【捌】You Killed Cock Robin?[状況確認]

 †

「いやぁ秀くんの朝餉あさげは美味しいなぁ。また腕を上げたんじゃないかい? あれ?」

 野口のぐち今朝雄けさおは朝ごはんを平然と食べていた。

 その所作しょさ、面持ち、全てがいつも通りすぎて――気色が悪い。いや、これは秀三郎の疑心が原因だ。彼は何ら変わっていない。それが腑に落ちない。

 秀三郎が食べ終わるのも待たず秀三郎は自身の部屋に戻り、つらつらと考察を続けていた。心は落ち着かずフラフラとその場で歩き混乱の迷路をひたすら歩んでいるようであった。まさに迷子ならぬ迷悟めいごだ。


「いつもの野口君を、親友をこんなにも疑うのは不道徳ふどうとくかもしれない……。しかし証拠がいちいち完備かんびしている以上、疑ったこと自体が不道徳とは言えないかもしれない……。

「第一、潮多うしおた寛三かんぞうは金貸しとしては残忍ざんにん刻慾こくよく、残酷且つ欲深い性格だ、彼に耐えがたい仕打ちを受けて忍び難い恨みを買っていないとは言い切れない人物だ。

「第二として野口君は非常に正直で、阿呆あほな所もあって、一たび信じれば何事も熱中する代わりに、間違えた時の激怒はかなりのもだ。もしも彼が何かしらのはずかしめを受けて、怨み晴らす為の復讐心を抱かないとも言えない。

「第三は果たして双方そうほうが一方的に凌辱りょうじょくを加えたとは限らない。二人が対立して、どちらがどちらもはずかしめを受けて復讐心を発した場合、口論だけで済まされるとは考えにくい、ひょっとしたら暴力に走ったかもしれない。これらを証拠と併せると――

「証拠その1。金六えん入りの革提かばん。これは現在、野口君の手にある。

「証拠その2。足袋たびに新しい血痕が付いている。

「証拠その3。革提かばんの証書は潮多うしおたの所持すべき貸金の証書。

「その4。拳銃ピストルの不在。

「その5。非常に遅い野口君の帰宅時間。

「その6。犯人は京橋きょうばしの方へ向かって走ったということ。銀座の人混みに紛れることを考えたとしても、うちの家の方向には間違いない。

「その……いや、もうあるまい。もうなかろう。この6点でも沢山だがこうしてみると、どうも昨夜の恐ろしき殺人犯は我が親友の野口今朝雄であったかもしれない……?

「だが疑いを排除してみれば……事実と証拠が歴然として当て嵌まる……

「が……でも……そ……れとも……ナニ? まさか野口君がどんなはずかしめを、しかも愛する女性の前で受けたからといって天地がひっくり返っても殺人を犯すような残酷な精神を持つような人じゃァない!

「だが安心できないぞ裁判上で犯罪を証明すべき証拠物件があっても、これを打ち消すに足るだけの反証はんしょうがない。

「仮に野口君を恐るべき殺人犯であるのならば、親友としてこの際は潔く自首を勧めるべきであろうか。

「もしくは……情を優先して彼の罪を隠し通し一日でも生きれるように策を講じる方が良い?

「イヤイヤそれは無いだろう。遵法精神の欠片もない。

「……はて、どうしよう。

「…………どうかが来ない内に他から犯人が出てきて捕まってくれればいいが。

「………………いやそれよりもオバさんにどう言ったものだろうか?

「何にしても非常だ、一大事だ、大変だ、実に非常だ。


 突然、部屋のドアが開いた。


「おい、秀三郎君。内海秀三郎くーん?」

「はっ!」

 驚き振り向くと、今朝雄が呼んでいた。

 今朝雄はジャケットを軽く身に付け、外套オーバーコートを羽織り、左手に革提かばんを引っ提げ、右手には仕込み杖を携えて部屋の入り口に立っている。


「野口君! 君はどこへ行くんだ?!  君は遁走とんそうするのか?」

「馬鹿なことを言っちゃ困る。ブタではないぞ、俺は。アッハッハ。今年は芽が出てきたから逃げる必要もない。実は、これより一身上の都合で静岡に帰省してこなくちゃいけないから。秀くん、私の留守中、よろしく頼むよ。」

「何が帰省だ! もうその大言や冗談はよしてくれ!」

「なに大言なものか。それじゃあよく結果を見ていたまえ。僕は15日の夜を期して君を驚かせる!」

「この上驚かされて堪るものか……。しかし、昨夜ゆうべの結果はどうだった? 君は僕に隠すから心配でならないんだ」


 今朝雄をわざとらしく言い淀み。

「昨夜の結果か……。あー、昨夜は……」


 秀三郎は次の言葉に緊張し、ピークに達しそうだ。


「昨夜はまず首尾よく仕遂げた」

「エ"!! いよいよそれでヤったのか!? 夢だ……夢になれ……」

「見事にヤっつけたさ! それについて、ますます帰省が必要になったのだから、その詳細は母に聞いてみて。左様さようなら」

「オイオイ野口君、マアマア待ってくれたまえ。僕は君に親友の信義しんぎをもって忠告するが…………静岡で長く足を留めちゃァ危険だ! 君は自護じごすべきだ!」

「別に静岡に足を留めるという訳でもない。たかが1週間ばかりの事だから。別に手紙なんて出さんよ♪」

「手紙なんざァ絶対に出すべきじゃない…………昨夜はいつ何時に潮多家を出た? 何時頃に帰った!?」

「昨夜は新富町を6時40分頃に出た」

「何? 何だ6時40分…………」


 その時、空気を読まない隣家の時計が9時を告げた。

 そして今朝雄はチョイと会釈をするままに。

「9時30分の急行に行くのだから、遅くなっちゃ大変だ! 左様さようなら秀くん! 留守番を頼んだぞ!」


 言い終わる前に靴を穿うがちて、今朝雄は家を出て行った。


 ……彼は本当に人を殺したのか?





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る