私は異常じゃない

柴犬美紅

普通に生きたはずなのに

 私はどこにでもいる薬局の店員だ。

 将来は誰かのお嫁さんとしか幼稚園で語っただけで、中学以降大した夢を持っていたわけじゃない私は、学歴くらいは持っておいた方がいいと思って適当な短大を出て、たまたま採用されたチェーン展開している薬局に1従業員として長く勤めている。

 普通よりちょっと市販薬に詳しいくらいで専門家っていうわけじゃなくて、どちらかといえば接客好きが功を奏して得た人当たりの良さを長所と捉えてもらい、レジとかの接客を任されている。そんな感じと思っていて欲しい。

 でも私と付き合っている人は、普通の私と正反対で凄い人だ。自慢するものでもないが、本当にすごいのだ。

 近くにある病院を兼ねた大きな研究所の研究員で(大学病院?というのだろうか、とにかく研究も病気の治療もできるところだ)、私よりずっと頭がいい。人のための薬を開発して表彰されたこともあるくらいで、近いうちに研究所所長になるだろうとも言われている自慢の彼氏である。私が何か病気になった時はお世話になるねと言ったら、検査通しやすくするくらいならできるよ、と答えてくれるくらいには凄い人だ。

 そんな彼とどうやって出会ったのか恋人になったかといえば、引っ越した家の隣に住んでいたのがきっかけで、挨拶から話すようになって、ご飯を食べに行って、いつの間にか好きだな、付き合おっか、なんてロマンチックな展開もなく関係が発展した。でも別れることなく数年と、長いこと日常を過ごしているのだからまさに順風満帆と言えた……はずだった。

 最近ゾンビ映画みたいなことが世界に降りかかるまでは。

 名前も住まいも知らない人が40度以上とあり得ない高熱に突然襲われたと思いきや、その場で一瞬にして身体中真っ赤な発疹が出て心臓が止まって死んじゃったというのだ。慌てて救急車を呼んだ人へ死んだと思った人が突然生き返って人々に襲いかかって噛みついたのだ。噛み付かれた人も急に熱と発疹を瞬時に発症して倒れ伏したと思ったら、呼ばれた救急隊員へ襲いかかったというニュースがネットで流れた。

 遠い遠い国の話から始まったそれは、いつの間にか自分の住んでいる場所にも奇病として流行ったのだ。

 発症した人に襲われる、その人も同じ状態になって人を襲う……ゾンビ映画もびっくりな展開が本当に起きてすぐ、被害を最小限にするため未感染者は自宅避難を勧告された。運よく未感染者に該当していた私は言われた通り家の中にずっと引きこもった。飲食料とかは幸い趣味で買い込んでいたインスタント食品で日々を繋ぐことができた。だから外に一歩も出ることもなく、ただネットニュースと自分の好きなゲームとかをして日々を過ごして実物に襲われたことは最後までなかった。

 でも一回、窓から感染した人を見かけたことがあった。

 歩き方もよろよろしていて、赤く爛れた発疹跡が、まさに映画でよく見るゾンビの傷跡みたいだった、ゲームや映画で見るよりも、気持ち悪い以上の感覚、言葉にできない寒さが襲ってきて私はカーテンを閉めた。その日から窓の外を見ないように日々を過ごした。おかげで朝や夜を判別するのはスマホの時計だけが頼りになっていた。

 長く続くと思われたゾンビ映画みたいな地獄絵図は、驚いたことに一週間くらいで収束した。

 どうやら私の恋人が所属している研究所?研究チーム?が治療薬及び感染防止のワクチンをいち早く開発したのだ。

 ゾンビみたいにウロウロしていた人達には雨のように薬を浴びさせて、私達未感染者には抗体ワクチンを早急に打つよう指示が出て、わざわざ家にその専門家の人が訪ねて打ってくれたのだ。そういう迅速な対応のおかげで世界はいつも通りの情景に戻った。ちなみに私は彼氏に打ってもらった。本来なら看護師が打つのだが、特例で研究員もその訓練は受けていたらしい。知らなかった。


 それで事態が一旦収束したからと、久しぶりに会いに来てくれた私の彼氏は言った。


「一度感染したものは定期的に治療薬を投与しないと通常の生活を送れないことがわかった。」


 久しぶりに会うし、料理するしと張り切って作った和食で夕飯を囲んでいたら、彼は真顔で私に言った。


「え?どういうこと?ゾンビだった人達、生きてるの?」


 私は目の前で淡々と食事をしている彼氏の言っていることが飲み込めなかった。

 だって一度死んだって言われた人達じゃなかったけ?その人達。薬撒いただけで普通の人間になるの?いや、死んだことがなかったことにされてるの?

