第2話 黄金週間家族
それは桜並樹がいさぎよく花模様の振袖を脱ぎ捨てて、若葉色の制服に着替えた、まばゆい光と風の歌う五月。大型連休前のある一般家庭の風景だった。毎年見慣れた、同じ舞台で、同じ役者の小劇が繰り広げられていた。
父は、夕食の席でおおはしゃぎで遊園地計画を発表した。母はガッツポーズをし、いますぐ大急ぎで支度をはじめなくちゃと笑った。本当はもう準備はできている癖に。妹は面倒くさがって、急すぎるっしょと文句を言いながらも、既に予定を空けていて、僕はやりかけのゲームを中断することを拒んで、遊園地にゲーム機持って行っても可なりや?と訊いて、全方向から不可なり!とテーブルを激しく叩きながら断言されていた。
僕は時々考えるのだ。父と母は、日毎に大きくなっていくぼくら兄妹のなかに、幼い頃の二人の姿を映し見ているのではないか。過ぎ去ってしまった幸福な日々を懐かしんでいるのでないだろうかと。
夢のように過ぎ去った時間を、父と母は今も
だから子ども二人は、しめし合わせているわけではないけれど、遊園地では出来るだけ、幼くて我儘で手のかかる、悪童めいた振る舞いをこころがけているのだ。齢を重ねた肉体は不可逆的だが、精神的に、十歳ほど退行することは可能だ。断じて、僕と妹がまだ案外子どもで、遊園地で見境なくはしゃぐことができるような幼さを失わずにいるからではない。
だから僕らは、園内でアイスクリームを両手にかぶりついて、天罰覿面の頭痛に悶え苦しんで両足をバタバタさせる。両腕を複葉機のようにひろげて旋回して走り回り、奇声をあげながら鳩の群に突撃する。ダンスパレードを真似してふたりでジグザグを描いて踊り狂い、大恥をかく。観覧車内で飛びはねて、母を本気で激怒させる。それに類した、色々な悪戯をする。幼いころ、いつもそうしていたように。そうすると、ほんのすこしだけ、父と母ふたりが嬉しそうにほとほとと笑っているのが見えるのだ。少しずつ老いていくふたりの、時が止まったように見えるのだ。僕はそれを見ると、なんだかたまらない気持ちになる。
遊園地には、東と西と北と南を向いて、四の門が立っていた。その門の下を、まるで勝ち誇る征服者のように四人の男女が通っていく。沙翁一家だ。獅子の像が赤い口腔をのぞかせて吼える東門ハニエルは、沙翁一家の来訪に恐怖し、震撼する。大地の極から大地の果てまで鋤き耕す雄牛の像が、逞ましい肩の筋肉を聳えさせる北門カフジエルは、四人の来訪に大興奮して雄叫びをあげる。純白の翼をひらいて恩恵と慈悲の笑顔を浮かべる天使が剣を掲げている南門アズルエルは、僕らの巡礼を祝福してくれる。星辰の
あの運命の日、大型連休の中盤の夜、アトラクションで遊び疲れた沙翁一家は、園内にある地球儀を模した形のレストラン『ミセス・マクベスの血まみれキッチン』のテラス席でピザを食べていた。ここのピザも、もう何十回と食べている。同じ味、同じ形、毎年値段だけが上がっていく。夜空に観覧車が回っていた。ライトアップされた花籠が、恋人たちを乗せて、甘く残酷な時をきざみながら、夜の海辺を静かに照らしていた。
「まあつまらなくはなかったかな。」と顎をかきながら父。
「まあ、子どもたちが喜んでくれればね。」とあくびしながら母。
「腕ならしにはなったよ。」と拳を鳴らしながら妹。
「早く帰ってゲームの続きがしたいや。」と僕。
そんな風に辛辣な酷評を下す面々の服装に目を留めてもらおう。
父は海賊帽を被って、胸をおもいきりはだけて緋色のシャツを着ていた。母は葡萄酒色のローブに魔法使いの帽子を傾けていた。妹は武闘家のチャイナドレスの上から龍虎の刺繍の入ったスカジャンを羽織っていた。僕は電脳に接続する脊髄のケーブルを後頭部にポニーテールにして、ネオンカラーに光るジャケットを着ていた。
そして全員が、ステージクリア記念の花環を首からぶら下げていた。
要するに、みんな徹底的に楽しみ、遊び倒していた。
前夜は夜九時に就寝して朝五時に起きて、開園前からウォーミングアップの体操をした。開園と同時に目当てのアトラクションへ、ゲートが開かれた競走馬のように疾走した。
みんな言葉と行為が裏腹なのだ。
その結果、目の前の皿に載っている死んだ海老と同じくらい、くたびれていた。
本日の戦果は以下の通りだった。
父は大航海時代世界で、宝島のアトラクションをコンプリートした。
母は中世の魔法の御伽の国で、稀代の魔女として名を馳せ、全土の聖職者を蒼ざめさせ、世界魔女ランキングトップに躍り出た。
妹は武術と剣の武侠世界で、女義賊として諸国を統べて、悪政を敷く政府に反抗し、民を救い、平和をもたらした。
僕はオタクの聖地・電脳世界のアトラクションで、未来世界の預言者として、黙示録と呼ばれるカタストロフを回避し、世界を救済したメシアとして表彰された。
ようするに家族みんな大満足の一日だった。
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