第10話 世界
品川から陸に上がった助九郎達は勝邸に入った。それからの日々は朝から夜まで海舟は勢力的に活動した。登城したかと思えばいくつかの他藩邸に出向いたり、大名の屋敷に行ったり料亭で会食、家でも客人の対応で常に誰かと話をしている。助九郎と秋女は交代で警護をしながら合間を見て勝邸周囲の探索から始まり江戸の情勢、攘夷派の動きと情報収集に奔走し休みなく活動する。どうやら攘夷派の動きは京に比べて大人しく、徳川家のお膝元はしっかり威光が届いている風に見えた。しかし、少し前には江戸城桜田門の前で大老井伊直弼が天下の往来で殺害される前代未聞の事件が起きており、尊王攘夷の風を起こした水戸も近く油断出来る状況でもなかった。にも関わらず、勝は自分とは関係の無いと言わんばかりに自由奔走に活動した。いや、そんな事にかまっていられないほど忙しかった。もうすぐ将軍家茂が京に上洛するのだが、そこに勝は何やら一計があり根回しをしている様だ、更に神戸と言う村に幕府が購入した蒸気船の操縦訓練所を造っているらしくその対応。そして奉行としての仕事。勝は目が覚めてから寝るまで常に誰かと話をしていた。目まぐるしい勝の行動で警護は臨機応変の気が抜けない対応だった。そんなある日、勝が京に向かう際に必要な書物を書斎で整理しており、そばで手伝っていた秋女が、奇妙な絵柄が書かれた南瓜程の球に興味を示した。。
秋女「このクルクル回る球に不思議な模様が書かれているこれって何ですか?」
海舟「それは“大地国形”(地球儀)よ、この世界を表している絵地図だな。線で囲われた内側が陸で外側が海だ」
秋女「世界?」
海舟は地球儀の横にあぐらをかいて球を回して指を差した。
海舟「ここがエゲレス、そしてここがフランス、ここがオロシア、そんでもってここがメリケンだ」
秋女「これは色々な国の場所や形が書いてあるのですか?」
海舟「そうよ!飲み込みが早いね、ちなみに日の本はここだ」
勝が指差す場所には海に囲まれた小さな陸地が書いてある。
秋女「え?えー嘘だー」(だいたい球にする意味が解んないし)
秋女は横目で疑いながら勝を見る。
海舟「ホントさぁ、これは西洋人が世界を回って作った物でな、彼等はこれを見て世界の色々な場所へ迷う事なく行ける。だから大体合ってるし、オイラもこれを元にメリケンへ行って来た」
秋女「えっ!勝さんメリケンに行ったんですか!?」
海舟「おう!咸臨丸ってー蒸気船でな、メリケンの事聞きたいかい?」
秋女は大きく何度も頭を縦に振った。
海舟「ハハ、そうかい」
そう言って海舟は身振り手振りを交えアメリカの様子を秋女に語る。
海舟「向こうの家は石で出来ててさ、天守閣よりも高いのよ」
秋女は石を積み上げた五重の搭がいくつも立っている町を想像する。
海舟「
今度は蒸気船が左右に車輪を付けて陸地を移動する想像をした。
秋女「そのぅ、向こうは一般の民が政治をすると聞いたのですが本当ですか?」
海舟「お!アンタ凄いね、その通りだよ!」
秋女「やっぱり本当なんですね!?」
秋女は嬉しそうにして胸元に手をやった。
海舟「そうよ、西洋は平民でも入れ札で選ばれたら代表者に成れる、武士も商人も農民でも政治をする側に成れるんだ、良く知ってたねー、興味あるのかい?」
秋女「はい!母から聞きました!西洋は殿様が居なくて皆で決まり事を考えて皆が住みやすい国にするんだって!」
海舟「まぁ殿様は居る国も有るが大体その通りだな」
秋女は目を輝かせ興奮する。
秋女「皆で話し合って政治をするから争いも無いんですよね!」
海舟「いや、争いはあるよ、むしろ西洋人は争いを好む傾向があるよ」
秋女「えっ、そうなんですか?……」
海舟「西洋人は他国と争って領土を広げる事を推進してるし、メリケンは今国の中で意見が別れてこれからメリケン人同士の戦になるらしいよ」
急に秋女の目が光を失う。
秋女「そうなんですか?……でっ、でも『ハライソ』の国は争いが無くて皆が平和に暮らしてるって聞きました。先生!『ハライソ』ってどこですか!」
秋女は大地国形をクルクルと回す。
海舟「ハライソは国じゃなくて確か西洋人が信じる極楽の事だよ、アンタ『ヤソ教』かい?」
秋女はハッとし勝から目を反らした。