 首を傾げている私に同調するように恋人も話し続けた。


「俺達も正直驚いているんだ。薬を撒いたことで感染者……ゾンビ状態って言った方がわかりやすいか?彼らの活動停止……完全な死亡を想定していたんだが、まさか発疹が最小化して意思疎通のできる普通の人間に戻るとは思っていなかった。」


「へぇ……そんなことあるんだね。」


 彼の言葉に私は相槌を打つ。正直よくわからないから流している部分もあるけれど、ここで話すこと?とちょっと不機嫌になった気持ちもある。けど彼はとても仕事熱心、研究熱心だからしょうがないのかもしれないな、とご飯を飲み込んで話を聞き続けた。


「実は今回のことは感染源すらまだ解明できない状態なんだ。ただあまりにも感染後の状況が災害レベルだったから、まず人間の血清で治療薬やワクチンの生成が判明したことでまず事態の収束を最優先して、これからその研究に入る。」


「今からなんだ、なんであんなことが起こったのか調べるの?」


「ああ、つまりなんだ、当分君に会えなくなるんだ……すまない。」


「そっか……仕方ないね。」


 まわりくどかったけど彼が何が言いたいか漸く分かった。

 恋人は優秀だから今回の謎を解明するための研究チームの偉い部分に組み込まれたのだ。つまり先陣切って研究へ励まなければならない。

 そんなことは彼を好きだなって思った時点で覚悟はしていたし、長く付き合っていた時点で浮気とかしそうにないなって思ったから答え方はたった1つだけだ。


「分かった、たまには元気かどうかくらい、連絡してね。」


 テンプレ通りの私の答えで微かに申し訳なさそうな表情をした彼に、私は心から安心させるよう笑った。だって彼のお陰で私は普通の生活を送れるのだ、頑張って欲しい以外にかける言葉はない。


「すまない、ありがとう。」


 彼は苦笑して感謝の言葉を述べると、その話は終わりとして他愛のない話に切り替わり、私達はその日めいいっぱい恋人同士の時間を楽しんだのだった。


 彼が仕事に入ってからも、世界は私の知っている日常のままだった。誰がゾンビみたいになってたかなんて、一見すれば分からないし、ゾンビみたいになった人も今のところいない。

 ただ、一度だけ見たあの気持ち悪い姿を思い出す時があると、すれ違う人を見かける度に突然その人があの姿になって、自分が襲われたらどうしようなんてことを思ってしまうようになった。

 例えば今、電車で乗り合わせている人はかつて感染者だったかもしれないの?

 今。私が話しているこの人だって、もしかしたら感染者だったのかな?


 一度疑い出したら止まらない。どこに行ってもすれ違っても人の顔が気になってきて、私は前より人の顔を眺める時間が増えた気がした。

 そして帰ってきた自分の顔を見て、赤いものができてないかを確認する癖もついた。


 恋人からは週に1度、生死確認みたいな連絡が来る。研究の進捗は守秘義務だろうか話すことはできないようだけど何とか元気にやっていることや、中々研究が難航しているなんてメッセージが届く。体に気をつけてね、なんてメッセージを返すことが唯一『異常かもしれない』恐怖を忘れさせてくれる時間だった。


 唐突に起こって、唐突に治って、でもまだ解明されてない事象。どうなるか凡人が予測できないのは仕方ない、凡人な私は仕方ないと割り切って過ごすしかない。

 普通に、普通に、振る舞うことを心がけて日々を過ごす。

 私の視界が普通じゃないことに気づいたらいけない気がして。


 時々通り過ぎる病院から袋を抱えて出てくる人、働く看護師、車椅子を自分で動かして誰かに電話をかけるお爺さん。

 彼らが視界に入る度に、この人達も前は赤い皮膚で、彷徨っていたのかな。

 それでも普通に振る舞いながら、私の日々は続いていった。


 私を襲った異変は、疑いながらも目を背け続けた私のせいだとでも言いたげに突然起きた。それも、私が最も恐れていたありふれた日常を壊す形で。


 初めてそれを体験したのは、ある必要な書類の手続きのために役所へ行ったときのことだ。総合受付の方にどこへ行けばいいか聞いて案内を受けると、一通り手続きを終え帰ろうと窓口から立ち上がった時だった。

