69-6

る。

スズシロレン


 うるさい。みいんみいんと蝉時雨はアスファルトを跳ね返って延々とこだまする。竹刀袋を背負った背中に汗がじとりと張り付く。セブンティーンアイスクリームの自販機が目に留まってグレープ・シャーベットの表示に指が向かった時だ。サッと血が引くそうだあの時のような怖気おぞけがして振り返る。詰襟の学生服を着た男子学生がそこにいた。青白い肌と他者に興味の無さそうな冷たい視線。独り冬の中にいるような――そう、自分も言われたことがあった。しかし鏡を見るのとは随分印象が違うものだ。確かに冷たい少年が鞘から引いた黒い刃の切っ先をぬらりと僕に向けていた。蜃気楼制服日本刀“自分” 血。


 僕は僕に殺された。


 





「よっ、お目覚めか」


 軋む体を起こすと、白いパイプベッドの並んだ病室に、女性がいた。確かに発せられたのは違和感のない日本語だが、くっきりした目鼻の顔立ちと何より琥珀色の瞳は欧米の由来を思わせた。修道服姿で頭巾に隠された髪の色は分からない。


「今回も痺れるりようだったぜ、


 何からどう否定すればいいか尋ねるのが先かもう一度ベッドに潜り込んで眼を瞑るのが正解か、束の間逡巡する間にガラリと戸が引かれる。白衣を着た男性。この場から察するに医者か。


「あ、あー……。初めまして、かな?」


 戸惑う僕の顔を見て濁してから、にこりと彼は親しげな笑みを作った。


「私はドクター・カンナギ、と呼んでくれ。ここは見ての通り病院施設――と言いたいのはやまやまなんだが、」シュボッと取り出したライターで病室の中煙草に火を点けるのは嫌な予感の心構えをさせたのか。

「精神病患者の収容、というか拘束施設なんだ」


「ぼ、僕は、――間違ってます」


 何かあられもない嫌疑をかけられているのは確かだ。全部間違っている。途方もない方向に。

 男は同情気な顔をした。


「君の病状は、二重人格でね。見ていて最も心苦しくなるよ。幾人をも殺害したのは『君』ではないんだから」


 からからと喉が渇く。二重人格? 精神病? いや――嘘だ。


「家に、帰してください……父が、説明します」

「それは問題ないんだ。その辺はおいおい説明するよ」


 食い違ったまま男は話を進める。先ずは説明する、質問はその後だと。


「収容施設と言ったが、ここに集められたのは重犯罪の『精神病』患者――と烙印を押された者たちだ。裁かれない者達がどこに行くか知っているかい? の答えだな。ここは外部との通信手段が遮断された孤島だよ。世界に厭われる君達を隔離する為のね」

「クソイカれた野郎共と一緒くたって訳さ。あたしは世界を救済してたってのに」


 口を挟んだのは腰掛けた《修道女》だ。


「彼女はひ患者ナンバー90-1、シスター・クレイとここでは呼ばれているよ。ああ実名は伏せているんだ。元は聖職者で散弾銃で信者を百人殺している」


 無精髭の口元を緩ませながら男が向けた視線を思わずなぞる。女性が、隣のベッドに腰掛けていた気さくな女性がまるで異なる異物に変わる。琥珀色――獣のような金瞳きんめが爛々と狂気に満ちている。白い肌女性らしい体付きに擬態して。


「雑な言い方をしてしまったが、精神病というかどうにもならない思想犯、動機が他己的ないわゆる確信犯も含まれる。自論ではその線引きも無意味だと思っていてね。要するに大多数と異なる考え方、認識をする者だ。屑共だよ」


 ギョッとする。どちらかと言えば身だしなみに無頓着な医者らしくない風貌に関わらず、その表情や態度は慇懃なものだった。話せば分かるような安心感が未だあった。だが流れるように放たれた悪態にピシリと現実のヒビが入る。


「ああ、安心してくれ。君達に敬意を払う――ことはないが、見下してはいない。私もそこに分類されるからね。管理者側だが、同じ穴のむじなさ。ここは実験島だ。私のね。パラダイスさ」

「私たちの、か」茶目っ気に言うが到底笑える筈がない。

「犯罪っていう概念がないんだ。溢れ者たちを集めたら何が起こる? 社会は発生するのか? 着火装置【ルール】は何がいい?」


 ハハ、と狂った男――ドクター・カンナギが嗤う。


「帰して……ください」無気力に誰ともなく縋った。

「69番君、君は十六歳にして九人殺しているシリアルキラーだよ。このまま帰れる場所はない。とはいえ、行く場所ならある、」と言葉を次ぐ前にキン、と天井のスピーカーから音が降り注ぐ。



《21、39、42、死亡。タダイマの人数は残り、二十七人です》



「始まっているんだよ……というか終わりに近い。何故この佳境での人格が入れ替わったか分からないが……まあ依然続行に変わりはない。じゃあ、運が悪くなければまた会おう」

 グッドラック、と説明をおざなりにして白衣の男は室を出て行った。


「つまり……“ムクロ”じゃないのか」

 

