ネズミ王女と熊騎士令息 〜婚約破棄したおてんば王女が、幼馴染の堅物騎士を恋に落とすまで〜

柴野

第一話

「ごめんなさい、あなたとは結婚できないわ。婚約、破棄させてもらうわね」


 ある日、薔薇の花が咲き乱れる長閑な庭園で放たれたその一言に、空気が凍りついた。

 白く魅力的な長いしっぽを揺らしながら微笑むのは純白の髪に赤い瞳の白ネズミ獣人の少女。まるで明日の予定でも告げるかのような軽い口調であった。


 彼女と対面する侯爵令息――たった今まで婚約者だった彼は、あまりの驚愕にしばらく沈黙した後、口を開く。


「なぜですか、ネーナ様。僕に何か不足があったのならお詫び申し上げます。ですから婚約は……」


「違うわ。ただ、わたくしはわたくしの心に素直で生きたいの。王族や貴族だからって、好きじゃない人――もちろん恋愛的な意味よ――と結ばれなければいけないのはおかしいと思うのよ。

 この気持ち、あなたにならわかるでしょう、チャック?」


 チャックと呼ばれた侯爵令息は、何と答えたらいいのかわからない様子で黙り込む。

 きっと反論できないのだろう。小型の犬人族である彼の犬耳が震えている。


 彼の狼狽えっぷりを見ていられなくなった私は、仕方なく、控えていた背後から姿を現した。


「……ネーナ殿下、お戯れはおよしください」


「あらクマール。わたくしが冗談で言っていると思っていて? わたくしはいつも本気なのよ」


 私の方を振り返りながら、白ネズミ獣人の少女――この獣人国の第一王女であるネーナ殿下が私を振り返り、拗ねたように言った。

 私のゴツゴツした両手にすっぽり収まってしまいそうなネーナ殿下は、小さくて非常にお可愛らしくいらっしゃる。

 だがそれを武器に何でもわがままを通そうとするそのおてんばさには頭を抱えざるを得ない。


「今回は度が過ぎます」


「そうかしら?」


 ふふっと笑い、ゆらんゆらんとしっぽをくねらせる彼女は、私の注意などそっちのけで侯爵令息に向き直る。

 そして改めて告げた。


「後日、婚約破棄についての書類をお送りするわ。

 慰謝料はわたくしがきっちり払います。……これまで散々お茶会に付き合わせたことへのお詫びね」


 侯爵令息のチャック様は、ややあって頷く。

 そうしてこの日のお茶会はお開きとなった。




 私が専属護衛騎士としてお仕えするネーナ殿下は、おてんば王女と有名だった。

 幼い頃は皆が皆彼女を止めようと必死だったが、今では何を言っても無駄だとわかり切っているから半ば放置されているほどの奔放さである。


 例えば、お忍びと称しては荒くれ者の冒険者たちに紛れて旅をしたり。

 王家への謀反など腹黒いことを考えている貴族家に首を突っ込んでは何食わぬ顔で証拠を掴んだなんてこともあった。


 小さい体では信じられないほどの様々な偉業を成し遂げると共に、私を翻弄し続けるのがネーナ殿下の常だ。

 そんな彼女を精一杯支えてきた私だったが、まさか彼女が三年間も続いていたチャック様との婚約を破棄するなど思ってもみなかった。


「なぜなのです、ネーナ殿下。チャック様はネーナ殿下に尽くしてくださっていたではありませんか」


「だって彼、テリアのことが好きだったでしょう」


 当たり前のように言うネーナ殿下だが、そんなのは初耳だ。

 テリアというのはとある伯爵家の令嬢で、ネーナ殿下とも親しい。彼女は大型犬の獣人であり、チャック様とも交流があったということまでは私も把握している。

 だが彼らがそういう関係だったとは一度も聞いたことがなかった。


「あの二人、とてもお似合いなんだもの。わたくしに縛られて本当の想いを胸に押し込めさせたままで結婚するなんて申し訳ないじゃない? だから婚約破棄したの。本当はもう少し早くするつもりだったのだけれど、父の説得が難しくて遅くなってしまったわ」


 国王陛下は決して娘に甘いわけではない。

 それでも力ずくで意見を押し通してしまうところは、ネーナ殿下がおてんば王女たる所以だった。


「なら、ネーナ殿下はどうなさるのですか。周辺国からの求婚はチャック様との婚約を理由に過去に全て断っておいでです。このままでは嫁ぎ先が……」


「何を言っているのよ」だが、ネーナ殿下は何の心配もなさそうな顔で笑った。「添い遂げたい相手なら、一人だけに決まっているでしょう」


 彼女が指しているのが一体誰かわからず、答えに困る私。

 するとネーナ殿下の小さな体がするするっと私の膝の上に乗ってきて、胸をポンと叩きながら堂々と宣言した。



「クマール、わたくしの愛する騎士様。わたくしと結婚してください」



 私は言葉を失った。


 どうして今、求婚されているのかが、さっぱりわからない。

 私はネーナ王女殿下の護衛騎士だ。小さな彼女を守るには獣人の中でも一番図体の大きい種族である熊獣人の私が良いだろうと、国王陛下が直々に選んでくださった上で引き合わされたのが私とネーナ殿下が互いに七歳の頃だ。


 それから十年間、私はネーナ殿下の傍にあった。

 すばしっこい彼女を追いかけ、どんな無茶な命令にも従い続け、彼女の護衛騎士として相応しくあろうと努力をし続けた。


 だが、それだけだ。

 それだけのはずなのに。


「いけません、ネーナ殿下。私は護衛騎士、あなたは第一王女殿下なのですから」


「堅物なあなたならそう言うと思っていたわ。身分差なんて百も承知よ。でも、クマールだって次男とはいえ伯爵家の令息でしょう」


 確かに私は、騎士の家系の弱小伯爵家出身だ。

 しかし令息らしいところなんて何もない。騎士としての礼節やマナーは知っているが、夜会でダンスなど踊れるはずもなかった。


 求婚されてすぐこそ動揺したが、しばらく経って落ち着きを取り戻した私はこれはあくまでネーナ殿下が私を揶揄っているのに違いないと考える。

 チャック様とテリア嬢のことを思って婚約破棄したことに同情されぬよう、私などに求婚をして誤魔化しているのだろう。


「……お断りいたします。私のようなしがない騎士風情ではなく、ネーナ殿下にはもっと相応しい方をお探しいただければ幸いです」


 深々と頭を下げると、不満そうに赤い瞳を鋭くしたネーナ殿下がため息を吐いた。


「わかったわ。あなたがどれだけ堅物なのかがわかった。仕方がないわね、わたくしがあなたを惚れさせてあげる」


「――――」


「せいぜい明日からを楽しみにすることね」


 その一言にとてつもない嫌な予感を覚えながら、私は頷く他なかった。

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