 椅子から離れた私へにこやかに会釈してくれた女性の顔に、前触れもなく赤い発疹がブワッと噴き出たのだ。


「っひ!?」


 避難勧告が出た時期、一瞬だけ窓越しに見かけた発疹だらけのゾンビみたいなアレを連想させた赤に、驚き漏れ出た私の引き攣った悲鳴は、他の人の雑音と案内の機械音声で掻き消されて、どうやら誰にも聞こえなかったようだ。

 それもまず良かったのだが私の目が見えたものが信じられなくて、立ち竦んでしまった私は何回か瞬きをすると、別の席へ移動して同じように手続きの案内をしている女性を改めて見た。

 私の目がしっかりと捉えたはずだった突然噴き出た発疹、でも今遠目に見ている同じ女性の顔には全くなかった。

 発疹を出した彼女は化粧で綺麗に整えられた肌で、普通に喋って、笑っていた。


「は?今、の、何……何で何もないの?」


 怪しまれない距離まで離れて、しばらく同じ女性を見つめていたけれど、さっき怒った現象……あの、突然の発疹は女性に出ることはなかった。

 その瞬間「何だそうか、幻覚か。」と私は安堵した。最近変に緊張して疲れが溜まっているからかな?そうか、最近復帰した仕事場であの未曾有の病の予防品がないかと問い合わせるお客様の対応に困っていたのもあって、ストレスも一緒に溜まっているんだ。そうに違いない。

 私はそれ以上何も考えたくなかったのもあって無理矢理そう結論づけて、足早に帰宅する、帰って冷静に考えれば何も怖がることないと気づいた。

 まずワクチンっていう治療方法が見つかっているんだもの、突然発疹まみれになってゾンビみたいになったってワクチンを打てば落ち着くようなことを恋人は言っていた。それにワクチンを打っていれば未感染者が襲われても発症を遅らせるしその間に適切な治療を受けられるってことも、前にニュースでやっていた。

 周りも私も変わり映えない日常を望んでいるせいで変に過敏になっているだけなんだと納得させようとする。

 丁度明日は仕事が休みで本当は服とか色々買いに近場のショッピングモールへ行きたかったけれど、幻覚のこともあって家で休むことにした。

 今の気持ちのまま外に出たらまた、過敏な妄想であんな幻覚を見るかもしれないし、それで仕事に支障が出たら困るからだ。

 夜、彼から相変わらず研究所に缶詰だって連絡が来た。そっけない文章だけれど元気なんだと安心する。ちょっと幻覚について話しておこうかなと思ったけれど、あれから一度もそんなことは起きてないから、お休みのスタンプを押して、私はベッドに沈んで夢も見ることなく眠りについた。


 仕事の日。薬局で商品を求めに来る人や同僚を見ても普通の顔のままで発疹がブワッと現れることはない。やっぱり過敏になりすぎて疲れていたんだ、ほっとして私は休憩まで普通に働くことができた。

 やっと休憩に入ることができて、早々にトイレに行って手を洗う。午後の勤務のやることを考えながら伏せていた顔をあげた、その瞬間。

 鏡に映った自分の顔に突然赤い発疹がブワッと吹き上がった。


「ひっ、やああああ!?」


 窓から見た、あの真っ赤な発疹が自分の顔中に広がっている。音もなく前触れもない異様な変化に、私は悲鳴をあげてトイレに思わず籠った。


 どうしよう、どうしよう、どうすればいいの、顔を摩りながらそればかりが頭を占めて動けない、心臓が今までにないくらいバクバクするし、便座に座った膝がガクガクする。

 だって私前兆の高熱なんてなかったんだよ?毎日検温していて今日だって平熱だった、いや違う、確かあれは突然高熱を出すことだってあり得るんだっけ?でも具合なんてどこも悪くない。そう思って顔を思わず摩った。