 静まった病室で、シスター・クレイが落胆を滲ませた声で呟く。僕は、と言いかけて止めた。殺人鬼に名乗ることははばかれた。警戒と困惑を露わにしているだろう僕を見てとり彼女は何か慰めるように口を開いた。


「あー……あのな、最後の一人になったら、島を出られる。不老不死にもなれる。あたしたちは、協定を組んで他の奴らをぶっ殺してきた。まあ次に『目が覚める』までお守りをしてやるよ。約束、したからな」


 金の瞳がキラキラ光を受ける。手に負えない獣に懐かれたような罪悪感と恐怖に身の毛がよだった。


  

「お前を殺すのはあたしで、あたしを殺すのはお前だって」



 途方なく、選択するまでもなく、パイプベッドに仰向けになった。

 目の端に映ったのは、ベッドヘッドに括り付けられたプレート。黒マジックで粗雑に書かれた数字。


 69-6

 




 二



「“病院”はエリアから外れた安全地帯なんだ……。もっとも、余程重症で、腕に覚えがなければ入ろうとはしない。入るのも出るのも狙い撃ちされるからな」


 パアン、とクレイは無造作に引き金を引く。茂みから血飛沫が飛んだ。うっと吐き気と眩暈を催したが、実際には何も吐瀉しなかったし気を失うこともなかった。彼女は銃身一メートルはある銃を手慣れたように背負った。背負う――


「僕の武器はどこですか」


 キョトンとして、クレイは僕を見下ろした。立ってみて分かったが彼女は女性としては大柄で大の大人より頭一つ大きい。


「あなたと組んでいるなら、小回りの利く近接戦闘用武器の筈だ」

「ほらよ」


 彼女はもう一つ背負っていた、一メートル程の布の包みを投げて寄越した。顔を綻ばせる。


「やっぱり、ムクロか。二重人格? 記憶障害? どうでもいい」


 細長い布袋から覗く「柄」を引く。日本刀だった。

「……」不思議な程手に馴染む。

「“能力”の方はどうなんだ?」

「何のことですか」


 未だ何かあるのか、とうんざりしながらも僅かに――いや、《そんな》筈はない。幾らそういう『ゲーム』が世に溢れようと、ここは電子でもサバイバルゲームの世界でもない。幾ら仮想上で嗜好し消費しようと実際に自分が放り込まれて楽しむような人間は――いたらまともじゃない。罪に問われず、身を守る為で、死んで当然の奴らだとしても。訳の分からないまま殺されたくない。手を組み手に取ったのは、ただの防衛本能だ。


「まあ、無いくらいでいいか。正直お前のはチート過ぎてつまんなかったからな」

「何のことですか」もう一度訊く。

「“正確予測”とか言ってたな。詳しくはあたしにも分からない。まあ、敵同士手の内を見せないのは当然だな。とにかく、あんたのいう通りに動けば全部うまくいった。最小限の労力ってやつでな。あたしはもっと派手にぶっ放したかったし、丁度いい」

「一つお尋ねしたいのですが、あなたは聖職者で他己的だというのは嘘ですよね」

「あは、そうかもな。世界の為だと信じてい『た』」


 口で笑いながらも瞳はアンバーに翳っていた。それは自己への懐疑であっても他者への悔恨ではないことを見ればこちらには何の感傷の余地もない。


「それで、能力というのは。状況を把握させてください」

「カンナギが、あー、『殺しの才能』ってやつをそれぞれ強化させてるみたいだぜ。あたしの場合は、“熱感知”。半径2、30メートル内なら夜でも隠れていても生体の位置が大体分かる」

「強化……?」


 それがどれくらいの精度のものか分からないが、あたかも特殊な『能力』と名称を付けるに仰々しい気もする。同時にそれは現実味を意味し、未だに縋っていた「嘘」ではないかという期待も先細る。


「あいつはイカれた脳科学者の外科医で、人間が到達し得る技能を測る為、イカれたあたし達をサンプリングしているらしい。人工手術で技能を付与できるかどうか、とか。あ、頭に電気ショック装置が埋め込まれてるからあいつには逆らえない」

「――は?」


 最低な脅迫を聞いた。それでは仮に『島を出る』ことになっても傀儡ではないか。……いやそれが自分でないとすれば、凶悪な殺人鬼を野に放つには当然の制御措置なのか。



「さて、アジトに着いたぜ」


 クレイはそう言って町の中の一軒家に入った。ここは『無人島』という言葉を聞いて思い浮かべるような未開の島ではなく『無人になった島』のようで、廃墟化しつつも町が築かれていた。病院――いや、『実験施設』だけは新しく築かれた建物らしく、町から離れてうっそうと繁った森の中に忽然と異様な白いブロック体として存在感を放っていたが。

