夢の決壊

 好きだと言われた。

 僕も僕のことが好きだったから、僕のことを好きになってくれた彼女のことを、好きになりたかった。

 でも、無理だった。

 だって僕の方が、僕のことを好きだったから。


「前の彼女には、それなら最初から付き合うなと言われたのだけど、どうしてだったのかなあ」

「本当のことでも言われた側は不快だからでしょうね、このナルシストが」

 

 呆れ顔の彼女の言い分は、僕にとっては難解で思わず溜め息を吐いた。そんな僕を見て、彼女も大きな溜め息を吐く。


「先輩は、先輩から人を好きになったことはない、と前からおっしゃってましたけど、本当に一切そういう感情はなかったんですか? ちょっと気になるとか、付き合い始めてから好きになったとか」

「うーん、ないね」

「生粋だなこのナルシシズムは」

 

 彼女の友達は、僕のことが好きらしい。

 どうして僕のことをそんなに好いてくれたのか、僕には思い当たる出来事はないのだが、とにかく僕のことが好きなのだと。


「困ったなあ、偽情報の水虫にも怯まないし、とうとう本物の愛とかなんとか宗教みたいなこと言い出したんすよ、あいつ」

「そうなんだ」

 

 勝手に水虫の設定にされたことには少し不服だけれど、それでも僕を好いてくれているという彼女の友達に素直に感心した。

 あの大人しそうな子が、宗教じみた信仰の話を捲し立てる姿を思い浮かべようとして、想像もつかないので諦めた。

 

 僕は人を好きになったことがない。相手から「好きだ」と言われて付き合ったことは多々あるし、その相手は年齢、国籍、男女問わず。でも、一ヶ月もった試しがない。大体フラれて、その次に自然消滅。そして稀に、僕や僕の周りの人に危害を加えるようになってしまって、僕からお別れをする。


「僕は本物の愛に出会ったことがない不幸を嘆くべきなのか、これから本物の恋に落ちることを楽しみにできる幸せを喜ぶべきなのか」

「まずは自分の沸いてる頭を悲しむべきじゃないすか?」

 

 本当に彼女は手厳しい。

 こうやって定期的に僕のところへやってきては、いかに友達が僕のことを好きなのかということと、そんな友達のことを微塵も興味がないのなら、振って諦めさせてほしいということを、僕とその友達のことをたくさん貶めながらお願いしてくるのだった。

 まあ、僕のことは貶めるというより、考え方が変だとか一般的でないとかおかしいとかイカれてれるとか、そういう指摘が多く、それは僕を思ってのことなのだから、有難い話なのかもしれない。

 

 僕のことを変だと言うのは彼女だけではないのだが、何が変なのかということを教えてくれる人は少なく、また説明されても僕には理解ができないことが多かった。対して、彼女の説明は妙に納得がいくというか、僕にも理解できる範疇のことが多かった。

 それでも理解できないこともあるわけだが。


「先輩は、自分に対する好きが強いせいか、誰かを好きになるということに夢見すぎてる節がありますよね」

「そうなのかなあ」

「……あいつのご高説病が感染うつったかな」

 

 さっぱり僕には理解できない独り言を呟いた彼女は、僕の目を真っ直ぐ見ながら話し始めた。


「人を好きになるなんて、そんな高尚な感情じゃないと思うんですよね。例えばそう、ちょっと他の人より気に入っているところがあるとか、自分と他人を同じように扱ってほしくないとか。まあ特別視してほしいっていうんですかね。この人には、他の人よりも注目して自分を見てほしい、みたいな」

「……君にも、そういう対象はいるのかい?」

 

 ふと浮かんだ疑問をそのまま口にして、少し後悔した。そして、彼女が自分の問いを否定することを願った。


「ええ。います。だからこうやっておかしな先輩に定期的に絡みに来てるわけですよ」

「その返答からは、僕のことを特別視しているように聞こえるよ」

 

 なんだか自分が焦っているような居心地の悪さに、食い気味に質問をぶつけた。今度は肯定されることを祈って。


「そりゃあ、まあ。特別視はしてますよ、なんせ特別視している人間の特別な相手なわけですから」

「君は僕じゃなくて、僕を好きなお友達を愛してるということなのかな」

「……さあ、どうでしょうね?」


 人を好きになったことのないアンタには、説明したってわからないんじゃないですか。

 

 小馬鹿にした言い方で彼女は嘲笑った。

 僕は無性に腹が立って、でもそれを言語化することができなかった。


「じゃあ、僕があの子のこと好きになったら、君は困るんじゃないのか」

「ムカつきますけど、まあ悪友の恋が実るなら嬉しいんじゃないですか?」

「だったら僕があの子のことを嫌いになったら、困るのか」

「失恋すんのは気の毒ですけど、漸く変人なアンタを諦めてくれるなら万々歳ですね」

 

 じゃあ、どうしたら君は困るのかな。

 

 どうしてそんなことを口走ったのか、よくわからないが、とにかく彼女を困らせたくて仕方なくなった。

 これが、特別視するということなのか。


「せいぜい、その変哲な頭でお考えあそばせ」

 

 吐き捨てるようにそう言って、去っていく彼女の背中を見詰めていたら、僕の中で何かが決壊したように鼓動を早めた。確かに僕は好きになるということに夢を見ていたのかもしれない。

 困らせたくて仕方ないなんて、こんなに暗く黒くどろどろとした気持ちが、果たして好きになるということなのか、まだわからないが。

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恋の戦争 石衣くもん @sekikumon

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