 その時、あれ?と思った。


 あれだけ大きな発疹なんだ、ザラザラしたりボコボコしていてもおかしくないのに、発疹が出てからずっと摩っている私の肌にその感触はない。

 じゃあ、と思って震える手でトイレのドアを開けて、鏡を覗き見た。


 私の顔は普通の顔、私に襲いかかったはずの発疹は跡形もなかったのだ、顔を擦り続けたお陰でファンデーションがちょっと寄れた私の普通の肌色を鏡は映していた。


「何もない、のに、どうして?どうしてそんな幻覚見るの?何でなの?」


 わけがわからない、私は例のわけのわからない病気にかかったことはない、普通の人間だ。未感染者だ、それは検査してお墨付きだ。


「はぁ……は……。」


 ゆっくり落ち着いて、息を深く吸って、吐いて、自分の顔をじっくりと見た。

 いつも通り化粧をした私の顔が鏡に写っている。さっきの異常がないことを再確認して、私はやっと安心して鏡から目を、頬から手を離すことができた。


 大丈夫、私は普通だ、異常じゃない。


 じゃあなんで、あんな幻覚を2回も見たの?


 そう問うてくる自分を無視をして。化粧を直すために急いでポーチを撮りにトイレから出た。


 私が私の見たことについて、疑問を無視したことはそんなに悪いことなのだろうか?怖いもの考えたくないものに蓋をすることはそんなに悪いことだろうか?


 私の顔の幻覚を見た日から、平穏なはずの生活は非日常へ変わった。

 あの幻覚が、他人の顔に突然ブワッと発疹が現れる幻覚が、時々襲いかかってくるようになったのだ。

 街中、電車なら見なかったことにできる、でも自分の職場でもとうとうそんなことが起きるようになれば、接客業が主な私の仕事がままならなくなる、怯えながら接客をする私を店長や同僚は心配し、ゆっくり休む時間を設けるようにとシフトを減らしてくれた。


 でも家にこもったところで解決にはならない。


 今度は自分の顔に発疹が現れる幻覚を何度も見るようになったのだ。だから洗面台や化粧台の鏡を布で覆ってなるべく自分を見ないようにした。窓もずっと、カーテンを閉めて暗くして、自分が映らないようにした。

 でも台所のシンクに映った自分と目を合わせると、真っ赤な発疹だらけ。その度に肌に触れて確認して発疹があるような感触がないことにホッとする、体温も毎日計るようになった。高熱はない。でも鏡越しに見ると顔だけ真っ赤な発疹だらけで、瞬きをしたらいつもの私がそこにいる。それが毎日毎日続いた。


「わかんない、もうわかんない……どうすればいいの?何で私がこんな目に遭ってるの?」


 私は感染が知られてからずっと家にいた。感染してゾンビみたいになった人に襲われたことなんて一度もない、ただ窓の外のアレを見て、ああなりたくないと思っただけなのに。

 このまま幻覚ばかりに振り回されていたら一生何もできなくなる、そう思った私は『おかしい』と言われてもいいからと一度病院に行こうと決意した。

 私の住んでいるところで一番大きい、彼氏のいる研究所が併設された病院へ向かった。そこはあらゆる検査ができるし心療内科もある。もしこれが『幻覚』だとしたらそれを抑えるための対処法を教えてくれるだろうし、時間が合えば恋人に会って今の状況を相談できるかもしれない。ああ、そうだ、彼に最初に連絡すればよかったじゃんと入り口に立ってから思い立ったのだけれど、まずは感染専門へ行って、幻覚のことは伏せて自分に異常がないか検査して欲しいと伝えてから、彼氏にはメッセージで幻覚について相談しようと決めた。

 担当してくれたお医者さんは理由は聞かないでいてくれて、「最近不安な人が多いから。」と快く検査の手筈を整えてくれた。

 血液や唾液と言った検体をいくつか採って、結果の予約を確認して病院を出る。その間にも、看護師、患者問わず発疹が突然現れる人を何度も見かけた。

 無差別に映る赤い発疹の人間が怖くてたまらない、私に襲いかかるかもしれない、早く此処から出よう、安全な場所を求めるように急いで病院の出口へ向かった。その時だった。


「あ……っ。」


 出口と反対側の廊下に見知った背格好の人を見つける、私の彼氏だ。久しぶりに見る姿に、思わず私は駆け寄って声をかけて相談しようと思った。

 声をかかれば気づくだろう距離で顔を見た途端、その気持ちは霧散した。


 彼の顔は赤い発疹に包まれていた。そして寄り添うように彼と笑顔で話している研究員らしき女性も、また真っ赤で。


 不意に女性が、こっちを見た。

 私を見て嘲笑った、気がした。


 スマートフォンの画面をスクロールする。

 

 感染者の生活、特徴、新しいワクチン、検索ワードを変えていくと色んな考察が飛び込んでくる。

 でも私を救ってくれるような情報、私が普通だと納得できる情報は中々見つからなかった。


 私の見ている世界は本当に正常なの? 

