【拾】日本初の"○○探偵"の生誕[前編最終回]

 †††

 明治めいぢの時代にて"探偵"とは警察のこと也。


 †

 野口家に来訪した警部は厳格な顔つきで言った。

貴殿きでん当家とうけの何でありますか?」

 秀三郎は絞り出すように声を出そうとするも、圧迫されたような吐息しか出ない。

「僕は…………内海秀三郎と申します…………食客であります…………」

「同居人か。当家の主人の野口のぐち今朝雄けさおは殺人犯の嫌疑があって昨夜に当局にて逮捕した。予審よしん判事はんじの依頼に基づき、治罪法第148条の手続きを遵守し、家宅捜査を致す。そのように心得てくれ」


 突如来訪した人物は、警部1人、巡査2人、刑事巡査1人であった。

 秀三郎はただ彼らの顔をじっと見つめているだけだった。何か言おうとするも、言葉の半分が歯の奥で消え、残りの半分は舌の根元で止まってしまった。目は霞んで、耳鳴りが響き、弾力のあるゴムの小瓶が密閉されて膨れ上がりいきなりその張りが緩められたかのような感触が全身を埋め尽くす。恐怖以外の感情は何もない。

「ギャ――」

 おえいが警官の姿を見た瞬間、叫び倒れかけてしまった。

 秀三郎はようやく「はっ」と気を戻して声を上げた。

「オバさん、驚いちゃァいけない! しっかり僕に捕まって。大丈夫だから、僕たちの身に暗いことがないんだから。僕なんてちっともびっくりしてもいないよ……ァハ……は……」

「はい、大丈夫です。はい、驚きやしませんよ。秀さんもみっともない。ガタガタ震えなさんな」

 突如シャキッと立ち上がり正気になるおえい。対照的に秀三郎は震えるだけだった。

「ナニ。僕は怖くってふ……ふ……震えてるんぢゃあねぇ……どうも非常に寒いからね。アー実に寒いよ……」

「それにしても、お前さん。顔が真っ赤になっているじゃないか」


 おえいは元々武家の子女の生まれであり、しっかりと育てられたので、表面上は冷静を保っていた。覚悟もバッチリだ。

 二人が小声で話している間、家の中に入った巡査が二階から降りてきた。

 手を口に当てコソコソ話をするように問いかけるおえい


「御役人様、直接お聞きして恐れ入りますが、何も弁えない老人としより婦人おんなでございますから御免を被ってお願い伺いしますが。せがれは何の罪で逮捕されたのでしょうか?」

貴女あなたは今朝雄の母親でありますか。今朝雄は殺人容疑で――」

 ピクンと、何か反射的な反応をした瞬間、おえいの動きが止まった。

「何と仰られましたか? 私の耳は遠いので、よく聞こえませんでしたが、あなたは殺人と言いましたか?」

左様さよう。殺人の嫌疑があって昨夜逮捕になった為、それで家宅捜査をして証拠を収集するのであります」

 おえい委細いさい承知しょうちと言わんばかりに大きく頷き。

「へー。人殺しとは母の身では聞き捨てなりませんね。一体まあ何たることでしょう。老いた私のために、詳細を洩らして戴けませんでしょうか?」

「私はかかりの者ではないので詳しくは知りませんが。野口今朝雄は本月7日の夜。京橋区竹河岸にて潮多うしおた寛三かんぞうなるもの。それから昨夜さくや15日11時10分に木挽町四丁目にて水口みなくち青澄はるずみなるもの。両名を殺害した嫌疑けんぎがあります。それゆえに一時的に逮捕をしました。しかしまだ確かな証拠は無いので、無罪になる可能性もあります。ご心配なさらないでください」

 おえいは消え入るかのような声で。

「それで、どこで、いつ逮捕いたしました?」

「今朝の0時に京橋区新富町三丁目の潮多家付近で逮捕しました」


「ギャヒーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 ドサッ。

 おえいは絶叫して倒れた。

「おばあさん! しっかりして!大丈夫だから!」


 そうして刑事たちは拳銃ピストルが入っていた空箱、しゅに染まった足袋たび、数通の書類を押収した。

 書記しょきと名乗る巡査じゅんさが調書を作成し、おえい及び秀三郎に読み聞かせて承諾を求め、それが終わると一礼して帰っていった。


 †

 秀三郎は、急いで玄関をしっかりと閉め、力の抜けたおえいを支えて起こした。慰める言葉も涙を拭うすべもなく、ただ膝に涙が流れるだけであった。


「秀さん。まさかとは思うがどうも……アー私は夢を見ていませんか…………? どうしたらよいのでしょうか……」

 秀三郎は答えかねて、ひたすら涙を流し続けた。


 野口家の恐惶きょうこうは実に名状しがたかった。

 おえい喪心そうしんしてうわ言を口走り続け、秀三郎は茫然ぼうぜんとして何事にも手につかず、人であれども声は無く、形あれども動くことなく、発狂した二人が相対するだけであった。

