第3話 逢魔が家族

夜空に花火が上がった。

光の菫が、炎の椿が、火花の曼珠沙華が散った。闇夜の黒い土に、花壇のように色とりどりの光芒が花咲いては、湧くように歌うように砕けた。

おお、と父が叫んで花火に合わせて手拍子を始めた。他の誰も父のように花火を楽しむことはできない。母もおとなしくしてはいなかった。千載一遇スクショターイム!と高らかに笑い、スマートフォンのカメラで、歴戦の兵士がマシンガンを歌わせるように、出鱈目に夜景を連射しはじめた。スマートフォンを左右に振り回して、全方位の花火をカメラに納めようと欲張っている。だから母の撮る写真はどれも幽霊写真のように手ブレが酷くて見れたものではない。妹はだるそうに両膝たててLINEをしていて、その横顔が光に照らされた。その一瞬後で、歓声が聞こえた。園内の客達は立ち止まって空を見上げている。かがやきはすぐに消えたが、明るさは人々の顔と心に、しばらく消えずに残っていた。


ロマンチストの母が突然夢見るように言い始めた。

「もし、生まれかわったら、もういちどみんなで家族になって、もういちどこの遊園地に遊びに行こうね。」

父は手を叩いて爆笑して百回くらい高速で頷いた。妹は「クサすぎる!」と叫んだ。僕はせっかく生まれ変わるならフロリダのディズニーランドに行きたいなと言った。おなじ家族になることは否定しなかった。


そうだ。そこまではみんなはっきり覚えている。

問題はその後だ。

花火に向かって挙げられた歓声が、突然悲鳴に変わった。そこから、世界が転げ落ちた。底まで堕ち切るのに、ものの数分とかからなかった。


初めに、赤い蝶を見た。なにかが爆ぜる音を聞いた。飛んでいたのは火花だった。

目をあげると、レストランの向かいにあるジェットコースターが、轟々と炎上していた。生贄を焼く祭壇のように、王の火葬台のように、煌々と輝いて、黒煙をほとばしらせながら、ジェットコースターは燃えていた。あまりの激しさに、僕たちは見惚れるようにしばらく火を黙って見上げていた。レールの構造物が湾曲し、火に溶けた蝋のように焼け落ちていく。サイレンが鳴り始めた。避難を告げるアナウンスが激しく音割れしてから、断ち切れるように止んだ。


 闇の奥で、観覧車が静かに燃えていた。赤々と火の壁のように、非現実的に燃えていた。窓ガラスを中から破ったのか、乗客が助けを呼ぶ哀しい声が風に乗って聞こえて来る。

父が「助けなきゃ」と呟いて立ち上がり、「みんなここにいろ。すぐ戻るから。」と言って飛び出した。母は僕たちふたりの手を握り、大丈夫よ、大丈夫よと言いながら、母が一番震えていた。

 

テラス席の反対側に見えていたメリーゴーランドにも異変が起きていた。馬たちが、火焔を吐きながら、狂気のように上下に弾みながら旋回していた。

 次々に遊んでいた人たちが弾き飛ばされて路上に倒れた。陽気な音楽が狂騒的にテンポを速めた。もう降りることも昇ることもできないほど回転は速くなっていた。

 逃げ遅れた子どもがいた。青い目をした金色の鬣の白馬にしがみついていた。

僕はとっさに飛び出していた。母が僕を呼んだ。でも止まれなかった。僕はメリーゴーランドに走り寄って、タイミングを見計らって、燃えていない馬の首にかぶりついた。身を捩って、恐怖に身をすくめている子どもの上におおいかぶさった。少年はクマのぬいぐるみのバックを背負っていて、そのクマのガラスの目が僕を見上げていた。少年の顔をのぞきこんで、大丈夫、絶対助けてやるからな、と僕は励ました。少年は恐怖に大きく見開かれた目で頷いた。メリーゴーランドはさらに回転を速めた。両隣の馬の顎は燃え落ちて崩れ、吹き飛ばされた客は転倒し、人々はなすすべもなく高速で回転する金堂を見つめていた。

僕はその幼い少年を胸に抱いて、悲鳴、絶叫、怒号が飛び交う中、ライトアップされた遊園地の景色が、絵の具を溶いたように混ざりあって見えるのを、もうどうしようもないという諦めの気持ちで、ただこの子が助かりますようにと祈っていた。会ったことも見たこともない神さまに。


 目の端に母が一瞬映った。僕を追いかけて、半狂乱になっている。その向こうに、園内のマスコットキャラクターが近づいて来るのが見えた。なぜか手に銃のおもちゃを持っている。なぜだろうと僕はぼんやり痺れたような頭で考える。


 突然、マズルフラッシュが闇に閃く。銃撃音はない。派手な電子音楽にかき消されて何も聞こえないのだ。家族連れらしい男性と女性が薙ぎ倒される。それが僕の父と母でないことを確認して安堵すると、それが痛みとなって胸を一瞬刺す。でもその痛みも新たな痛みがかき消してしまう。


倒れた女性の手から離れたベビーカーが、大きな階段に向かって斜面を転がり始めていた。それに気がついた僕の母が、その後を追って飛び出した。

母はいつもそうなのだ。困っている人を助けようとして考え無しに暴挙に出る。本当は臆病で怖がりで、体も妹より小さいのに。


妹が見えた。レストランのテラス席から、母を追いかけて走っている。その顔が見たこともない形に歪んで、なにかを叫んでいる。

おかあさん!

そう叫んでいるのだと気がついた時、ベビーカーに覆いかぶさった母の背中に、笑顔のまま顔が凍りついているマスコットキャラクターが、胸の高さにアサルトライフルを構えた。銀色の花が咲いた。母は膝から崩れ落ちた。妹が跳躍し、高々と空を飛んだ。妹の足がマスコットキャラクターの頭を直撃する。マスコットは吹き飛んで横ざまに転倒した。妹は着地すると、弾き飛ばされ、まだ半分燃えているメリーゴーランドの馬を両手でひきずりだして、それを勢いよく持ち上げて、マスコットの着ぐるみの頭に思い切り叩きつけた。


それから妹は倒れた母にむかって、よろめくようにすがりついた。妹が水のように母のからだに注ぎ出されるのを僕は見た。それは妹ではなく、妹と同じ量の涙だった。僕は喉が壊れるほど叫びつづけていた。止めることはできなかった。


その時、回るメリーゴーランドに激震が走った。巨大な鉄の傘が堕ちてきた。足元がひっくりかえった。金属が捻じ曲がり、波打った足場から電気の火花が噴き出した。メリーゴーランドの中央部の円筒に描かれた春の庭や遠い異国の市場の賑わいの絵が、青白く照らし出されていた。耳が海の底にいるように遠くなった。暗闇のなかにいて何も見えない。腕のなかの子どもの体温が、薄れゆく意識を繋ぎ止めていた。

 メリーゴーランドの支柱が盾になって、奇跡的に構造全体の重圧を防いでくれたようだった。鋼の軋む音がする。なにかケーブルの断ち切れる音がする。僕はそこから子どもを抱いたまま、母を呼びながら無我夢中で這い出た。

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