第2話 ありえなくて、不思議な光景

――レイは、機人を直そうとしてる。


 朝食の後片付けをしながら、モニカは溜息をついた。


 ――本当に、いいのかな?


 レイが学校に行き、家に自分一人になると、さっきまでの興奮は少しずつしぼんできていた。代わりに、不安とも罪悪感とも言えないジメジメしたものが胸の辺りから全身に広がってくる。


 機人を直せるかもしれない、とレイが言った時、驚きと一緒に湧いてきた気持ちは確かに、嬉しさだった――と、思う。それは単純に、機人を直すなんてことの、あまりのすごさに善悪を通り越して感動してしまったからだったのか、それとも、


――気づかないうちに……私も……。


 機人を直すなんてことは、あってはならない。


 それ以上に、機人にまた動いて欲しい、と思うなんて、絶対に、あってはならない。


「レイがすごいから……だよね」


 言い聞かせるように口に出してみる。


 初めてレイを見つけたときもそうだったが、この家で一緒に暮らすようになってからも驚きの連続だった。遠征で見つける度に持ち帰っていた前人類の本を、レイは当たり前のように読むことができたし、蝋燭が貴重品だと知ったら次の日には火を使わないのに燃え続ける角灯を作ってくれたし、ついこの間も毎日釜戸に通うモニカを見て加熱板というものまで作ってしまった。その上、


 ――まさか『機人を直せるかもしれない』なんて……。


 そもそもモニカには、いやモニカだけでなく町の誰であっても、『機人を直す』なんて考え自体、思いつきもしないのだ。はっきりいって、機人なんて存在自体が謎も謎。一応、前人類が作り出したものだと教えられてはいるが、それならば前人類は同じ人間などとは到底思えない。一体、どんな悪魔に魂を売ればあんなものを作りだせるのか。あまりにも高度すぎて想像すらできない。


 人間を殺すために、完全に破壊されるまで永遠に動き続ける人の形をした機械。


今まで何度も目にしてきたモニカにとって、機人は意思を持った生き物にしか見えなかった。それを直すなんて、死んだ生き物を生き返らせるようなものではないのだろうか? それはもう、神のみが成せることのように思えた。


「レイって一体……」


 片付けの手を止めて、レイと初めて会った日のことを思い出す。


 その日モニカは、初めて行った遠征の地でレイを見つけた。


 その時の光景はこれからもきっと忘れることはないのだろう。


 今まで見たことのない、ありえなくて、不思議な光景――




 一〇〇日前のあの日、森の中を夢中で散策していたモニカはいつのまにか遠征隊のみんなからはぐれてしまっていた。初めての土地ではいつもそうだ。未知の領域を開拓する楽しさは、「一人になるな」という遠征隊のみんなの忠告なんかすぐに頭から追い出してしまう。


 今まで誰も見たことのないような前人類の遺産を自分が見つける。


 それはモニカがいつも夢見ていることだった。


 しかし、その日は大した成果を挙げられないまま日が暮れ始めてしまっていた。諦めきれない気持ちもあったが、さすがのモニカも、真っ暗になった見知らぬ森を一人で動き回る勇気はない。


 高い木の上に登って、遠くに見える山の連なりに逃げ込もうとしている太陽を睨みながら、悔しさを沈めて遠征隊の野営地へ戻る決心をした時だった。


 かすかに、誰かが話しているような声が耳に届いた。


 他の遠征隊のメンバーかと思った。でも誰の声にも似ていなかった。まるで少年のような幼い声。遠征隊には子供はいない。十九になる自分が最年少だ。こんな離れた所に町の子供がくるはずもない。


 もしかして、このあたりに村でもあるのだろうか。こんな所に村があるなんて聞いたことがないけど、あり得ないことじゃない。小さな村は、機人が潜む森に出る術を持たず、自分たちの村の中だけで全てを自給自足で生活していて、そのために存在を長い間知られないこともある。


もちろん、そういう村は少ない。ほとんどないと言ってもいいかもしれない。大抵はどこかの町と交流を持っていたり、機人に攻め込まれて廃墟になってしまっていたりする。


機人に滅ぼされた村ならいくつもある。モニカが生まれた村もそのうちの一つだ。


 モニカは声が聞こえる方へ木を飛び移りながら向かった。


 もし、村を見つけたら大収穫だ。前人類の遺産が丸ごと残っているような地下遺跡を発見する程ではないが、誰にも知られていない村を見つけることも十分に価値がある。新たに発見された村では自分たちが知らない技術が発達していたり、見たことのない作物が育てられていたりすることがあるのだ。