 食事の支度は誰もせず、起伏するのみで家戸を開かず、たまに近所の新聞を買いに行く以外は、何もしなかった。


 †

 警察が家を捜査して証拠品を押収してからおよそ一週間後。

 1月21日のこと、秀三郎は正気をようやく取り戻した。


「どう考えても、私の恩人であり友人である野口今朝雄は、そのような大きな犯罪を犯すような人ではない。証拠があっても、彼の心情を知る者としては、彼がそんな犯罪者だとは言い切れない。友人としての信頼がここにある。彼のためにも身を投げ出して無罪を訴えるべき時だ。救わなければならない。命を捧げても救わなければならない。そのためには押収された証拠を打ち消す証拠や真犯人を見つけ出すべきだ! 今は悲しみに暮れる時ではない!」


 秀三郎は、まるで別人のように決意を持って起き上がった。

 帯を締めなおし、羽織を改め、きちんと身だしなみを整え、息子の無罪を神に祈るおえいの前に進んだ。

「オバさん、少し不自由させるかもしれないけれども、一週間ほど僕にひまをください。もちろん夜は帰ってきて、朝には朝食や他の準備をするから。すまないけれども日中だけ僕にお暇をください。いいかな?」

 おえいは数珠を離さず。

「秀さん、何をおっしゃるんですか? この心配の中、お前さんまでそんな世迷言を言い出すなんて私はどうしたらいいかわからないよ」

 戸惑うおえいに、秀三郎はハッキリした声で告げた。

「いや、そういうわけじゃないよ、オバさん。僕が考えるに、今朝さんがそんなことをするわけがない。これは警察が間違っているに違いないと思う。もしくは他に犯人が居て、まだ見つかっていないだけかもしれない。だから、どうしても1週間のうちに証拠を見つけて、今朝さんを監獄から救い出さないといけないと思ってるんだ」

 おえいは驚いた表情を浮かべ、だがすぐに俯き。

「それは御親切に有難う。だけど何を言うにもあんな証拠が挙がった所を見ると、せがれが殺したのに違いはあるまいよ。これも前世の約束事というのだろうから……所詮今になっては仕方がないよ……老人としよりの独り身で誰も頼る人がいないから。お嫌だろうが、どうか秀さん。お前さんがどうぞ面倒を見て頂けませんか? もう永いこともあるまいから――」

 秀三郎はおえいの身体を両腕でしっかり掴んだ、はっきりと、世迷言ではないと、信じて貰うために。

 本気で、想いを伝える為に。

「馬鹿なことを言わないでくれ! 何とかして犯人を探し出せば、それで問題が解決するだろう! オバさん! 一人にさせるのは辛いだろうけど、どうか時間をください! お願いだから、時間をください!!」

 秀三郎の決死のお願いに、おえいは戸惑いを隠せなかった。息子が犯人ではないと確信していた。けれども明確な証拠が出てきた以上、今はただ運命を受け入れ、神仏に祈るしかないと思っていた。

「秀さん……」

 秀三郎の言葉により、おえいはようやく気を取り戻した。


 ――だが。


「でも、


 は、この明治の時代にて存在しない。

 だから当然、理解を示さなかった。


「ああ、知っているサ。でもね、おえいさん。約束したじゃないか」


 ――どうぞ今の事はくれぐれも頼んだよ。秀さん。


 ――ああ、良いですよ。内海秀三郎が確かに請け合った!


内海うつみ秀三郎ひでさぶろうの名にかけて、絶対に見つけてみせる! 絶対に助けてみせる! 請け負った約束を果たして――」


 ――友を救ってみせる。


 その為には、探偵にだって、なってやる。




 †††

 何時がおとろえであるか

 何時がさかえであるか

 さだめはない。


 何處どこまるか

 何處どこるか

 さだめなければいけない。


 幾多の根拠を駆け抜けて

 は無数を探し出す。


 うたがい。

 うかがい。

 なに見得みえる。



 の名は存在しない。

 この時代ときは存在しない。


 だが、遠い未来いまであるのならば

 は確かに存在する。


 初めて放たれた名も無き嚆矢こうし


 ――自身の知識の探求ではなく。


 ――仕事としての責務ですらなく。


 ――ましてや道理を通した正義でもなく。


 ――ただ友を助ける、その想いだけで見つけ出そうとした。


 さがし、うかがい、真実を求める者。







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 ショウ   エン   ケン   ボウ


 サツ     ジン     ハン

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 前編・最終回







 第拾話


 『日本初の"素人しろうと探偵たんてい"内海秀三郎の生誕』








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『硝烟劔鋩/殺人犯』~日本最古の探偵~ 九兆 @kyu_tyou

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