第30話 シンデレラ

「おじゃましまーす」


そう言うと栞はうれしそうに部屋に入る。

ここは50Fの門野が泊まる部屋だ。

53㎡のエグゼクティブルーム。


トイレに行きたいと言って部屋まで強引に付いてきた。

門野は正直迷惑だった。バーを出て解散になる予定が

こうして栞が部屋に来るなんて思いもよらなかった。


いや、正確にはうれしいのだが

栞が部屋に来るというのは

別の意味で動揺してしまう。


オレが嫌いなら部屋には来ないだろうし。

でも恋愛感情なんかあるはずもないだろうし。

本当にトイレなのかな?

そんな事を思いながらソファに沈む。


「やっぱり5つ星はちがうわね~」


トイレから戻った栞はそういいながら窓際に立つ。


「イイ格好するつもりで無理したんだよ

 それより今、タクシー呼ぶからさ」


「え?もう帰れって?電車まだあるじゃん」


時間は11時すぎだった。


「こんな美人を夜の街に放つのは心配だよ。

 タクシー呼ぶから乗ってくれ、お願いだ」


「元嬢にとっては、今から出勤時間よ」


「ダメダメ、オレのお客さんだろ?」


そう言うと門野は立ち上がりベッド脇の電話に向かう。


「え?ほんとに呼ぶの?」


「うん」


「まだ11時じゃん?まだいいでしょ?

 タクシーで帰るからさ。ちょっと休憩させてよ」


「じゃあ、12時のシンデレラで帰るか?」


冷蔵庫からビールとウーロン茶で飲み直し。

小さめのテーブルに向かい合わせのイス。

喫茶店の窓際の席。そんな気がした。


話はいつしか?バーでの話に戻った。


「門野さんさ、私の話聞いてどう思った?」


「どう思ったって?」


「うん、て言うか、私ね自分の生い立ちとか

 話したことなかったんだ。なんか嫌でね。

 哀れんで~みたいな感じでさ、そういうの嫌で」


「でも門野さん全然私を哀れんでないからさ。

 もちろんイイ意味でね。だからどう思ったかなと」


「うん」


「オレ、実際、ボランティアで居たでしょ?

 で、分かったんだ、苦しみは読めないって。

 一瞬にしてすべてを失った人を見てね

 その思いを、傍から見て分かるわけないって」


「世間で寄り添うとかいうじゃん、できないよ」


「だから栞ちゃんの苦労に意見とか感想とか

 何もないよ。ただ聞かせてもらっただけ。

 信頼して聞かせてくれてありがとうと思うのと

 さっきも行ったけど、君を支えた人たちの

 ためにもさ、幸せになってほしいなって」


「栞ちゃんに言うんじゃなくて

 オレが勝手に心の中で思ったのよ、それだけ」


「本音だよね、うれしいわ。

 私さ、ホステス時代にさ、やっぱ会話で

 困った時とか、ちょっと愚痴っていうか 

 テクニックだけど、そういう話チラっとして

 気を引くっていうか、そういうのあるのよ」


「うん」


「もちろん震災の話は絶対にしなかったけど

 ちょっと愚痴みたいなの言うとほとんどの男は

 すっごい分かるよ共感するよみたいにさ、みんな言うの」


「中には心の底からそういう人もいたけどね。

 基本門野さんの言う通りよ。

 その人が抱えるものなんて他人には分からないよね」


栞は基本、誰にも頼ることはない。

共感や寄り添うなんてまっぴらだった。


傷は自分が負うもの。自分で乗り越えるしかないもの。

だが、そんな自分と共に歩んでくれる人がいれば

その人の存在で人は生きていけるのかもしれない。


栞はふと、門野の話を聞いてそう思った。

正直うれしかった。こうして門野と話す時間。

鎧を脱いで話せる時間が心地よかった。


だが、話をしながら門野は早く帰ってほしかった。

楽しそうに話す栞を見て、どうしようもなく

可愛く、愛しい、ますます惹かれていく。


どうやらオレは惚れてしまったらしい。


いや、正直ここで会う前から

あの初めて電話でケンカしたあの時から

門野は栞に対して恋心を抱いていたのかもしれない。


だがもう人に惚れるのはまっぴらだ。

あと10年若けりゃ、その気にもなるだろうが

まずこの美人とは釣り合わないだろう。


苦しむのは嫌だ。


また門野の氷山が泣き声を挙げ登山道を閉じる。

早くこの栞を帰らせて独りに戻らなければ

これは仕事だ、栞の仕事だと言い聞かせた。



「さ、そろそろ時間かな、タクシー呼ぶよ」


門野は栞の返事を待たずに電話にむかった。

自分に踏ん切りをつけるための行動だった。


フロントにタクシーを頼む。

着きしだい折り返し電話がかかる。

受話器を置いたとたん栞が言った。


「ねえ?門野さん」


「悦っちゃんの事好き?」


「またかよ? もう過去の人さ。

 どうでもいいとは言わないけど

 もう頭の中にはないよ」


「じゃあ、悦っちゃん、結婚すると思う?」


「するんじゃないか?彼は昔話も納得なんだろ?」


「うん、結婚してほしいよね?」


「あ、でもさ、栞ちゃん結婚したら

 門野さんが最後の恋人だね」


「最後の恋人かあ… かっこいい響きだなあ」


それには答えず、栞が言う


「ねえ?もし、私が・・・」


♪プルルルル プルルルル


タクシーが来た。


栞はハッとした顔をして話すのを止めた。


タクシーの到着はシンデレラが帰る合図だ。


門野は電話を切るとテーブル上のカードキーを

2枚ともワイシャツの胸に入れた。


「さ、行こうか?」


重厚なドアを開けると静かな廊下。


片手でドアを押さえながらシンデレラを待った。


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