 静かな興奮を感じながら、しかし機人への注意は怠らずに、慎重に進んだ。


 最後にでかい成果を挙げられるかもしれない。


 モニカにとって初めて訪れた場所では前人類の遺跡発見が最優先であり、鹿や猪なんかを見かけても素通りしていたから、この日の収穫は未だゼロだった。


 さすがに無断で単独行動をした上に、獲物ひとつ持ち帰らないのでは皆にどんな嫌みを言われることか分かったものではない。


 でかい成果をあげて、皆の口を塞がせるのが自分の流儀だ。今日も皆を驚かせてやる。


 意気込んで、声の聞こえる方向へ夢中で向かっていった。


 しかし、進んでいきながら、おかしいと感じ始めた。声は次第にはっきりと聞こえてくるようになったのだが、一人分の声しかない。会話している相手の声が聞こえない。それに、この声は、なんだか怯えているような気もする。一体、誰に話しかけているんだろう。


 森が開けた小さな草地で、声の主を見つけた。


 栗色の髪の少年が、背中を向けて立っていた。


 誰に話しかけているんだろう――という疑問は、あんな服装は見たことがない、という驚きによって一時的に忘れ去られた。


 上下で分かれた服は珍しくはない。モニカも遠征に出るときは動きやすい上下に分かれたお手製の丈夫な麻服を着る。しかし、あの少年の着ている上が白くて下が黒い服は、土で汚れてはいるものの、奇妙なくらいはっきりとした色だった。なんだか自然な色ではないような印象を抱かせる。麻でもなく、綿でもなく、羊の毛でもない。とても希少な絹は町の豪族が着ているのを遠目でしか見たことがないけど、それとも違う気がする。形も自分が着ている服よりしっかりと体に合っていて動きやすそうだ。


 村があるんだ、と思った。


そしてその村は、かなり高度な服飾技術を持っている村だ。


 孤立した村の中には独自の文化や宗教観が発展しているところもあり、そういった村は生活レベルでは大きな町にとても敵わなくても、眠ることを最重要な行為だと見なし驚くべき程に寝具が発達していたり、清潔であることが神への礼儀であるとして信じられない程立派な入浴場があったり、うまい飯を作れることが一番の魅力とされ様々な調理法が確立されていたり――と、一つの分野では大きな町よりも数段高度な技術を生み出していることがあり、それらを学ぶことで町は大きな恩恵を受けてきたという歴史がある。


 だが同時に、別の可能性も浮かんできた。


 あの少年の服装は、前人類のものに似ているのだ。以前遺跡から見つけた本の中で似たような格好をした絵を見たことがあるのを思い出した。あの服は村で作られているものではなく、前人類の遺産なのかもしれない。だとしたら、この近くに地下遺跡があるはずだ。地下遺跡以外にあれほど状態のいい遺産が残っているはずがない。


 地下遺跡があり、前人類の遺産を使うことに抵抗のない村がある。こちらの可能性の方がモニカには魅力的だった。


 町では前人類の服を着ていたりしたら何をされるか分からない。前人類は恨むべき存在であり、興味を持つことさえ忌避される。遠征も、本来は狩猟採集のためのものであって、モニカのように前人類の遺産を見つけることを目的にするのは新時代の神に対する背信行為だと見なされた。


 ――よし!


 音を立てずに、心の中だけで気合いを入れると、モニカは少年に話しかけるタイミングを待った。


今まで自分たちだけで閉じた生活をしていた村の住民なら、外の人間を警戒するかもしれない。円滑に交渉し、友好な関係にしたい。場合によっては、収穫がないことで非難されたとしても、このことを遠征隊の皆には秘密にするべきかもしれない、とまで考え始めていた。


 はやる気持ちを抑えながら、息を潜めて様子を窺う。


 頭の中は既に、あの少年の着ている服と、それに伴う前人類の遺産のことでいっぱいだった。


だが――


後ずさる少年の見つめる先から現れたものを見て、忘れていた疑問を思い出す。




 ――誰に話しかけているんだろう。




「え……?」


 思わず声が漏れてしまった。


 少年の後に続いて森の陰から現れたのは、斧を振り上げた機人だった。


 モニカは、その光景が忘れられない。不思議で、ありえない、見たことのない光景。


 今にも飛びかかってきそうな機人を前にして、少年は必死に、話しかけていた。


 怯えながらも、後ずさりしながらも、少年は逃げずに話しかけていた。


 まるで、人間を相手にしているように。


 あまりにも馬鹿げていた。機人に出会ったら、まずは機人から見つからないところに隠れる。そして、絶対に声を出さない。これは常識だ。機人は人間の姿と、声に反応する。逆に言えば、人間以外には反応しない。機人は人間だけを襲うのだ。森には動物が溢れているから、物陰に隠れて声を出さなければ多少の音を出してしまったとしても、機人は動物達の音と区別がつかずに逃げ切れる確率が高くなる。