 本当にこの世界は、正常に戻ったの?

 

 だって私の目は異常な世界を映しているんだ。ワクチンを打った人間、元感染者か知らない人間の顔が発疹だらけになる姿が映るだけじゃなくて、未感染者でワクチンを打ったはずの私まで、あの赤い発疹だらけになるなんておかしいじゃない。それも一瞬だけで、瞬きをしたら私の望んだ日常に戻るのだって、明らかにおかしい。まるで漫画みたいなあり得ないことが私の身に起こっているなんて、私は認めたくない。認めてたまるか。私は普通なんだ。

 この目が写す世界を正す方法がある、感染者が闊歩する世界が本当なのか、あるいは私の望んでいる日常が本当か、『どちらかが正しいと言える方法』がある、はずなんだ。

 そう考えて検索し続けていたら、ふと、思い出すある言葉。

 

『感染した人間の血清で治療薬やワクチンの生成が判明したことでまず事態の収束を最優先した。』


 もう遠い日になった彼の発言。


「そうだ。」


 私の目、おかしくなったのは、ワクチンを打ってからじゃないか。

 

「そうだよ。」


 それまではあんな幻覚を見ることだってなく普通に生活してた。つまりは私の望んだ日常こそが『本当の世界』だ。


「そうだ、それに気づけた。なんだ、やっぱり私はまだ異常じゃない。」


 彼と女の姿を思い出す。ワクチンを打って再発を抑えているのだろう感染者同士が笑い合って寄り添う姿に、言いようのない怒りが湧いてくる。


「あいつらが、私を異常にしたがっているんだ。」


 そうだ、私は普通なんだ、普通の私を、あいつらは自分達と同じにして、実験台にしようとしている。私から普通の日常を奪おうとしている。

 その『事実』に気づけば気分も頭もクリアになって、私ができることもやることも不思議とアイデアが浮かび上がる。

 浮かぶワードをそのままスマートフォンに検索ワードとして打ち込んで、次の病院の日までに準備を整えていった。


 予約していた日に病院に行った。検査結果を話す先生の、話している内容は不思議と聞こえなかった。でもわかる。先生は普通だ。この人の顔は赤い発疹は出ていない。ならば私も普通だ。


 薬などは貰わず、検査結果の紙を片手に病院を一旦出て行く。

 すれ違う看護師達、患者、肌は発疹を起こして赤くなっている。歩いている姿も喋っている姿も普通だが、私はわかる、距離をとって避けながら歩くと、入り口の公衆電話で誰かと話している車椅子の患者さんがいた、この人の肌は普通で、まだ大丈夫と安心した。

 

 異常、普通、異常、普通、『選別』しながら病院の側で警備が手薄になる夜を待った。

 私は異常じゃないと証明するために。彼に一つ、相談事があると事の顛末を記したメッセージを送って夜を待った。

 夜に私のために時間を作るだろう彼から私の日常を取り戻すために。

 

「よくも私を実験台にしたわね!!この裏切り者!!異常者!!私が、私が邪魔だったから!!」


「何を言って、うわ、うああ!!違う!!何を言っているんだ!!俺は君に危害な、ゲボっ!!」


「うるさいうるさい感染者め!!私の目は誤魔化せないんだから!!よくもよくも私を!!感染者は死ね!!死ね!!」


 彼が私を個人に割り当てられたんだ、と入れられた研究室。後ろを向いた彼に隠し持っていた鉄製の火かき棒を振り翳した。

 振り上げて、頭を何度も殴って、引っ掻き続ける。ゾンビが死ぬって言われている顔と頭を重点において両腕を精一杯振って、殴り続けた。

 呻き声すらあげるのにやっとな奴にまたがって、私は鞄からバーナーを出した。火かき棒の先端を赤く変色するまで炙って再び男の顔と首を引っ掻くように、いや、今度は切り裂くことを望んだ動きで殴りつけた。何度も、何度も。だって復活して襲われたら嫌だもの、ゾンビ映画だってみんなそうしていた。


