第4話 異世界家族
そこはもう遊園地ではなかった。地獄だった。
行手に聳える観覧車が爆音を挙げて猛火に包まれたとき、僕はなぜかそこに父がいると確信した。
父の死を確信した。
頭の隅で道化た声が響く。
…昔々、似たり寄ったりのお人よしの男と女がおりました。似たりよったりのふたりは恋に落ちて、似たり寄ったりの夫婦になりました。それから、似たり寄ったりのお人よしの子どもが生まれましたとさ。
そうして、似たり寄ったりに他人を助けるために、似たり寄ったりの最期を迎えましたとさ。
観覧車は火の車となって夜の海の深淵に転がり落ちて行った。
僕は、母を抱いて必死に呼びかけている妹のもとに向かった。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お母さんが。」
妹の顔は鏡のように粉々に割れて、濡れていた。
似たり寄ったりの、馬鹿な家族だなあ。と僕は笑ったつもりが、跪いて嗚咽していた。
僕は涙と息を一緒に吐いた。
「母さん、母さん、母さん。」
母はまだ生きていた。妹と僕の両手を弱々しく握った。
「よかった。よかった。無事?怪我してない?」
母は命の瀬戸際で僕らの心配をしていた。
「ごめん、ごめん。母さんを守れなかった。」
「それお母さんのセリフだよ。よその子のために、あなたたちを守れなくてごめんね。そこのベビーカーの子、助けてあげてね。ちいさいときの、あなたによく似ていたの。」
妹が立ち上がってベビーカーから子どもを抱き抱える。まだ言葉もわからないほど幼い。
それから母は僕の腕のなかで気を失っているもう一人のこどもを見て、
「あらあら。ここは迷子センターかしら?」と血を流しながら笑った。
「早くここから逃げて。たぶんもうわたしは助からない。わたしを置いて行きなさい。」
「そんなの無理に決まってるじゃん!」妹が叫んだ。
「置いていけるわけないじゃん!助からないとか意味わかんないこと言わないでよ。なんなのこれ。なんで遊園地でこんな事件が起きるの。嘘だよ、こんなの、みんな嘘だよ!」
「ジュリちゃん!どうして我が儘言うの。お願いだから言うこと聞いて。ね。あなたたちが死ぬのは、私が千回死ぬより悪いの。お母さん、千回も死ぬの、イヤだよ。」母は顔をゆがめながら微笑んだ。
「ロミオ、ジュリをよろしくね。きっとふたりで生きてね。さあ。早く行きなさい!」
母は僕らを急かした。僕らは動けなかった。そのとき閃光が走った。僕と妹は振り返った。園内を貫く大きな道の向こうから、輝く死がやって来た。
ナイトパレードだった。それは、蠢く光の森のようだった。歌う蛍光蟲の大群集。歴代王朝の道化師と王侯、奴隷と死刑囚、七色の蝶々、笑壷に入って笑いつづける骸骨、遍歴騎士、首の無い王様、臓物を両手に掲げる王妃、動物の毛皮を着た侏儒、機械の昆虫、大きな太陽と月。
悪夢が、現の夜を練り歩いていた。
電飾に覆い尽くされた山車は、蒸気外輪船からかぼちゃの馬車、車輪のついた動く城砦までバリエーション豊かで、色とりどりの光に輝き、それら全てが、さながらジャガーノートのように大車輪の下に犠牲者を折り砕きながら、死の凱旋を続けていた。
園内の警備施設の常駐員や、スタッフ、遊園客の人々は、その死のパレードにむかって、まるで火に飛び込む羽虫のように吸い寄せられていた。目の前で、次々に人々がナイトパレードの狂騒のなかに飛び込んで行く。そこで骨と肉を粉々に碾き潰されたのか、それともあの魔群の一部と化してしまったのか、それは解らない。
「もし生まれ変わったら、もういちどみんなで家族になって、
またこの遊園地に来ようね。」
その光の奔流が近づいてくるのを見ながら、母がそう言った。
僕らは手を繋いだ。
「平和な時にね。こんな状況の遊園地は絶対に嫌。」妹が言う。母は笑う。
「あ、そういえば、お父さんいない。お父さんだけ仲間はずれ。」
僕らみんな笑った。
「父さんも必ず来るよ。」僕は確信を込めてうなずく。
それから母は僕と妹の手を離して、背中を突き飛ばそうとした。でも血が出過ぎていて、もうその力もないらしく、手の勢いは弱々しかった。僕は母を肩に背負おうとして、何度も、何度も屈んだ。その度に母の体は泥のように滑り落ちた。母は渾身の力で僕を突き放し、僕を叩いた。
「行きなさい!その子たちの命も預かってるのだから。早く行きなさい!」
今まで見たことがない表情だった。母の眼は血走っていた。ナイトパレードがすぐそこに迫っていた。
僕は妹の手を無理矢理引いて反対方向に走り出した。イヤだあ!妹が叫んだ瞬間、母はその光の波に呑まれて見えなくなった。陽気な轟音が耳を圧する。僕は歯軋りして血を吐きながら走った。涙が邪魔だった。全部血になればいい。そう思ったら涙が止んで、血の味だけがした。
僕らは闇の中、悲鳴と叫喚の砂嵐の中を走り続けた。
そうして海辺の施設に出た。そこから貸ボートで沖に出られるかもしれない。
でも、その希望もすぐに打ち砕かれた。
反対側からもパレードがやってきた。
「なんだよ、またかよ。」
言葉を失っている妹の、その目と口が見開かれた。それがどんどん大きく暗く開かれていく。
大航海時代の帆船を模した巨大なフロートが目の前に迫って来た。中世の帆船によく見られるマーメイドの船首像が目を引いた。航海の無事を祈って艤装する物だった。それが赤く光っていた。僕は眼を凝らした。僕は走り出していた。
「父さん、父さん!」
父の半身像だった。眼をつむって、片手で乳房を隠して、片手で下半身を隠している。上半身から下の部分が黒々としていて見えない。下半身がどこにも無いのだ。言うまでもなく死んでいる。頭でそう考えても、体が納得でしなかった。だから父を呼び続けた。
そうして、ナイトパレードの光の奔流に僕は呑み込まれた。
電源を落としたように、そこですべてが終わった。
父も母も、妹も、ふたりの子どもさえ救えないまま僕は死んだ。
光の中で最期に思ったことは、二度と、絶対に、こんな遊園地に遊びに来てやるものか、ということだった。
そして残念ながら、人生について多くがそうであるように、その誓いは逆に作用した。
僕はそれから、十万億度もその遊園地を訪れることになる。つまり、僕は死ぬことを許されなかったのだ。これを読んでいる貴方が今間違いなく生きているように。
願いはひとつだけ。家族みんなで、あの日に帰ることだ。
その日まで、僕たち家族をこう呼ぼう。
「異世界家族」と。
遊園地家族 @gfdjse569
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