第三話

 その日からもネーナ殿下の熱烈なアプローチは続いた。

 デートと称して色々なところを連れ回されたり、ネーナ殿下の手作りクッキーを無理矢理食べさせられたり……。

 どれも私の好感度を上げようと考えた作戦のようだ。


 どうやらネーナ殿下は本気らしい――三日目くらいからようやくそれを認めた私だったが、それでも受け入れられるものではない。

 そのうち飽きるだろうという淡い期待にかけて、私はネーナ殿下の求婚を断り続けている。


 チャック様と婚約することになったらしいテリア嬢は、度々お茶会を開いては「お似合いのお二人ですね」と言って笑う。

 おそらくネーナ殿下は彼女にだけは婚約破棄の本当の意味を明かしているのだろう。ネーナ殿下がテリア嬢を使って私を追い詰めるつもりなのは間違いなかった。

 だが私はその程度のことで屈しはしない。意志を強く持ち、あくまでネーナ殿下の騎士という立場を守り続けた。


 ――もしもネーナ殿下がこのまま行き遅れになってしまったら、どうして責任を取ればいいのだろう?

 そんな考えがふと頭を掠めては、思わず唸り声を上げてしまう。だがいくら考えても結局は見守るという選択肢しか思い浮かばない。


 ネーナ殿下がもう少し聞きわけのいい王女なら良かったのに、と心底思った。


「……何をうかない顔をしているのよ、クマール?」


 さすがに「あなたのせいです」だなんて馬鹿正直には答えられない。


「別にそんなことは。ネーナ殿下、わざわざ森にやって来て、どういうおつもりですか」


「森ということは、わたくしとクマール以外に誰もいないわけでしょう。森で二人きり、年頃の男女がすることといえば決まっているとは思わなくて?」


「恋愛劇の見過ぎです」


 ネーナ殿下がデートと称する奇行を繰り返す中で、私は何度も恋愛劇の舞台に連れて行かれた。

 その中で森で恋人同士が唇を重ね、それ以上の行為に及ぼうとするシーンがあったのだが、もちろん私はそんなことはしない。


「ふふっ、冗談よ冗談。でも人目のないところならクマールといくらベタベタしてもはしたないと口うるさく言われないで済むでしょう?」


 そう言いながらぎゅっと騎士服を着た私の胴体にしがみついてくるネーナ殿下。

 そのまま彼女は私の体中を小さな足で駆け回る。くすぐったさに思わず笑いが込み上げ、私は情けなくも四肢をくねらせて身悶えてしまった。


「おやめっ、おやめください、ネーナ殿下!」


「どうしてよ。小さな頃はよくくすぐり合いっこで遊んでくれたじゃない」


「いつの時の話です。今は私もネーナ殿下も互いに十七。来年になれば成人を迎える歳なのですよ」


「そんなの関係ないわ。何歳になってもわたくしはわたくしだもの!」


 いつもこうだからネーナ殿下は困るのだ。

 長いしっぽで私の胸あたりをくすぐりながら、ネーナ殿下は私の鼻上に引っかかり、座り込むと、私と視線を合わせる。


「あなただってそうでしょう、クマール? あなたの本当の気持ちがあの時から変わっていないことなんて、わたくしはお見通しなんですからね」


 その一言に、私はぎくりとなる。

 彼女が口にした『あの時』について、覚えがあった。あり過ぎた。


「……誰しも、変わるものですよ」


 思い出すのは、十年前のこと。

 まだ恥も外聞もなく、剣を振るくらいしかしたことのなかった七歳の頃の話だ。


 ネーナ殿下との初めての顔合わせが行われた際、それをてっきり騎士ではなく伯爵令息として、つまりお見合いという意味だと思い込んでいた私は、こんなことを彼女に向かって放ってしまったのだ。


『……ネーナ殿下、お嫁さんになってください』


 ふわふわとした可愛らしい白髪、つぶらな赤の瞳。

 それだけではなく、私の膝丈くらいしかない小さな体が、私を一瞬にして魅了したのであった。


 しかし、私と違ってしっかり立場を理解していたのであろうネーナ殿下はくすくすと笑いながら、こう返した。


『馬鹿ね、わたくしの騎士様は』


 それが私の初恋。

 ――そして初めての失恋の瞬間でもあった。


 それからはがむしゃらに学び、礼節を身につけネーナ殿下の騎士という役目に徹し続け、十年が経ったのだった。


 それを思い出しながら、私は強く奥歯を噛み締めた。


「ネーナ殿下は」


「何?」


「ネーナ殿下はどうして、私のことをそんなにも目にかけてくださっているのですか」


 聞いてはならないと思っていた。

 でも、気づいたら私はネーナ殿下にそう問うてしまっていた。


「……そんなの決まっているでしょう?

 わたくしに付き合ってくれるのなんて、あなたくらいしかいないもの」


 ネーナ殿下はすくっと立ち上がり、胸を張って言った。


「もちろんそれだけじゃないわ。あなたが面白いからよ。

 普通、王女から求婚されたら戸惑うそぶりを見せながらも受け入れるのが普通じゃない? なのにはっきり断るなんて、なかなかできる決断ではないと思うの。

 そうね、他には……あなたのゴワゴワした手の感触が好き。わたくしが城を抜け出そうとすると捕まえてくれるでしょう? それがわたくし、大好きなの」


 ネーナ殿下はそれから、私の好きな部分を一つ一つ挙げていった。

 とても愛おしそうな目で。大切なものを語る声で。


 そして最後に、言うのだ。


「だから……結婚しましょう?」

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