは、同様に世間の逆風に晒されれば持ち堪えられない。

 しかし――

「まだ焦る必要はありませんよ、社長。確かに私たちの計画にとっては危機的な面もありますが、桐脇財閥がメンデル社に興味を持ったという情報により、株価自体は上がっています。にとっては、むしろ好意的な状況が生まれている」

 ならば私のこれからの立ち回りは、如何にして桐脇財閥に買収されたあとのメンデル社の権利を守るかということになるだろう。

「むしろこれは、長期的には有利かも知れません。巨大財閥の資本が入ることで、メンデル社は逆風に耐えられようになる。いずれは私たちの計画も実現できるかも知れない――」

 だが、不破嶺衣奈は私の想像よりも焦っているように見えた。焦っている――というより、余裕がないようにも見える。

「いつかとは――いつだ」

「……いつかはいつかです。いま私たちは、ようやく『同性子』を存在させただけです。それも秘密裏に。私たちは未だ世界を変えるには至らない」

「だがこの機会を逃せば、この事実はいずれ闇に葬り去られるかも知れない。だったら強迫でもなんでもして田場之に発破を掛けて動いてもらえ、繁栄規定を変えさせろ!」

 あまりに強硬な態度の不破嶺衣奈に、私も思わず大声を出してしまう。

「いま動いたら、それこそ我々は足を切られます! 我々の発表をマスコミが取り合うかも分からない状況で、そんな脅迫は成立しません。その前に田場之や桐脇財閥に封殺されてしまうかも知れない。命党、桐脇財閥、メンデル社は共犯関係だからこそ、これからの動きに可能性があるんです! メンデル社は未来を作る選択をしているのでしょう!」

 私は基本的に不破嶺衣奈に従順であったため、ここまでの言い合いになるのは珍しかった。

「冷静になりましょう、社長。焦る気持ちは分かりますが――」

 しかし不破嶺衣奈は、私の言葉を遮って激昂した。

!」

 しかし自分の言った言葉に、不破嶺衣奈はハッとした表情になった。

「……なんですか、それは?」

 それは私にとっても違和感のある言い分で――何か、他意があるように聞こえた。

 私たちの目的は遺伝子工学を駆使して生まれる生命を認めさせるため、法律をクリアしていくことだ。それは端的に言えば「儲け話」のはずだ。あくまで企業活動としての、この計画だったのではないか。そしてそれは「子供を作れない人々」への救いという、偽善的な大義名分もある。

 しかしその言い草はまるで――

「もしかして社長には、まだ私に伝えていないがあるんですか?」

 私が問いかけると、不破嶺衣奈はバツが悪そうに俯く。

 私は隠されたものを暴くように、強く迫った。

 最初は何か取り繕おうとしたのだろう、何かを言い淀み、目を伏せ、目を開き、いよいよ焦りを隠すのが難しくなってきた不破嶺衣奈は、やがて重苦しそうに口を動かした。

「――私たちの計画自体に嘘はないよ、周子。だがひとつ言うなら、なんだ。人工精子を開発したから法改正を目指しているんじゃ……ないんだ。私は

「法改正のために?」

「繁栄規定の改正には、国の中枢に近いところに都合の良い手土産が必要だった。そのための人工精子だ。田場之成紀に近づいたのも、彼女が桐脇財閥の親戚筋だったからだ」

「なんでそんなことを……なぜ法律を変えたがるんです」

 私の純粋な疑問に、不破嶺衣奈が自嘲気味に笑う。

「ふふ……それはだよ」

 そして不破嶺衣奈は躊躇いながら、しかし、ある話を始めた。

「周子、私はね……

 それは彼女の出自に関わる話――。


 三十数年前、彼女は生まれて間もなく、今の両親の養子になった。その叔父には遺伝子工学の権威である「佐郷平太」博士がいたと言う。メンデル社の研究所は、佐郷平太が元々研究所として使っていたものを譲り受けて改築したものである。

 彼女が自分の出自を知らされたのは、彼女が遺伝子工学に関わるビジネスを始めてしばらくして、佐郷平太が亡くなる直前だったという。

 佐郷平太はかなり早い段階で、方法を確立し、実践したのだという。その秘密裏の研究で生まれたのが不破嶺衣奈だ。

 遺伝子をデザインされ、彼女は生まれた。


「私に親はいない。私はこの研究所で生まれたんだ。研究室の片隅で、子宮に見立てられたシリンダーの中に浮かびながら、やがて堕胎された。記録も残っている。――佐郷の研究は、どこにも露呈しなかった。私は佐郷の妹夫婦に育てられたんだ。……佐郷は、私の出自を私にしか明かさなかったらしい。このことを知っている人間は数少ない。育ての親さえこれを知らないんだ。私は生きているだけで、世界を騙しているような、そんな気分になるよ……。佐郷がこれを隠していた理由は明白だ。やつは。私の存在を隠していた方が都合が良かったんだろう。結果としてやつは研究に関して国から便宜を図ってもらうことがあった。つまり私の出自は、私を生み出した人間によって否定されたんだよ。だから、あと一歩かも知れないんだ! 繁栄規定を変えるチャンスが目の前に現れた! でなければ私は死んでも偽物のままだ! 親にも国にも認められず、嘘偽りの戸籍と出自で生き続けたにすぎない。皆が口にしている培養肉と同じだ! 私は所詮、シリンダーで培養された偽肉でしかないんだ!」

 不破嶺衣奈は一気に捲し立てた。

 全て洗いざらい、私に吐き出した。

「繁栄規定を変えなければ、んだよ……」

 不破嶺衣奈は私に「本物のあんたに何が分かる」と言った。それは根源からの叫びだったろう。彼女にとっては、嘘偽りで塗り固められた私という詐欺師でさえ、ヒトから生まれたヒトの本物なのだ。……いや、もしかすると「志田狭周子」が偽物だからこそ、彼女は私を傍に置いたのかも知れない。しかしそれでも、今の今まで、この話をすることはできなかった。

 ――あなたは本物だ、と軽率に言うことが、どうして出来よう。

 ルーツのない自分を認識する地獄は、想像を絶するだろう。

 私のような、自分を偽ることに慣れた人間は、あるいは彼女にとって「理解者」たり得ると、そう思われていたのかもしれない。

「分かりました――」と私は返事をした。「分かりました――。私がなんとかします」

 私の言葉に不破嶺衣奈が顔を上げた。

 不安を隠しきれない、何かに縋るような瞳で私を見る。

「すまない、周子。あんたにこんなことを隠したまま――」

 私は不破嶺衣奈の元へ歩み寄り、顔を近づけて、じっとその目を見た。

 ――そして。

 ――そして目の前の女に、私は囁く。

「――良いんですよ、嶺衣奈さん。大丈夫、私がいますから」


 ああ、私はこの時を待っていた。

 ようやく――ようやく彼女を公算が、整ったのだ。


 不破嶺衣奈――彼女にはになってもらおう。

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