第20話(最終話)

二週間後の金曜日。僕は依那よなから絵画展に行きたいと誘われて国立新美術館の正門前で待ち合わせをした。館内に入り受付でチケットを購入して、展示場へと足を運ぶと薄暗い照明が当たるなか、額縁に飾られた数十以上の絵画を見ていった。

その中のうち、僕はある絵画の前に立ち止まりしばらく凝視しながら食い入るように眺めていった。


その画には一人の美女と一人の天使が寄り添いながらキスを交わしている様子が描かれていて、その女性の眼差しがうれいを帯びてこちらを見ているさまが、まるで今の僕らの関係性を映し出しているかのように感じ心の中に浸透するように印象強く残っていった。

二時間ほどで見終わった後、館内の二階にあるカフェで休息を取ろうと言い、店内に入りコーヒーを二つ注文した。依那はパンフレットを見ながら先程のいくつかの絵画について感想を話していき、僕が立ち止まって見ていたあの絵画の事も話し出してきた。


「アモルとプシュケか」

「知っているの?」

「自宅にルーブル美術館の絵画集を持っているんだ。古代ギリシャ神話に出てくる二人の愛の話。人間と天使が許されない恋をして周囲に反対されながらも、困難に立ち向かっていくの。好奇心旺盛なプシュケが美の箱を開けた時に永遠の眠りについてしまって、それを知ったアモルが助けに来て彼女に口づけして目を覚まさせる。その愛に気づいた二人はやがて結婚をするっていう神話だよ」

「壮大な話だね。禁断の愛か……」

「私達に似ている」

「僕らは人間同士だろう?」

「それにしてもどこか似通っている。こんな風に一緒になれるなんて運命だなって感じるし」

「自分たちで決めた運命だよな。依那が僕を受け入れてくれるなんて初めはどうしようもないくらいに煩悩に翻弄されそうになったけど、会って話をしていきながら自分も宥めるようにさせていった」

「そんなに悩んだのですか?」

凪悠なゆの事もあったし両立させるなんて到底難しいって思っていた。ただ、依那はいつも勇者のように果敢に立ち向かっているし。その期待に僕も身を奮い立たせないと負けてしまうなって」

「負けてなんかいないよ。私の過去も聞いてくれて平穏に振舞っている海人が逞しく感じている。こんな風に自分以外の人を見てくれるなんて相当覚悟がないとできないことだよ」

「その先に見えた答えも全てが正しいとは限らない。ほんの些細なことが正当だとも決めつけることもしなくても良いし」

「あの絵を見たお陰だね。カタルシスの情に惹かれているよ」

「僕は、ずっと一人で歩いて生きたような半生みたいなんだよ。それなりに人付き合いだってしてきているのに、どこかでやたら独りきりの領海にいてさ。その海域を越えられたのも依那の存在が大きい」

「私は、どこにいても独りじゃないって考えるようになった。学生の頃なんか貢ぐように他人に依存しては離れてその繰り返しを行なっていって……気がついた時には誰もいなくなっていつも泣いていた」

「過去の範疇はんちゅうを越えて今の依那がいるんだよ。物事を気軽に見ている方が余分な重石をつける必要なんてなくなるし、依存もしなくてもああこれでよかったんだって自分を褒めることもできる。そうして生きていく方が人生はもっと楽しくなるよ」

「だから、私はあなたが必要となった。そういう言葉を持って生きている人たちって凄く素敵だし。私の中で海人の意義が大きくなっていく」

「僕も君の中で生きていきたい。やっと舟が動き出そうとしている」

「ロマンチスト」

「僕が?」

「うん。さすが姸麗けんれいなる執筆家だね」

「まだまだ足下に及ばないよ」

「そのうち、誰かに海人の作品を見てもらえる日が来ると良いね」

「そうだな」


その後僕たちは翌年に同居を始めて、僕は在宅勤務から通常の出社勤務となり、久しぶりの社内業務に懐かしさを赴きながら同僚たちと勤しんでいき、依那はいつも通りにデパートの店頭で接客業務に励んでいった。僕にとっては二度目の結婚。それに向けて新居が決まった後二人で家具などを探しにあちこち店を回っている合間に彼女の実家へ挨拶に行き、彼女の母親に事情を伝えて一緒になることを話すと僕らを応援すると告げて祝福してくれた。


二ヶ月が過ぎたある日の晩に二人で作った夕飯が出来上がると依那が少しだけ俯きながら箸を進めていたのでどうしたのかと尋ねたが何ともないと返答していたがあまり深入りせずに気にはかけなかった。

後片付けが済み、ソファで一緒にワインを飲みながら雑談をしているとやはり彼女は伏せた表情で膝を抱えて呆然とし出したのでもう一度どうしたのか聞いてみた。

すると一度立ち上がり見せたいものがあると告げて隣の居間からバッグを持ってきてある一枚の写真を持ってきた。


「これ、どうしたの?」

「もう一隻、舟を出すことに決めた。」

「何の形だろう?」

「今日、産科の病院に行ってきた。八週目だって。おめでとう、パパ」

「俺、父親になったのか?」

「そうだよ。これから忙しくなる。この子を私達で育てていこう」

「ああ。もう一隻準備しないとな。依那、ありがとう」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


僕の罪はいつの間にか消え去り慈愛の念がそこに寄り添い出そうとしている。二人が育む新しい命が産声を上げた時に真実の誓いが眩いくらいに注ぎ込み、神は僕らの元へ降りてきて永遠の境地に達することを告げにくる。

僕は依那の頬にキスをして身体を抱き寄せると彼女もそれに答えるように強く抱きしめ返してきた。


土の中で眠っていた芽が顔を出し地上へ伸びて可憐に総苞そうほうが開いた時に出航の汽笛は鳴り響いて歓声の中を渡り歩いていく。僕らの次の目的地はやがて快路へと導いて寄港の時まで進み続けていくのだ。


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オートル・バトウ 桑鶴七緒 @hyesu

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