第31話 最後の恋人

栞が廊下に出て来ない。


ドアを開けたまま待っていた門野は部屋に戻る。


部屋にも居ない。

きょろきょろしていると


「ごめんごめんお化粧直し」


そう言ってバスルームから顔を出した。


「早く帰れって言うのはわかってるからさ

 そんなにせかさないでくれる?」


嫌味っぽく笑う栞は門野より先にドアを開けた。





エレベーターを待ちながらまた愚痴る。


「えらく嫌われたものね?」


「嫌ってないよ。シンデレラって約束だろ?」


「今日はガラスじゃなくて皮だしダメか?」


そう言って左足をひょこっと上げてブーツを見せた。




1F。ロビーは閑散としている。


2人は無言で歩いていたが玄関に近づくと

栞が急に歩みを止め、門野に言った。


「ねえ?帰ったらブロックする気でしょ?」


門野は驚いた。

そうだ、そう決めていたのだ。

栞を送ったらラインも電話番号も

すべて消すつもりだった。


「しない、しない、何言ってんだい?」


そう言いながら栞の鋭さが怖い。

これ以上惚れるのが怖くて避けている事も

感づかれているのかもしれない。


立ち止まる2人をベルボーイが見ている。

だがここは高級ホテル。声をかけたりはしない。

門野はアイコンタクトで、少し待って、と合図した。

軽く頷きベルボーイはタクシーに連絡に行く。


門野はおもむろに財布から金を出し栞に渡した。

美しい顔が般若のようにゆがむ。


「ちょっと?なに?」


「車代。最後までイイ格好させてくれ」


「門野さん、私、仕事じゃないよ」


「わかってるよ。これは支払いじゃない。

 大切な君に安全に帰ってもらいたいんだ。

 栞ちゃんが乗るつもりの無いタクシーだから

 オレの責任として車代は出させてくれよ」


「はいはい、仰せの通りにしますわよ」


そんな言い方をしながらも栞はうれしかった。

ここまで大切だと面と向かって言われたのは

初めてだった。


歩き出すとベルボーイが迎えぎみに声をかけた。


「門野さまタクシーのご用意が」


「ありがとう」


美しいワインカラーのワンピースがシートに滑り込む。


「着いたら電話するからね、わかった?」


睨む顔もきれいだなと門野は思った。


ドアが閉まる。


門野は軽く手をあげて、車の発進と同時に踵を返す。


独りのエレベーターが恐ろしく遅い。


部屋に戻る。


あわててカーテンを開ける。

栞が眺めていたガラスには

彼女が手でなぞった跡があった。

まだここに居るような錯覚に陥る。

美しい夜景がその部分だけ結露でゆがむ。


こうして悔む自分が嫌でしかたがない。

人に惚れては勝手に気を遣い、苦しんで身を引く。

若い時から同じ事の繰り返しだ。


オレは何をしたかったんだろう?

ただの人恋しさで栞が気になったんだろうか?

それとも独りで生きて来た栞に同情したのか?


恋愛感情のような、父性本能が入り混じった

おかしな気分で今日1日を過ごした。

でも結局、門野は栞に惚れていたのだ。


だが、彼にはなれない。

でもひょっとしたら、叔父さんになれないかな?

あの子が幸せを掴むまで見守れないか?

あの子を支えたい。幸せの手伝いがしたい。


最後の恋人になれるならなりたい。


でも今更、そんな事を思って何になる?

オレはダメだな、やっぱり。


門野は自らのシナリオを完結させる。

なんども拭うガラスの向こうに

見えるはずもない栞の乗ったタクシーを探す。


門野は部屋の明かりを全て落とした。

美しい夜景がCGのように浮かぶ。


スマホを片手にソファに沈む。


もう消してもいいか?

いや、電話がかかってくる。

栞との約束だ。

電話をもらってから消そう。


そう思いスマホをベッドに投げた。


そのまま美しい夜景を眺める。



♪ヴーッ ヴーッ



一瞬ソファで微睡んだみたいだ。

スマホのバイブで目が覚めた。

あわてて立ち上がりベッドの光に向かう。


画面で光る(しおりちゃん)の文字に

最後の会話だな、と思う。




「あ!門野さん今帰ったよ。今日はありがとう

 よかった。ブロックしてないね」


「してないよ、なんで何度も言うんだよ?」


「門野さんの態度が、最後ですって物語ってたのよ」


「どんな推理なんだよ?」


そうだ。この電話を切ればすべて削除だ。

この子は本当に勘がいいなと思った。



「ねえ?」



「トイレ行った?」



「トイレ?」



「うん、トイレ行った?」



「行ってないよ、なんで?」



「じゃあ、トイレ行ってよ」



「え?行かないよ」



「いいじゃん、トイレ行ってよ」



「何言ってるんだ?酔ったのか?」



「ち~があう!トイレに行けって言ってるの」



「なんだよ もお~」


ベッドをイスに座っていた門野は

面倒だなと思ったが、バスルームへ。


パチッ。

明かりを点ける。


「行ったよ、なんだ?」


眩しいので不機嫌そうな顔が鏡に映る。


あ、オレスーツのままだ。

シャワーだけでも浴びないとな。


そう思いつつあたりを見回す。



「・・・・」



「ん?」


「あっ!なんだよ?おい~」


門野はすっとんきょうな声を出した。


「ちゃんと見た?ねえ?」


栞の笑い声がバスルームで響く。


「なにやってんだよお、もお~」


門野は小さく地団駄を踏みながらたずねる。


「どういうつもりなんだよぉ?」


「だから~そういう事なのよ」


そう言うとまた栞は笑った。


鏡の前で困惑する門野の手元。



洗面台シンクの上には




栞が忘れたスプレーボトルが置いてあった。



       終



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後の恋人 波平 @to4

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