 それなのに、あの少年は何を考えているのか。機人に話しかけるなんて自殺行為にも程がある。


 モニカは腰にかけていた弓と矢を素早く構え、風が止む瞬間を待って、放った。


 真っ直ぐに空を切った矢は、狙い通り機人の膝部分に命中し、斧を振り上げていた機人が前に倒れ込む。倒れざまに機人は斧を振り下ろしたが、寸前の所で少年はなんとか避け、尻餅をついた。


「逃げなさい!」


 少年は何が起きたのか分からない様子で倒れ込んだ機人を見ていたが、モニカの声に反応して立ち上がった。一瞬、倒れた機人に目をやり、振り切る様に体の向きを変えて走り出す。しかし、必死に足を進めようとしているのだが、足を捻挫でもしているのかその動きは鈍かった。それだけではない。こちらを向いた少年の顔は明らかに衰弱していた。


 モニカは木から飛び降り、少年に向かって走った。倒れていた機人が起き上がろうとしていた。膝に命中した矢は関節を貫いてはいなかった。


 起き上がった機人が少年に追いつき、また斧を振り上げる。モニカは走りながらもう一度膝を狙って矢を放った。


 走りながら放った矢は狙いがずれ、それが功を奏した。振り下ろされていた機人の腕の、右肘の関節を貫いて、それによって軌道が変わった斧の先はまたしても寸前のところで少年には当たらなかった。


 右肘に突き刺さった矢を抜こうとしている機人を走ってきた勢いのまま思い切り蹴飛ばして、少年を背負い、駆けだす。


 後ろは振り返らない。ただひたすらに足を回す。木々の根が張り巡らされた地面を、視線を五メートル先に固定して、躓かないように根の上に左右の足を裁いていく。それでもスピードを殺さないようにした走りは不規則なリズムを奏でた。背中では、狭い木々の間を駆け抜ける度に、恐怖を押し殺したような小さな悲鳴が上がり、肩を掴んでいる手に力が入るのが分かった。


「そんな捕まり方だと落ちちゃうよ! 腕、前に回して!」


 おずおずと顎の下で腕が交差したのを確認すると、


「口しっかり閉じてなさい! 舌噛みちぎらないように!」


 そう言って、更にスピードを上げた。自慢の足は、少年を背負っていても、あっという間に機人との距離を広げていく。


 少年は軽かった。




 機人を振り切った後もモニカはしばらく走り続けた。十二分に距離を離したところでやっと足を止めて、乱れた息を整えた後、背中の少年に話しかける。


「私の言葉分かる……よね?」


 少年が弱々しく頷いたのを背中に感じた。


「名前は?」


「……レイ」 


 少年は消え入りそうな声で答えた。思った以上に衰弱している様だった。


 他にも聞きたいことは山ほどあったけど、少年の声を聞いて、ぐっと飲み込む。


 まずは休ませるべきだ。質問攻めにするのはその後でいい。


「私の仲間達がいる野営地に連れて行くね。身ぐるみ剥いだりしないから安心して。着いたら手当てしてあげる。それまでは寝てなさい」


 少年は少しの間黙っていたが、モニカの肩に頭を乗せて、


「……ありがとう」


 そう言うと、すぐに寝息を立て始めた。


 じんわりと背中があったかくなるのを感じながら、どうやってみんなに言い訳したものか、と考えつつ、ゆっくりと歩きだしたのだった――




 追想を終え、モニカは朝食の片付けの途中だったことを思い出し手に持ったままだった空の食器を台所へと運ぼうと振り返った。振り返りの最中、朝日が反射した外開きの窓に一瞬だけ写った自分の姿。歩き出してもなお瞼に残った残像の中の自分の、その口元に笑みが浮かんでいたような気がして立ち止まる。


 食器を片手に持ち替えて、空いた手の指先で触ってみる。


 間違いなかった。


「……ふふ」


 確認が済んだ途端、声が出た。


 一度漏れ始めた笑い声は徐々に大きくなっていき、最後には危うく持っていた食器を落としそうになった。


 慌てて歩みを再開し、水を貼った桶に食器を沈める。水の揺らぎが引いていき、水面に現れた自分の顔は、なにか吹っ切れたような笑顔だった。


「んーーーーっ!」


 両手を天井に突き上げて思いっきり伸びをする。


 ――認めてしまおう。私は、あの小さな少年が、胸の奥にずっとひっかかり続けているトゲを抜いてくれる日が来るのではないかと、予感しているんだ。


「……はぁー」


 ――そしてそれを、期待してしまってもいるんだ。


 レイを見つけたあの日に起こった一連の出来事が、心の奥に封じ込めていたある種の希望、捨てられない疑い、あるいは純粋な疑問――それらいくつかの感情を少しずつ意識の表層へと浮かび上がらせてきているということを、モニカ自身、感じずにはいられなかった。

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レイの機人修繕記 道野 一葉 @aleaf

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