【玖】探偵登場/明治時代の『探偵』とは――
†
「例の殺人犯、まだ捕まってないらしいわよ。怨恨は怖いわよねぇ」
「え? 強盗だって話を聞いたけど。何か金千圓を奪ったとか。あ、
「…………」
黙る
「ちょっとやめなさいよ、お
「…………あぁ」
かの殺人犯の
様々な憶測や無責任な言葉が飛び交う。その度に、秀三郎は不快に想い、耳を塞ぐ。耳を閉じても、深く悩み苦悩しても、それが無意味であることを知っている。
耳が遠い
†
秀三郎は汚れた皿を洗っていると、なお
(彼は今頃、無事に
思い返せば、寝ている間に見た彼の青ざめた顔、血のついた足袋、怪しげな
恐怖で体が震えると、手に持っていた皿を落とし割ってしまった。
「秀さん、寒いから明日の朝になさいよ」
秀三郎はお榮に呼びかけられ我に返った。
「オバさん、とんでもないことをしてしまった。今朝雄さんが
「あの皿が割れましたか……寒いからねぇ。手が凍っているときは滑らして割るものだよ」
「野口君が帰ってきたら、怒るだろうな……。いけないことをした……。どうにかして同じような物を買ってきて、ゴマかしておこうか。オバさん、ごめんなさい」
「ナニ。いいよ。いっそのこと割れてしまった方が
このお
掃除用具で割った皿を片付けて部屋に戻る。お
「秀さん。お前さんはお聴きだろうね」
秀三郎は深夜に
「何を……オバさん何を……」
「潮多が、誰かに殺されたって」
「……聞きました。可愛そうな人でしたね」
「いいえ、ちっとも可哀想なことはありません。人の生血を
「どうだか……見つからなかったら大変だ。うーん……見つからない、見つからないかもしれん」
「悪いことをした人でも、ひと一人殺しては命は助かるまい。でも命を投げ捨てでも殺すというのは、よくよく我慢がならなかったのだろう。ああ、可哀そうに」
犯人を
「オバさん、冗談を言っちゃァいけない! オバさん、どんな恨みがあったにしろ人を殺す….これはいけない。今時そんな
力を込めて
「でもねぇ、潮多さんは大昔から恨みを買うようなことばかりしてた人だしねぇ。ここだけの話、金儲けの為に怪しい人と繋がっていたなんて噂もザラだった。誰だったか、確か
評定所に在籍した過去から今日まで、あらゆる
しかしここで最も心配しているのは、「かの犯人は息子ではない」と思っているような言動だった。
「オバさん。
「
「おふうちゃんは驚いただろうね。これは驚くのももっともだ。だがこれを野口君にどう知らせようか……それにしては、僕には主空所を知らないし……」
「今朝雄はどこと定まった宿所はないだろう。いずれ出先で聞くには違いないが。それにしても用を達して帰ればいいと思うね。それが心配でならないよ」
「どんな用事なんだろう。オバさん。僕が気掛かりなのはなんか潮多さんと喧嘩したような事を…….」
「喧嘩喧嘩も大喧嘩。そんで潮多家で喧嘩をしてから急に旅行することが決まったって。それから帰りに
お
「また大喧嘩をして、それから埒をこじ開けたのですぐに家に帰ったと言いましたが。本当に喧嘩好きで困るよねぇ……」
この驚くべき
(これはもう直接聞いてしまうか……)
「私にはその用が分からない。何が目的ですか?」
何故かお
「遅くも16日には帰るから、まあ、その時まで言いますまい。
そう言い残して思い出したかのように、お
秀三郎は
†
その後、秀三郎は喧嘩の
(ひょっとして僕が
今の時点では今朝雄は疑われていないし、探偵にも捕まっていない。秀三郎の心の中には、今朝雄に対する心配のみがあった。それ以外のことで危機を感じることは無くなった。
それからは毎日、両方の場所を通りながら、前のように人の家を覗くようなことはしなかった。
†
こうして日が経ち、一週間経った今日、今朝雄からの良い知らせが届くはずの1月15日がやってきた。
お
秀三郎も新橋駅へ迎えに行った。
†
午後11時の電車の到着アナウンスが流れた。だがその最終電車にも、野口今朝雄は乗ってこなかった。
秀三郎は呆然として家に帰った。
――野口今朝雄は、帰ってこなかった。
†
1月16日早朝。
昨夜は「明日には帰ってくるだろう」と語り疲れて、朝起きてからも心疲れていた。
朝食の準備もお
その
「帰ってきたんだ!」
秀三郎は飛び出すかのように玄関に向かい
そして、"その者たち"を見た瞬間、秀三郎は真っ青になった。
「
「わ……私は……」
――探偵が来てしまった。
「野口今朝雄は本月7日の夜。京橋区竹河岸にて
†††
探偵【たん-てい】
刑事巡査のこと。
――
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