秋女「……違います……」
海舟「いやいやでーじょーぶよ、オイラはアンタがヤソだろうと何とも思わねーよ、前々から思ってたんだがアンタ西洋人の血が」
秋女「すみませんイチ従者が馴れ馴れしく言葉を交わしました。依頼人の私生活に必要以上立ち入らないのも警護人の務め、過ぎた振る舞いお詫び致します」
そう言って秋女は片付けの続きを初めた。
海舟「オイラには何も気にする事はないよ、何か聞きたい事があればいつでも……」
秋女は無言のまま背を向け本の整理を続ける、勝は微妙な空気にそれ以上何も言葉が出なかった。
助九郎は城下の旗本が軒を連ねる区画の一軒を訪ねていた。応対したのは水月館道場兄弟子の清二だった。
助九郎「清二さんお久し振りで御座います!」
清二「おお!助九郎!息災だったか!」
助九郎「はい!清二さんもお元気そうで何よりです」
清二は助九郎より五つ年上。面倒見が良く兄貴分適な存在で、三年前に徳川家からお呼びが掛かり警護係筆頭に従事していた。
清二は助九郎を座敷へ通し茶を出してくれた。
清二「お前はまだお呼びが来ないか」
助九郎「ええ……今は遊歴を重ね腕を磨いております」
清二「それじゃぁダメだぞ、いくら強くても館長は推薦してくれんよ」
助九郎「やはりそうですよね……下田館長は……」
今、水月館は前館長であり助九郎の育ての親である滝川正平が退き現館長は下田と言う男だった。
清二「泰平の世では剣の腕より詩や踊り、茶なんかの芸事にも長けた者が従者として好まれるからな」
助九郎「しかしそれでは流派の考えから外れます!」
清二「オレも初めはそう思った、でも実際係になると下田館長の仰る事も一理あると感じたよ、上様の御公務は多岐に渡る、公家や大名達との関わりもその一つだが、そこにはやはり芸事が欠かせない、常にお傍に控えるからには上様の為になる者にお声が掛かる、道理だろ?」
助九郎「そうですね……」
清二「我々は徳川家から禄を頂き、徳川家の為に身を捧げる者。流派も東照大権現様の命で設立した物だ、御宗家の望む形が流派の理想と仰る下田館長の言葉、受け入れるのが正しいとオレは思うが?」
助九郎「その通りです……」
清二「いつか一緒に働ける日が来るのを待ってるぞ」
清二は助九郎の肩をポンと叩いた。
そこから清二は警護係の仕事について話せる範囲で教えてくれたり、警護係をしている他の兄弟子達の近況を話してくれたのだが、助九郎は何だかすんなり頭に入って来なかった。
清二「あっそうそう、助九郎は有馬の事を覚えてるか?有馬忠治」
助九郎「もちろんですよ、良く一緒に遊んだし修行を真面目にするヤツでしたね、元気かなぁ」
清二「あいつ道場を抜け出したらしいぞ」
助九郎「えっ!」
清二「どんな理由があったのか、目的が何なのかは知らんが水月館の掟、お前も知ってるよな……」
助九郎「はい……流派の業は門外不出、破れば死罪もあり得る……」
清二「徳川家を守る為に編み出された業だ、他に漏れたら警護に障る、もしかしたらお前にも追跡の命が出るやもしれん、一応覚悟だけしておけよ」
助九郎「……」
助九郎が勝邸に戻ると、客間で勝と誰かが言い争いをしていた。
勝「てやんでー!アンタラ危機感がねーのか!」
男「勝殿飛躍し過ぎです!国の行く末と将軍の上洛は関係有りません!」
勝「関係あるよ!この機会に蒸気船の力を上様にご体感いただきゃー話がはえーって言ってんだ!」
男「だ・か・ら!軍艦操練所を絡めたいんでしょ!それは他で当たって下さい!上洛は上様の威光に関わる話し!打算を持ち込むな!」
勝「操練所は関係ねー!(その通りだよ!)」
二人の言い合いは白熱している。助九郎は襖から中を伺っている秋女から事情を聞く。どうやら将軍上洛を陸路か海路かで争っているらしい。
客が帰った後、勝はブツクサと言いながら縁側に火鉢を置いて座り、何やら考え事をしてため息を吐いた。その隣では秋女がやはりため息を吐いている。そしてさらに後ろで助九郎もため息を吐いていた。三人は空を見上げ出始めた月がそれを見ていた。
ハライソ ノリヲ @rk21yu
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