マジカル漢字アドベンチャー!
ななくさ ゆう
マジカル漢字アドベンチャー!
ある日イサムが目を覚ますと、目の前に見知らぬ少女がいた。
おそらく年齢は小学6年生のイサムと同じくらいだろう。
彼女はイサムに話しかけてきた。
「ベリジャリガルオクレ……」
なにやら真剣そうな顔をしているのだが……
イサムは一言。
「いや、わかんねーし」
それはそうである。
日本語すら怪しいイサムだ。いきなり外国語(しかもたぶん英語でもない)で話しかけられても分かるわけがない。
(っていうか、ここはどこだ?)
とりあえず、周囲を見回してみた。
結果は見知らぬ場所としかいいようがない。
少なくとも昨夜横になった自宅のベッドの上じゃない。
(わらの家?)
『三匹の子豚』の絵本なら、最初にオオカミに一息で吹き飛ばされそうなみすぼらしい小屋だ。
しかも床は土が丸出しだった。
(慌てるな。わけが分からないときは状況確認が大切だ)
イサムは自分自身にそう言い聞かせ、まずは自分が何者かを思い出してみた。
本名は
昨日の夜はテレビを見て、夕飯を食べて、宿題はサボって、スマホでゲームしながら眠った。
(よし、ちゃんと覚えている。ここまでは問題ない)
イサムはそう判断した。
毎回漢字テストが0点とか、宿題をサボってスマホゲームとか、それはそれで小学生として色々大問題なのだがそこはまるっと無視しておく。
(で、ここはどこだ? この女の子は誰だ?)
眠っている間にこんな見知らぬ場所に移動しているとはどういうことだろうか?
(誘拐……じゃないよな?)
イサムは両親と弟との4人暮らしだ。
家族を起こすこともなく部屋に侵入して、イサムを誘拐するなんて現実的とは思えない。
ならば考えられるのは……
(なーんだ、夢か)
イサムはあっさりそう判断してお気楽な気分になった。
ようするに、彼の頭は単純にできているのだ。またの名をオバカ少年ともいう。
だがそんなイサムの考えなどしらない少女が、いきなりB5サイズくらいの紙をイサムの顔面に貼り付けた。
「なっ? 何をするんだよ?」
イサムの抗議を無視して、少女がもう一度話しかけてきた。
「あなたは日本人ですか?」
「そうだよ。っていうか、日本語をしゃべれるのかよ」
「いいえ、【翻訳】の『漢字魔法』の紙を貼らせていただきました」
「はぁ?」
(意味がわかんねー。『漢字魔法』って何だよ?)
とりあえず顔面に貼り付けられた紙をはがそうとするイサム。
少女が慌ててイサムを止めようとした。
「あ、だめです、それをはがしちゃ……ムゲイオラッヨペルーナ」
紙を剥がしたら意味不明の言語に逆戻りだ。
(なんだよ、コイツ? ふざけているのか? いや……)
イサムははがした紙をあらためて見てみた。
そこには大きな文字で【翻訳】と書かれていた。
(漢字? これ、なんて読むんだっけ? たしか後ろの文字はこの前習ったような……えーっと、えーっと……)
イサムは考えて考えて……思い出せ……なかった。
(漢字は思い出せないけど、この紙を貼られたらこの女の子が日本語を話し出して、はがしたら聞いたことがない言葉に戻ったよな?)
まさかと思うが、この紙を貼っているとこの子の言葉が分かるのだろうか。
イサムは試しにもう一度紙を自分の顔面に貼ってみた。
すると……
「大丈夫ですか? わたしの言葉が分かりますか?」
再び少女の言葉が理解できるようになった。
「これをオレの顔に貼ると、キミが日本語を話せるようになるのか?」
「いえ、そうではなく【翻訳】の漢字魔法です」
(ホンヤク? なんだそれ? そういえば、ドラえもんに『ほんやくコンニャク』とかいう道具があったような……)
食べると外国語が分かるようになる不思議アイテムだ。
そこまで考えて思い出す。
(そうだ、【翻訳】って『ほんやく』と読むんじゃなかったっけ?)
だが、こんな紙切れ1つで言葉が分かるようになるなんてことがあるのだろうか。
イサムが首を捻っていると、少女がいきなり土下座した。
「お願いします。日本人様! 漢字を書いてこの村を飢饉から救ってください!!」
(この女の子は何を言っているんだ?)
