僕はこの作品のキャッチコピーを読んで、「?」となった。
陽キャなコピーに偽りを感じた。笑うにはストレート過ぎる。まぁ、別にスタバを批判するつもりはない。お洒落なイメージで語られるが、カスタマーサティスファクション、流通業界の方はCSと呼ばれている部分で特化した業態である。
アメリカのとあるドライブスルー型のスタバ店舗で、客がたまたま後ろの客の支払いも一緒にした。するとそれを知った客が同じように後ろの客の支払いをした。そこから延々、暫くの間みんながみんな楽しんで後続の支払いを続けるという現象が起こった。こういう善意のリレーが生まれてしまう土壌がスタバにはある。CSが高とこういうお客が生まれ、集まり、善意をリレーしてゆく。
さて、僕がこの作品のコピーで「?」を感じた部分は、本文を読むとすぐに理解出来た。
モノを書く、創造を行なう、何かが生まれる、誰かに伝えたい、自分を知って欲しい、結果が欲しい。書く作業は、気が付けば僕らを欲の塊に落とし込むリスクを背負う。そしてその欲を渇望しながら得られない時、何を選択するか。歴史上の名のある芸術家達は様々な選択を行なったと僕は思う。
この作品はその選択のひとつであると思う。
まるでゴッホが自らの耳を切り落とし、自画像を描いてしまう様な、そんなユーモアがある。誰もが思い当たる部分を含み作品は語られている。
僕はCSについて少しだけ書いた。さらに言うなら、スタバの椅子やテーブルが不揃いなのは、様々なお客がいるからだ。彼ら彼女らが落ち着く形も様々だという思想から来ている。その他にも多くの思想があの空間には織り込まれている。
モノを書く時に、出版業界はターゲティングという言葉を使う。少し歪なCSだ。僕はもっと穏やかに考えたい。この作品と会話しながら、僕はそういう気分を思い出していた。
まとめると、とても失礼なのかもしれないけど、僕はモノを書く仲間が、パンツを降ろして自分のモノが世間一般的にどうなのか? と打明けられた様なそんな気分だ。だから僕は同じ仲間として、このレビューを書いている。
誰にでも気軽にお勧めというわけには行かないかもしれないけど、この作品はそういう胸を打つモノが秘められている。
このレビューが、この作品に触れる次の誰かの指標の一環になる事を祈りつつ。