瓜汽水への扉

そうざ

The Door into Melon Soda

 炎天下を逃れて辿り着いたのはファミレスだった。ホテルへ直行したかったが、世の中には何かと手順みたいなものがあるらしい。

「何、飲みたい?」

 彼女が僕の欲求を探り、スマーフォンが僕の暇を潰す。

「シュワシュワの……」

「炭酸も色んな種類があるよ」

「何でも良い」

 僕は顔を上げずに応える。

んで来る~」

 彼女が僕の正面から居なくなった。

 ホテルに行く前に腹拵えもしておくべきか。メニューを見ても食べ飽きたような物しか載っていない。食欲の処理はホテルの後で良い。

 店の奥に目をやると、彼女がドリンクバーの前で右往左往している。

 さっさと汲んで来いよ――そもそもって何だよ、注ぐとか、入れるとかだろ――。

 不甲斐なさを観察していると、彼女は何かに気付いたようにドリンクバーの横の扉に手を掛け、その向こうへと消えた。

 トイレか、とスマホに意識を戻したが、彼女は一向にドリンクを持って来ない。好い加減、喉が干上がった僕は、苛立ちながら席を立った。

 彼女が消えた扉には『GWゲートウェイ』と記されていた。『WC』ではない。おまけに『ご自由にご利用下さい』との案内も貼られている。ドアノブはなく、掌で押せば良いらしい。

 僕は扉を開けた。

「こんなとこで何してんの?」

「見ての通り、よいしょ、

 そこは店外だったが、格式のある旧家の庭のように生け垣で囲われていて、古びた東屋あづまやが幾つも並んでいた。

 それぞれの東屋の真ん中には、四角い木枠で囲まれた井戸があり、その一つを陣取った彼女は、滑車に通された綱を必死に引いているのだった。

 流石に手を貸そうかと近寄った矢先、液体でなみなみと満たされた釣瓶が彼女の手元まで上がって来た。

「ふーっ。はい、どうぞ」

 釣瓶の中身は緑色の液体だった。一瞬、こんな腐った水なんか飲めるか、と思ったが、甘い匂いが漂っている。

 筆で『瓜汽水』と書かれた木札が井桁に打ち付けられている事に気付いた。

「うり、きみず?」

「メロンソーダだよ」

 スマホで検索しようとしたが、圏外になっている。

 僕は傍らの蝿帳から湯呑みを取り出し、彼女が汲んでくれたメロンソーダを掬って飲んだ。しっかり冷えていて、炭酸もちゃんと利いていた。

 他の井戸にはそれぞれ別のドリングが湧いているに違いない。今度は自分で汲んでみるか。彼女の分も汲んであげよう。

「美味しい?」

「うん、やけに美味い!」

「いつもメロンソーダから飲むもんね」

 さっきまで茹だるような日差しだったのに、どういう訳かここは過ごし易い陽気で、高い空に太陽が傾き掛けている。

「秋の日は釣瓶落としって言うしね」

 反射的にスマホを見た。やっぱり使えなかった。

 彼女が釣瓶を手に取り、井戸に投げ入れた。遠くで水の音がした。

「まるで釣瓶が落ちるみたいに、秋は日が暮れるのが早いってさ」

 もう直ぐ日が暮れるだろう。でも、僕はもうしばらく井戸端で他愛のない会話をしたいと思った。

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瓜汽水への扉 そうざ @so-za

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