言葉が翻訳されても、何を言われているのかは全く分からない。
「ゴメン、話が全然分からないんだけど……まず、君って誰?」
「わたしはミサリー。この村の巫女です」
「そう。オレはイサムね。フルネームは米谷勇っていうんだけど」
「分かりました。イサムさんですね」
「えーっと、巫女ってことはここって神社?」
「神に仕える場所という意味ならその通りです」
(どうみてもボロい藁の家にしか見えないけど……)
と、そのセリフはさすがに心の中にしまっておくことにした。
イサムにも、人の家をいきなりボロ呼ばわりしてはいけないという常識くらいはあるのだ。
「で、ここはどこなの?」
「アベンの村です。イサムさんからみれば『異世界の村』ですね」
「なるほど異世界ね……って、 異世界!?」
イサムは目をぱちくりした。
異世界という言葉の意味は分かる。もちろん漢字は書けないが。
「異世界って言うと、勇者とか魔王とかモンスターとかがいたりする?」
「それは分かりませんけど……」
「じゃあ、剣と魔法の世界とか?」
「わたしは剣術はちょっと……でも、魔法なら使えます」
「マジで?」
魔法が使える。
そう聞くといろんなことを棚上げして、イサムはわくわくしてしまった。
「ええ、巫女ですから。でも私は漢字をほとんど書けなくて……」
「いや、漢字と魔法に何の関係があるんだ?」
「だって『漢字魔法』を使うには漢字が必要でしょう?」
「だから『漢字魔法』ってなんだよ?」
「日本人は漢字を使いこなす種族じゃないんですか?」
「漢字は使うけど、魔法は使えないよ」
「ええええ!? どういうことですか?」
どうにも話がかみ合わない。
「なあ、その『漢字魔法』っていうのを使ってみてくれよ。そうすれば少しは話が進むんじゃないか?」
イサムが提案すると、ミサリーもうなずいてくれた。
「たしかにそうかもしれませんね」
ミサリーは近くにあった箱から一枚の紙を取り出した。
そこには【水】という漢字が書かれていた。
さすがにこれならイサムでも読める。
その紙を持ったまま、ミサリーは呪文のようなものを唱えだした
「漢字の神よ、我が魔力と引き換えに
するとどうだろう。
【水】と書かれた紙が青く発光し、サッカーボールくらいの水の球が紙から飛び出した。
水はそのまま落下して地面にしみこんだ。
「今のって手品……じゃないよな?」
「もちろんです。日本人は漢字を使うのでしょう? それならなぜ『漢字魔法』に驚くのですか?」
「いや、だって、漢字ってただの文字だし」
イサムの言葉にミサリーが目を見開いた。
「え!?」
「ええ!?」
ミサリーの反応に、むしろイサムが驚いてしまった。
「日本人にとって漢字はただの文字……なんですか?」
「こっちじゃ違うのか?」
「私たちの世界では、漢字は神話の時代に神から与えられた魔法の図形といわれています」
「いや、漢字が図形って……どう見ても文字じゃん」
「では日本では『漢字魔法』は使われていないと……?」
「うん、まあそうだな。その紙に書かれている漢字が『みず』って読むのは分かるけど」
「な、なるほど……」
ミサリーは深刻な表情で首を捻った。
「では、イサムさんの顔に貼られている紙に書かれた漢字は読めましたか?」
「たぶん、『ほんやく』かな? あんまり自信がないけど」
「ではこちらは?」
ミサリーは【火】という漢字が書かれた紙を取り出して、イサムに見せた。
「わかるぞ。『ひ』だろ? ひょっとすると、それも【水】みたいに火を出せるのか?」
「ええ、その通りです。火事になりかねないので家の中では使いませんが」
「他にはこちらも……」
そう言ってミサリーが見せた紙には【石】と書かれていた。
「それって『いし』だよな?」
「はい」
ミサリーが【石】の紙を掲げて呪文を唱えると、石が5個ほど現れて床に散らばった。
「へー、便利だなぁ。漢字だけで魔法が使えちゃうなんて」
「いえ、漢字魔法を使うには魔力が必要で、この村にいる魔力を持った人間は私だけです」
「ふーん、ミサリーは魔法使いってこと?」
「その通りです。でも、私が知っている漢字はこの【水】と【火】と【石】くらいで……」
「じゃあ【翻訳】は?」
「それは数年前に亡くなったおじいちゃんが遺してくれた漢字です。おじいちゃんは古文書に精通していて……とてもわたしにはそんな複雑な漢字は書けません」
イサムは「うんうん」と納得した。
「たしかに漢字は難しいもんなぁ」
「イサムさんを呼び出した漢字も、おじいちゃんが遺してくれたモノです」
