第二話
「クマール、わたくしの騎士様、今日はデートに出かけましょう」
翌日の朝早く、私がネーナ殿下を起こしに行くと、すでに目を覚ましていたネーナ殿下は歌うように言った。
デートとは庶民がよく行うことだと聞いたことがあった。もちろん恋人同士で、である。
「……ネーナ殿下、新たな縁談を探しませんと」
「いいのいいの、そんなことは。わたくしについていらっしゃい」
朗らかな笑みを見せながら、小さな体では信じられないほどの速さで駆け出してしまうネーナ殿下。
ネーナ殿下は寝間着姿だ。さすがにあれで外に出させるわけにはいかない。
私は仕方なく後を追い、廊下の中途で私を待っていた彼女を捕まえる。そしてネーナ殿下のお願いを聞いてデートに付き添うことになってしまったのだった。
そして数時間後――。
「楽しいでしょう、デート」
「私はただ、ネーナ殿下をお護りしているに過ぎませんので」
「つれないわね。まあ、そんなことを言いながらこうしてついて来てくれる優しさが好きなのだけれど」
そんなことを言い合いながら、私とネーナ殿下は庶民が行き交う街の中を歩いていた。
と言っても、ネーナ殿下は非常に小さいので他の通行人に踏み潰される危険があるため、私の掌に乗せている。
彼女の細長いしっぽが掌の上を揺蕩い、私を誘惑しているようにも見えた。
ネーナ殿下の行き先指示に従い向かった先は、小さなカフェだった。
よく貴族がお忍びで集まるような、そこそこ気品がありながら平民でも立ち寄れる、そんな店である。
私はネーナ殿下とその店に入った。
うっかり毒が入っていたりするといけないので、私がまず毒味のためにティーカップの中の紅茶を飲む。それからネーナ殿下にカップを渡した。
「これって間接キスということになるのかしら。どう思う?」
楽しげに笑いながらネーナ殿下が言ったが、キスなんて冗談じゃない。
私はただ毒味をしたまでのことだ。王族であるネーナ殿下にそういったいやらしい感情を持てるはずがない。
「揶揄うのはおよしください」
「揶揄ってはいないのだけれど。あら、クマール、全身の毛が逆立っているわよ? もしかしてドキッとしちゃった?」
「…………」
私はネーナ殿下の戯れに沈黙を返し、それからしばらくネーナ殿下とお茶を共にした。
ネーナ殿下が妙なことばかり言うものだから紅茶の味はよくわからなかった。
「美味しかったわね。次、どこへ行く?」
「帰りませんと国王陛下が心配なさいます」
「父はすでに言いくるめてあるから大丈夫よ。母なんて、応援してくれているわ? 『心のままに好きになさい』って」
それは応援ではなく、何を言っても無意味だということなのでは。
喉元まで出かかった言葉をグッと呑み込んだ。
私はその日、ネーナ殿下に指示されるままにデートスポットと呼ばれる平民の恋人たちに人気があるという場所を巡りまくって、日が暮れる頃に王城へ戻った。
ギリギリ夕食に間に合ったのは幸いだった。その時間を越えれば、いくらネーナ殿下が事前に国王陛下を説き伏せていたとしても騒ぎになっていたに違いない。
夕食を終え、夜。
就寝なさるネーナ殿下を自室へお連れし、今日の職務を終えようとしていた私は、ネーナ殿下に「ねえ」と呼び止められた。
「何でございましょう」
振り返ると、ネーナ殿下がスルスルと私の肩口まで登ってくる。
そんなところまで登らなくても聞こえますよ――そう言おうとした瞬間だった。
「――わたくしのこと、好き?」
艶っぽく、静かで甘やかで鼓膜をぞくぞくさせるような、そんな声が耳元から聞こえてきた。
慌てて己の肩に乗るネーナ殿下を見やれば、彼女はほんのりと頬を桜色に染めていた。
――ああ、なんて愛らしい。
一瞬そう思ってしまってから、私は凄まじい罪悪感に囚われた。
ネーナ殿下の私への情など一時的な気の迷いか、あるいは私を揶揄っているに過ぎない。なのに私はなんということを。
しかしそんな内心の逡巡を見せることなく、私は答える。
「お答えできかねます。私はあなたの、忠実なる騎士ですので」
「……そう。じゃあ、また明日ね」
少し残念そうに、しかし瞳の熱は失わぬままそう言って、ネーナ殿下は私の体から飛び降りていった。
また明日、ということは、おそらく明日もネーナ殿下のおもちゃにされるに違いない。しかし私は彼女の騎士なのだから仕方なかった。
「おやすみなさいませ、ネーナ殿下」
私は部屋を後にした。
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