第四話

 ――ああ。


 私とネーナ殿下は今、文字通り目と鼻の先にいる。

 本当に近い。ネーナ殿下の息が、私の鼻をくすぐっている。

 なのに彼女の想いを受け入れるわにはいかない。私と彼女は、住む世界が違う人間なのだから。


「寒くなってきましたね、帰りましょうか、ネーナ殿下」


「そうやってはぐらすの、感心しないわ」


「断っても聞いてくださらないのでしょう」


 断ってもダメ、はぐらかしてもダメ。それなら一体、私にどうしろというのだろう。


 「受け入れてしまえばいいんじゃないか」と一瞬思いかけ、やめる。

 騎士風情の私が第一王女殿下の花嫁? 認められるわけがない。ずんぐりむっくりで、ネーナ殿下をお護りするしか能のない――そんな私が。


「……私は、殿下に相応しくありません」


 だからキッパリと私は告げる。


「ですからネーナ殿下との婚姻はできかねます」


「そう。じゃあ本当にわたくしがよそへ嫁いで行ってしまっても、それでいいの?

 そうすればあなたはもうわたくしの護衛騎士ですらなくなるのよ。わたくしとあなた、二度と会えなくなるかも知れないのよ」


「…………」


 「人族の国の王子がね」と、ネーナ殿下は彼女にしては暗い声で話し始めた。


「わたくしに求婚してきているの」


「それは良かったではありませんか」


 まだ縁談が残っていたなんて、驚きだ。

 人族の国というと、ここから遠く離れた場所にある大国だ。今までもそこからいくつか縁談が来ていたが、私が口を挟む暇すらなく断っていた。


 ならなぜ、そんな真剣な顔で私に言ってくるのだろう?

 私は嫌な予感に、背筋をぶるりと震わせる。


「人の国に嫁いで来いって。愛玩動物として飼ってやるから……と言うのよ。断れば、獣人国ごとめちゃくちゃにするつもりらしいわ。

 馬鹿よね、本当に。わたくし、逃げてやろうと思っているのだけれど、無理かも知れないわ」


 あまりのことに、声が出なかった。

 なんだ、それは。知らない。


「一ヶ月後。一ヶ月後に嫁がなければならないのよ、人の国に。

 あなたはそれでもいいの、クマール? ねえクマール、わたくしの騎士様。お願い、わたくしを助けて……」


 先ほど求婚した時とはまるで違う悲痛な声音だった。

 赤い瞳を揺らし、心からの懇願を込めて、ネーナ殿下は――私の姫君は、私を見つめた。




 卑怯だ。

 ネーナ殿下は本当に卑怯だ。


 一目で私を恋に落として。

 失恋し、諦めてチャック様と彼女の幸せな未来を見届けようと決めていた私の心を揺らし。

 そしてたくさん可愛い姿を見せて、愛を囁いて……最後には泣き落としに来るなんて。


 こんなの、惚れないわけがない。

 好きにならないわけがないではないか。


 もう、気持ちを押し殺すのは限界だった。


 だから――。

 だから、私は。


「仕方がないお方ですね。わかりました、ネーナ殿下をお護りするのが役目ですから、引き受けさせていただきましょう。そして殿下を私の花嫁にさせていただくことも」


 私の言葉にネーナ殿下は「……本当に?」と問い返す。

 私が頷くと、彼女は目にうっすらと涙を浮かべながら微笑んだ。


「馬鹿ね、わたくしの騎士様は。――花婿になるのはあなたの方でしょう?」


 私に初めての失恋を味わせたあの言葉とほとんど同じ。

 なのに私の胸は、こんなにも熱い。


 鼻先にいたネーナ殿下を摘み上げ、胸に抱き寄せる。

 彼女の毛並みはもふもふで、触れるだけで癒される。今だけは何の遠慮もしないと、幼い頃のように彼女を撫でくり回した。


「あはっ、はははっ、キーッ! ふは、やり、やり過ぎよっ」


 キィキィと鳴くネーナ殿下はとても可愛らしく、思わず手が止まらなくなってしまったのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 人の国の王子に決闘を申し込んだ。

 正々堂々勝負して、負ければ王女の婚姻を認めると。


 王子は情けないことに代理人を立て、戦わせた。

 だが結果的に言えばこちらの圧勝。王子は最後の手段として軍隊を引き摺り出そうとしてきたが、その前にこの手でぶちのめした。


 人はどうやら獣人を舐めていたようだが、本気になった獣人は強い。

 特に熊獣人は獣人の中でもかなり力のある方なのだ。たとえ軍隊を出してきたとしてもボロボロになるまで抗って勝利を勝ち取っていただろう。


「……すごいわね。まさかここまでやるなんて」


「当然です」


「さらに惚れたじゃないの、どうしてくれるのよ」


 そう言いながらネーナ殿下は私の肩にスルスルと登り、しっぽを私の体に巻き付けながら身をすり寄せてくる。

 ――認めよう。今、彼女を心から愛おしく感じていることを。


「今度、デートに行きましょう。そこでわたくしたちの結婚指輪を選ぶのよ」


 ネズミ獣人の寿命は短い。いつまで彼女といられるか、私にはわからない。

 だが、それでも良かった。


「わかりました。お連れいたします」


「ありがとう、わたくしの騎士様」


 ネズミ獣人の小さな鼻先が私の口元に触れる。

 私はそのキスの感触を受け入れながら、ネーナ殿下を掌に乗せ、城を出た。



〜end〜

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ネズミ王女と熊騎士令息 〜婚約破棄したおてんば王女が、幼馴染の堅物騎士を恋に落とすまで〜 柴野 @yabukawayuzu

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