Reiko

シンカー・ワン

レイコ

 レストルームに備えられたドリンクサーバー、慣れた手つきで操作する男がひとり。

 定期哨戒任務の三十分前、のが男のルーティーンなのだ。

 といってもアルコールなんかじゃない。

 アイスコーヒー、氷多めのシロップ少なめ、ミルク無し。

 このご時世、豆にはこだわらず。程よい酸味の中にほのかな甘みがあればそれでよし。

 マドラーで軽くかきまぜたそれに軽く口をつける。ドリンクサーバーから提供される、変わぬ味に不満はないが、に及ばないのが少しもどかしい。

 失われた味に文句を言っても詮無い。今はこれがベストなのだと男は割り切っている。

 それでも、未だにアイスコーヒーを求めてしまうこと自体、ふっきれていないのだと自覚もしていた。

 ざっと三十年、若造だった自分も五十を超えた。過去を引きずったまま生きてきたといえば格好もいいだろうが、単に明日を見ていないだけ。

 未練が無いと言ったら嘘になる。だけど生きるため、戦うための大義銘分にしているつもりもない。

 昔に囚われている訳でもなく、未来を見据えてもいない、中途半端な存在。

 そんな自分に対し、嘲りにも似た笑いが男の口元に浮かぶ。

 テーブルに置いたコップの中で、氷がかすかに音を立て、揺れる。

 最近、こんな風に自嘲気味になることが増え、老いを痛感している男。

 ――引きどき、なのかも知れんなぁ――


「隊長、合席、よろしいでしょうか?」

 かけられた声に男が顔を向けると、ラージサイズのコップを手にした自分の隊の若い兵。

 構わないと返事をするも「……対面は遠慮してくれ」と一言入れてしまう。

 ――あぁ、やっぱりこだわっている――

 四人掛けのサークルテーブル、どこに座ろうといいようなものなのに、向かいの席を空けていてほしいと願っている自分を、男は胸の内で嗤う。

 一礼を入れてから左側の席に着いた若い兵士。コップの中身はウーロン茶か。

 動きに硬さが見える、緊張が表に出てしまっている。

「そう言えば、三曹は今日が初の任務飛行だったか?」

 何度もコップに口をつける落ち着きの無さ、その原因に思い当って口にしてしまう男。

「――は、はい。く、訓練は十分にしてきたつもりですが、実務になりますと、その……」

 会話の口火を切ってもらえたからか、若い兵士――三等空曹――はしどろもどろになりながらも、今の心境を言葉にし始める。

 そのぎこちなさに若き日の自分を重ねる男。

 思い出す。向かいの席に座って、自分を見つめる彼女を。


 いいカッコを見せようと盛った話をする自分、見透かすように笑う彼女、ずっと続くと思っていた楽しい時間。

 住宅街の隠れ家みたいな喫茶店、初老のマスターの確かな腕前、ずば抜けて美味い訳ではないが舌に合うメニューの数々、いつまでも腰を落ち着けて居たくなる店の雰囲気。

 何よりも彼女が居た。

 夏のオーダーは「マスター、いつもの」の一言で運ばれてくる、氷多めでシロップ少なめ、ミルク無しのアイスコーヒー。

「共食いならぬ、共飲みなんよね」

 関西のイントネーションで、ここが笑いどころとばかりに言ってくる彼女、レイコ。

 冷コーアイスコーヒーを飲むレイコ。

 ベタ過ぎるネタに苦笑いしか返せなかった自分。

 レイコが居れば、それだけで幸せだった、帰らざる日々……。


「――初の実務と言っても、単なる哨戒だ。それに僚機が自分では不安か?」

 実務に挑むことへの不安を口に並べ立てていた三曹に、頃合いだと男が話を収めに入った。

「あ、いえ、そんなことは……」

 飛行時間一万を超える経験豊富な隊長にそう言われてしまうと、三曹に返す言葉はない。

 レストルームの時計に目をやり、切りのいい時間だと男はコップの冷コーを飲み干し席を立つ。

「そろそろ時間だぞ三曹?」

「は、隊長!」

 三曹は答えると慌ててコップをあおる。が、すでに氷も残っていなかった。

 その様子を目にしながら、苦笑気味に隊長はプラスチック製のコップをリサイクルボックスへと放り込み、レストルームから去っていく。 

 三曹が慌て気味に続いたのは言うまでもない。


     §     §     §     §     §     §


 三万フィートの高空を、銀翼を輝かせて二機の飛翔体が飛んで行く。

「どうだ三曹? まだ不安か?」

「い、いえ、もう、もう大丈夫です」

「――それは頼もしい」

 先頭を飛ぶ隊長機と後方の三曹機との間で通信が交わされる。たわいもない会話であるが、必要だと黙認されているために飛行管制は口を挿まない。

 空を飛ぶこと戦うこと、ベテランからルーキーに伝えることは空の広さほどある。軽口をたたいて緊張を解すのもその一環。

「――隊長、哨戒空域に入りました。……あれが……」

 眼下に広がった光景に、三曹が言葉を失う。

「――見るのは初めてか?」

「資料で目にしたことはあります。ですが実際には……」

「……あそこに昔 "関西圏" があったんだよ」

 飛翔体が飛ぶ空のはるか下に、引き裂かれた大地があった。

 

 三十年前、日本と某国は強い軍事緊張関係にあった。例えれば破裂寸前まで膨らんだ風船。

 そこに第三国からの工作によって某国が暴発。大規模破壊兵器の使用に至る。

 布告もなく撃ち込まれた大規模破壊兵器によって関西地方は消滅。日本は物理的に東西に分断された。

 その後、両国は全面戦争に入るが、国力の差、大国との同盟関係もあり、一年もたたず日本の勝利に終わる。

 戦争は終わりはしたがその傷跡は大きく、西日本の復興は未だ叶っていない。


 ――レイコはあの時関西圏地元にいた。北陸三沢で訓練中だった自分の元に呼び寄せていれば――。

 もう何十年も繰り返す自問。答えはとっくに出ているのに。

 結局自分はあの日、レイコを失った日から前に進んじゃいない。立ち止まったままだ。

 アイツの好きだった冷コーを飲んで、思い出にしがみついて、ただ生きてるだけ。

 ……なぁレイコ、追っちゃあいけないか? お前のとこへ行っちゃあだめか?


 ヘルメット越しの視線を大地から蒼穹へと移す。仰ぎ見る空はどこまでもただ広い。

「――三曹」

「なんでしょうか?」

「彼女はいるのか?」

「――っ、な、なっ」

 突然かけられた質問に返せない三曹。

「いるのなら、大事にしろ」

「――?」

「それだけだ。――帰投するRTB

「……りょっ、了解」

 銀翼きらめかせ航跡雲で弧を描きながら、ふたつの飛翔体が帰るべき場所へと向かって飛んで行った。

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