無能の反撃

三鹿ショート

無能の反撃

 私は、馬鹿にされても仕方が無い人間である。

 十を聞いたところで一も理解できず、将来性を考えれば、物心がついた子どもの方が価値のある存在だろう。

 気の利いた会話も、他者を喜ばせるような言動も、私には全てが不可能だった。

 生きている意味があるのかと、冷徹な眼差しを向けられたことは、一度や二度ではない。

 私が無能であることは、他人に指摘されずとも、私が最も理解している事実である。

 だからといって、指摘されたことで腹が立たないわけではない。

 確かに、誰もが認める事実ならば、口に出しても他者と意見が異なっているゆえに争いが起きてしまうようなことは無いだろう。

 だが、その事実を笑いの種にすることを、私は許すことができなかった。

 私を愚か者として扱う人々は、その場をやり過ごすために浮かべている私の苦笑をどのように捉えているのだろうか。

 私は、その場で怒りを露わにしたところで、人々を喜ばせてしまうだけだと理解しているために、黙っているだけだ。

 実際のところは、腸が煮えくりかえっている。

 頭の中で、何度罪を犯したことだろう。

 それを現実世界で実行すれば、私が馬鹿を見るだけであることも、分かっている。

 ゆえに、私の掌には、握り拳によって食い込んだ爪の痕が、常に存在している。

 一体、何時までこのような苦痛に耐えなければならないのか。

 誰とも接触せずに生きていればいいのだろうが、厄介なことに、私は他者との関わりを求めずにはいられない性格でもあった。

 何時の日か、私を馬鹿にしない人間と知り合うことができるのだろうか。

 そう考える度に、叶わぬ夢だと自嘲の笑みを漏らした。


***


 一生涯、私は恋人を得ることは不可能だと思っていたが、人生は何が起こるか分からないものだった。

 彼女は、無能である私を受け入れてくれたのだ。

 私が見るに堪えない失態を演じたとしても、それを指摘することなく、黙って抱きしめてくれた。

 他者の温もりなど味わったことがないため、思わず涙を流したものだ。

 彼女が存在する限り、私はどのような罵倒を浴びたとしても、明日を生きることができる。

 そう信じていた私は、やはり愚か者だった。


***


 彼女こそ私の人生の伴侶であると確信し、婚約指輪を渡すべく、彼女を呼び出した。

 そこは街を一望することができる場所で、ここで見る夜景は筆舌に尽くしがたいものがある。

 結婚の約束をするのに相応しいと思い、彼女を待ち続けた。

 やがて彼女は姿を現したのだが、連れがいるとは想像していなかった。

 彼らは一様に醜悪な笑みを浮かべ、彼女もまた、口元を緩めている。

 深く考えずとも、私は状況を理解した。

 果たして、彼らが語った内容は、私を騙していたというものだった。

 周囲から馬鹿にされ続けた私の前に、親身になってくれる人間が出現したとき、どのような勘違いをするのかを観察していたようだ。

 彼らは腹を抱え、そのうちの一人は、私の手から婚約指輪を奪い取ると、それを街に向かって投擲した。

 安い給料を貯めに貯めた努力の結晶は、一瞬にして消失したのである。

 呆然と立ち尽くす私の肩を叩くと、彼らはその場を後にした。

 彼女だけはしばらく残っていたが、やがて姿を消した。

 彼女がどのような表情を浮かべていたのか、私には分からなかった。


***


 私は、我慢というものを止めることにした。

 生きているだけで笑いの種にされるのならば、笑われるようなことをしなければいいのだ。

 私は身の回りのものを全て売り払い、会社も辞めると、行動を起こすことにした。

 私が本当に無能であるのかどうか、その身をもって知るがいい。


***


 苦労してようやく入手した一軒家が焼失したとき、どのような反応を見せるのか。

 両眼をえぐり取られ、二度と光を感じることが出来なくなったとき、涙は流れるのだろうか。

 結婚を決めた交際相手の身体が、一部分ごとに毎日自宅に届けられたとき、発狂してしまうのだろうか。

 自宅で常のように出迎えてくれる妻と子どもが、首だけの状態で玄関に存在していたとき、現実を受け入れることができるのだろうか。

 彼らの反応を想像するが、現実を目にすることはない。

 何故なら、私は私を馬鹿にした全ての人間に報復するまで捕まるわけにはいかず、逃げ続ける必要があったからだ。

 逃亡生活は想像以上に過酷なものだったが、これまで受けた仕打ちを考えると、児戯のようなものだった。


***


 最後の標的は、彼女だった。

 出会ってきた人間たちはいずれも許すことが出来ないが、彼女が最も罪深いためである。

 弱っている私の心を弄び、それを笑いの種にするなど、人間という生物の醜さを収斂したような存在だ。

 ゆえに、彼女に関しては、簡単に済ますなどということは考えていない。

 光も入らない場所に閉じ込め、その身を少しずつ削っていき、一方でできるだけ長く生きるように配慮をしていくつもりだ。

 しかし、捕らえられた彼女は、涙を流しながら叫んだ。

「私は、彼らに命令されただけなのです」

 いわく、彼女もまた、私ほどではないが、他者より劣っている人間だった。

 私と同じようにぞんざいに扱われていたが、その状況から脱却するためには私を騙す必要があると、彼らに提案された。

 彼女は、悩みに悩んだ。

 私とは知り合いではないものの、同じような目に遭っている人間として、同情していた。

 私の気持ちを理解しているがゆえに、それを利用することに抵抗を覚えていたのである。

 だが、最終的には、彼らの提案を受け入れた。

「普通の人生を送るためには、仕方の無いことだったのです。あなたも同じ立場だったのならば、そうしていたに違いありません」

 そのような言葉を発した彼女の頬を、私は拳で殴った。

 目を見開く彼女の顎を掴むと、接吻するかのような距離で、

「私はそのような提案をされるほど、恵まれてはいない」

 取り付く島も無いと理解したのだろう、彼女は項垂れ、動かなくなってしまった。

 用意した刃物を見つめながら、私は考える。

 彼女に対する報復を終えたとき、どのように生きていけば良いのだろうか。

 しかし、即座に思考を停止させた。

 私は、無能である。

 己の欲望に従っていけば、それでいいのだ。

 その影響で他者に被害が及んだとしても、事故のようなものだと理解してもらうしかない。

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