「ここで、暮らしていたんだ」

 クレイはポツリと言う。

「殆どが迎撃戦でさ、あたし達は呑気にここに居座って、そんで全員返り討ちにして、最強だった。――今日が、最後の日だな」


「“七日目”。百人中一人にならなければ、全員死ぬ。……どうする?」


「あなた方が言っていることが本当であれば、迎撃という訳にはいきませんね。放送では残り二十七人と言っていましたが……残り過ぎ、、、、ている」

「さすが、ムクロだ」クレイはふっと笑った。


「じゃあ、殺りに行こうか相棒」


 このクレイという女性が演技をしているように思えない。今日までを彼女と過ごしたムクロという人物は、何故自分にこんな悪夢を見せるのか。『最後の日』に消えたのか。

 彼女は頭をぶつけそうにしながら扉をくぐり抜けて、閉めた。



 パパパパパパ、散弾銃を打ち放つ。



 残り『二十五人』というのは徒党を組んでいた。

 見張りが戻って来ないことで予測はしていたらしく、迎撃準備を整えた敵陣地にまんまと二人、誘い出されて乗り込む。宗教的なカリスマがいるのか最後はロシアンルーレットで決めるのかいずれにしろ


「組まなければ残れない、という程度ですね」


 弾丸の霰をくぐり抜けてきた輩には刃を振る。突撃してくる、するしかない人間は動きが読めて無防備だ。ザシュ、ザシュ、ザシュ。生死に気は払わない。今制圧できればいい。そしていずれにしろ全員死ぬし、生きたとして傀儡だ。それが自分なら自死して終わらせる。こんなことをして、どの道もう戻れないのだ。血で骨で肉で刃が鈍る。放った言葉は自分に返る。ここまで「ムクロ」が生き残れたのは、得物を活かした立て篭りと獣を懐柔した姑息の功績だろう。まるで自分のようだ。自分なのか。


【洗脳者】を殺した。





 三



「おかえり、69番――今回は『ムクロ』君か。プログラム、、、、、は成功したようだね」


 カンナギは吸っていた煙草を灰皿に押し潰しながら屈託なく笑った。無言で刀を抜く。

 

「おや、人格は戻らなかったのか。それでなお生き残る――いや殺し切るとは、流石軍暗部から最年少で分隊長候補に挙げられるだけある」  

「『僕』にもご説明ください」その刃を、自分の喉元に添える。

「ふふ、勘が良くて好ましい。一番して欲しくないことを分かっている。記憶を消去されても本質的に君は君なんだな。思考は経験に依らない、クズはクズなのか? 例え君が、幼少時に母親から包丁を向けられていなくても君は二重人格のシリアルキラーになっていただろう。普通の六歳児は返り討ちにはしない」


 ぷつり、と白刃に血が載る。待て待て、とカンナギは制した。あー……と準備はしていなかったように要領悪く話し出す。


「殺人者は殺人できるという“才能”がある。欠陥と呼ぶか? それはどうでもいい。ただ、人類という種族の多様性が生み出した一分子だと私は考える。その能力を強化した特殊部隊を作れば、より少ない人命で、より少ない軍事費用で、任務を達成し――人類を平和に導けるのではないか? 百人に一人の精鋭を集めるには、どうしたらいいと思う?」


 仕様もないエゴイスティックな“確信犯”……脱力と共に可笑しくなる。


「僕は蠱毒の虫ということですね」

「いいや……君は始めから選ばれていたんだ。君という才能を育成する為に、他の九十九人の屑共を用意したと言っても過言ではない。まあ、実験に失敗は付きものだから“不運”という結果もあり得ただろうが。これまで七割がた被検体の“育成”は成功している」



「おめでとう、ムクロ君。君はこの実験島第二十二期生の誇る“脱出成功者”だ」


 

 パチパチとカンナギは乾いた音を鳴らす。


「最後のミッションを遂行すれば、晴れて君は日常に戻れる。まぁ『隊』の呼び出しには応えなければならないがね」

「そのミッションとやらを受けなければ“失敗”できるんですね」

「まあ成功率と私の評価は多少下げるが……繰り返されるだけだ」


 カンナギは駄々っ子を宥めるような口調で、無精髭を撫でる。


「そう構えずとも簡単なものだよ。日常に戻るには一人消去する必要のあるニンゲンがいる。君を拉致している間、余分な騒ぎを起こさない為に君の代わりを務めてもらっていたんだ。君の人造人間【レプリカ】にね。大丈夫、今の君のような実戦経験も積んでいないし記憶の復元も当然拉致前までだ。科学者なんで百パーセントとは言えないが、失敗する筈がない」 

 僕は目を瞑った。

「一つ、条件があります」


 ――家族ってこんなかなと思えたよ……あんたに会えて、良かった


「クレイを生き……してください。“不老不死”はそういうことですね、ドクター・カンナギ」

 白衣の男は口に弧を描く。

「いいだろう。彼女とのバディの有用性は君が証明した、申請しておくよ」


 承諾を得られて気をよくしたのか、カンナギはあまりに軽く応える。――そうだ、最後にして初のミッションは隊服を着ていくといい。これを目印に政府からもある程度黙認される。学生服にルーツが同じだから、そう目立たない……あ、今は夏だったからちょっと変に思われるくらいかな――饒舌なノイズに割り込んで、恐らく最後の質問をする。



は何体目ですか? ドクター」



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