第9話『歓喜の新世界』
木曜日までの苦難を割愛された副島は、文芸同好会に来ていた。
「生物室……」
そこが文芸同好会の部室だ。
しかしまだ誰も来ている様子はなく、廊下でさえもひっそり閑としている様子に、副島は狼狽していた。
というのも、彼の客観的変質度は、部活の状況によって変わるのだ。ただ部員が来ていないだけであれば、彼は白い目で見られずに済む。しかし、万が一部活が休みであった場合、どんな目で見られるか、想像するだけで副島には悪寒が走る。
文芸同好会。
文芸同好会といえば、ドキドキするのが定番だが、副島はこんなドキドキを求めてはいない。
「はあ……っくしょん!」
まだ、少し肌寒い。
副島は、中学一年生の夏休み、ちょうど吹奏楽コンクールの一週間前に、人生初となる小説を書いた。
それは小説と言うにはあまりに短く、拙いものであったが、その瞬間に副島の人生は、大きな変化が生じたのだ。
今まで、なにかを始めたいと思ってはゼルダの伝説をやり、やっぱり始めたいと思ってもスプラトゥーンをやる人生だった副島が、なぜ小説を書き始めることができたのかは、わからない。しかし、副島がそれまで以上の「何者か」にはなれたのは確かだ。
なんて昔話を物語調に思い出していると、素早いテンポの掛け合いをしながら女子生徒二人が生物室の扉を開け、中に入っていった。副島は開けっ放しの扉の前で、しどろもどろしていた。
間もなく不意に、生物室の中の話し声がやみ、先ほどの部員二人が顔を出した。目はこれでもかというほどに開かれている。
「あ、先輩、見学に来たんですけど……」
という副島の言葉を待たずして、二人はゆっくりと顔を引っ込め、引っ込めたらすぐに二度見した。
その間にさらに三名ほど入室していた。
その二人は日本語使えるようになってから四秒のミジンコのように口を開く。
「けんがく……?」
「見学、です」
「とくに、これと言って今は活動はないけれど、どうぞこちらへ」
そう言われて、副島が生物室に足を踏み入れた。
それは歓喜の新世界と言うにはあまりに古びて、黄ばんだものであったが、その瞬間に副島の人生は、大きな変化が生じたのだ。
いやしかし、この部屋は「古びた」が褒め言葉になるほどだ。
黒板には授業からそのままであろう、プラナリアを九等分してから二日後の絵が描かれていた。
帰り際のソナタ 梶浦ラッと @Latto
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