「あは、あははっははは!!あった、あったわこれね、【cure】って書いてある、これで私は普通に戻れる!!」


 か細い呻き声を最後に、ぴくりとも動かなくなった奴の白衣を漁ると重要そうな鍵束が見つかった。研究室はたくさんの棚とよくわからない薬品が揃っている。

 私はあらゆる引き出しを開けては引っ掻き回して、やがてある1つのボックスを引っ張り出すと、ラベルを読み上げて嬉しくなった。

 cureってことは、治療って意味を持っているのだから、当たり前の生活を私は取り戻せるんだ。


「打ち方が書いてあるわね、AEDみたいな使い方でよくわかんないな……説明書ある良かった、ええっと、こうして……徐々に薬を流し込むのか……。」


 変に乱暴に扱って壊れたら大変だから、慎重に床に置いてボックスを開ける。

 説明書通りに中の器具を組み立てていく。

 設計図通りに組み上がったのを確認すると、私は意気揚々と看護師の真似事をして自分の腕に針を刺して、ボックスに組み込まれていたボタンを押した。


「え?」


 瞬間、身体がビクンッと変に跳ねて、ぼたぼたと鼻から血が流れ落ちる。


「ぎぃやあああああああ!!!!」


 一瞬で身体を焼け付くような痛みが全身を周って、それを逃すようにのたうち回っても鼻血と痛みが広がるだけだった。

 鏡と同じくらい綺麗に磨かれた床に、悶える私がうつった。


「いやあああああああああ!!!!」


 さっきまで健康的だった肌は血と別に、真っ赤な発疹が広がりどんどん潰れて爛れていく。このままじゃ本当にあの日みたゾンビになっちゃう、助けを呼ぼうにも研究室の中で叫んでも誰も来なかった、びく、びくとうちあげられた魚のように勝手に跳ねる身体、襲ってくる『異常』に心臓がバクンバクンと早くなって焦る、叫ぶ、涙もでる、恐怖に震える。


「いや、いやだ、いやだああああああ!!」


 苦しい、悔しい、時折咳き込み血が混じった唾液が流れる、でも言葉と悲鳴を出すことは止めたくなかった。誰か来てくれる、助けてくれると信じていた。


「いや、いや、ねぇ、ねぇ、ねぇええええ!!誰か、誰か、私、私、ゾンビ、なりたく、ない、たす、助け、助けて……!!」


 ……時間にして僅か数分間、悶え叫んだ女は、ぴくりとも動かなくなった。

 どこまでも普通を望んだ女は、皮肉にも自身が気味悪がっていたかつて世界をパニックに陥れた異常な姿となり朽ち果てた。


 幸運だろうか?それから何時間経っても女は生き返ることはなく、翌朝、恋人だった男と一緒に変死体として発見される。


 ……そして『自分』は目を覚ました。朝が来たからだ。

 もうお分かりだろうが、これは筆者が見た夢の話を多少脚色した一つの物語である、故にこの話に出てくる事象について、正解がない話となっている。


 当然夢の中の『私』は、これを物語として描いている現実の『自分』ではない。全くの別人であると断言しよう。短大にも薬局にも縁がないゆえに。


 だからこそ『自分』は夢を反芻して、思うのである。

 

 彼女は元から普通だったのだろうか?不変を望む、その性格は異常とは言えないだろうか。 


 最後、彼女が打ったものは本当にcure(治療)を意味する薬だったのだろうか?彼女が見つけ、打った薬がもし感染者の希望で与えられる安楽死を意味する方の薬だったとしたら、未感染者だった『私』の結末が皮肉なことになることもおかしくないのではないか。


 そして、昨今の流行病に過敏になった人間の視点を垣間見るような、そんな皮肉めいた夢だとも感じるものがある、そう思える何かがあるような気がするのは、自分だけだろうか?

 これを読んだ貴方も、その思考が時折よぎるときは、ないだろうか?

 

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私は異常じゃない 柴犬美紅 @48Kusamoti

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