第3話

 それから数日経って、私は飲み屋で友人と飲んだ際に件の角の女性、小山椿の事を話題に上げた。端くれなりにも医師という職業柄色んな人間に会ってきたが、その中でも不気味という点で印象に残る診察であった。「覚悟、覚悟ねぇ。覚悟で角が生えるってのは表現としてあんま聞かないよねぇ。」焼き鳥の串でお通しの枝豆を弄びながら話を聞く彼は構成作家の東山戸浦である。ホラーや愛憎渦巻くストーリーを主に制作する彼は元来こういった話題が好きなのだろう、キナ臭さを察知したのか、終着点の無いこの話も楽しそうに聞いている。「女の覚悟っつーとなんだろうね、金か恋か、まだ若い子なんでしょ?じゃあやっぱり男かねぇ」

「振られたのかな。それならまぁ、あの鬼気迫る見た目も分かるっちゃ分かるよ。」

「でも覚悟なんでしょ、振られたってのは受動的な行動じゃない、なら、振った?それくらいで角生やすほどの覚悟になるかねぇ」

人の心の内などどんなに推し測っても我々には分かる事の無い領域である。雑談の域を出ぬちょっとした話題のつもりだったが、東山は続けた。

「なんかありそうだけどねぇ。覚悟で角が生えちゃう、うーんモヤつく」

東山は頭を捻りながら深く考える。

「お前この話でドラマを作ろうなんて考えないでくれよ、実際の患者なんだから。」

「分かってるよ、ただの趣味。あとドラマ作るのは脚本家とかだから。」

へらりと笑いながら酒をあおる東山。構成作家の前は記者をやっていた。持ち前の人当たりの良さと押しの強さでアイドルの不倫や俳優の不祥事を次々掴み、いつの間にか業界に繋がりが生まれ大手テレビ会社に入っていったー…彼の器用さには時々目を見張る。

「あっ、まさに般若とか、そういう方向性じゃない」

般若、あの鬼みたいなやつか。そういった芸事に詳しくない私は東山の顔を見る。

「般若ってのは能に使う、女の嫉妬と恨みを表した怨霊のお面ね。まさに鬼みたいなやつ。でも俺も最近知ったんだけど、実はあれは途中経過なの」

途中経過?私は言葉を繰り返す。

「そう、怨念の度合いによって作中で面を付け替えてくの。般若は怨念度が60%くらい…なのかな。本当はあるんだが、その面達を使う曲自体が少ないのと、般若心経とか、あとドラマで般若面被ったキャラいたでしょ、だから結果として般若だけ知名度が高い。」

角の女性、小山椿と般若面、彼の中でなにか辻褄が合ったのだろう、東山は話の途中で湧いて出たストーリーに1人で熱くなる癖がある。私は随分詳しいな、と新しく来た焼き鳥を勧めながらぼやく。

「いやこの前深夜帯で和製ホラー取り扱いましょうってなって調べた事があんのよ。そんな詳しいわけじゃないけどね、これが意外と深くって。」

焼き鳥を齧りながら彼はスマホでなにやら検索し、私の方に能楽の面についての記事をずいと見せる。

「これ般若ね、こっから更に変化してくにつれて人じゃない形に変わってくるの。元々高貴で美しい女性が、壊れてくにつれ徐々に髪も乱れて、目もひん剥いて、角も発達して、話も通じなくなってく。」

私が小山椿を始めて見た時どう思ったのだったか。ギラついた目、長くべたつく黒い髪、顔は美しいのに勿体無い、精神面に問題があるのではないかー…私は食べる手を止めた。

「最後はどうなるんだ」

「蛇になる。」

「蛇に?般若って鬼なんじゃないのかい」

「その辺ねぇ、いくつか説があって俺もハッキリとは分からないんだが、なんかのお姫様がイケメンの坊さんに惚れたが振られちゃって、怒って顔は鬼の身体が蛇になって坊さんを殺しちゃったっていう昔の説話が、最終形態が蛇になるってのの元なんじゃないのかって説がー…。まぁ諺にもあるじゃない、『鬼が出るか蛇が出るか』って。近しい存在なんだよきっと。…あぁ、この蛇になったお姫様は殺す覚悟が生まれ変化してったとも、読み取れるね。」

馬鹿らしい、ゴシップ上がりらしい突飛な空想論でありテレビ関係者らしい無理やりなつじつま合わせ。だが頭の中を反芻して離れない。

「そんなら小山椿は人を殺して蛇?鬼?になったから角が生えたって言いたいのかい。その画像のお面みたいな立派な角じゃなかったがね、ただのこぶだよ。」

私から始めた話であるのに、なんだか居心地が悪くってぶつくさと文句を垂れながらビールをあおる。

「いや、その小山さん?は『成りかけ』って事になるんじゃない。まだ蛇じゃない、薄ら奇妙でも話を聞いた感じ普通に人だろう?そして、だ。彼女の角がこぶみたいだってんなら、これが近いと思うね。」

東山はやや大人しい表情の面の画像を見せる。

「さっき言った般若の前段階の面だ。名前を生成りと言う。」

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