そういって、ミサリーが見せてくれた紙には【日本人召喚】と書かれていた。
「後ろの二文字はなんと読むのかも分からないのですが、これで日本人をこの世界に呼び出すことができるはずだとおじいちゃんは言っていました」
「なるほどなるほど」
うなずくイサムだが、彼も【召喚】は読めていない。正しくは『しょうかん』と読むのだが。
『漢字魔法』の説明を終えたミサリーは、もう一度イサムに頭を下げた。
「あらためてお願いします。イサムさん、漢字を書いてこの村を飢饉から救ってください!」
「そう言われてもなぁ」
「ダメでしょうか?」
「いや、ダメっていうかさ……」
(困ったなぁ)
期待にはこたえたいが、できることとできないことがある。
「オレ、漢字って苦手なんだよ」
「え?」
「ひらがななら書けるけどそれじゃダメ?」
「ひらがな?」
「あ、カタカナも書けるな、うん」
「……カタカナ……」
イサムが言ううちに、ミサリーの顔に失望感が浮かんでいく。
「そんな顔しないでくれよ……」
イサムはなんだか申し訳ない気分になってしまった。
「そもそも、なんでオレなんかを呼び出したんだよ。漢字が得意な日本人なんて他にいくらでもいるだろうに」
「それはそうかもしれませんが、この【日本人召喚】の『漢字魔法』では日本人の中の誰を呼び出すかまでは指定できないんです」
「そんないい加減な」
「日本人なら誰でも漢字を書けると思っていました」
「そうはいうけど、日本人の赤ちゃんを呼び出した可能性もあったんじゃ……?」
「あっ……」
どうやらその可能性は考えてもいなかったらしい。
「それに自動車を運転中の人を呼び出したら向こうの世界で大事故になりそうだし」
「自動車っていうのはよく分かりませんけど……たしかに馬車の御者を呼び出していたら危険だったかも……」
「オレだってサッカーの試合中にいきなり呼び出されたら困るぜ」
他にもこちらの世界に存在しない感染症にかかった人や、人工呼吸器を外したら危険な重病人が呼び出された可能性もあっただろう。
健康優良児のイサムが呼び出されたのは、まだしも幸いだったのかもしれない。
「……すみません」
「そんなわけでさぁ、オレはたしかに日本人だけど、漢字テストは毎回0点なんだよ。さすがに【水】や【火】なら書けるけどさぁ……」
「他の漢字は書けませんか?」
「1つも書けないとは言わないけど……何ていう漢字を書いてほしいんだ?」
「書いてほしいのは『むぎ』です。この村にはもう食べ物がないんです」
「なるほど」
「『パン』って漢字でもいいんですけど」
「いや、『パン』に漢字はないだろ」
イサムは本気でそう思っているが、実際には『パン』にも【麺麭】とか【麵麭】とか【麪包】などという漢字がある。
もちろん、漢字テスト0点のイサムに書けるわけもないが。
「うーん、『むぎ』ね……『むぎ』の漢字かぁ……」
イサムは思い出そうとした。
だが……
(えーっと、たしか上の方に何本か横線があったような……」
とりあえず、地面に横棒を3本書いてみた。
「それが『むぎ』の漢字ですか?」
「いや、ちがうけど……」
これじゃあ【三】である。
(下の方は……ダメだ、全然思い出せない!!!)
ちなみに正解は【麦】である。
上の方は惜しい……かもしれない。
「ごめん、やっぱり無理かも……思い出せないや)
ミサリーはがっくりと肩を落とした。
ふと思い立ち、イサムはミサリーに聞いてみた。
「なあ、小屋の外に出てみてもいいか?」
ここが本当に異世界だというなら、外にどんな光景が広がっているのか興味があったのだ。
「外に出たら思い出せるんですか?」
「うーん……気分転換すれば思い出せるかも?」
気分転換。それはイサムのような小学生にとっては、勉強を放り投げて遊ぶためのイイワケである。
ミサリーも疑り深い目でイサムを見た。
「本当ですか?」
「ま、まぁな、ハハハ」
ここで悶々と漢字を思い出そうとしていてもしかたがない。
ミサリーに案内されて、イサムはわらの家から外に出た。
(ふーん、田舎だなぁ)
異世界というからにはもっと珍しい物があるかと思ったのだが、そこに広がっていたのは、ただの田舎の風景だ。
わらの小屋が10件ほどあるだけ。
村の周囲は麦畑のようだが、ほとんどが枯れてしまっていた。
「今年は冷害と日照不足で麦がほとんど育っていません」
「ふーん。それで『漢字魔法』で『むぎ』を作ろうってことか」
「はい。そうしなければこの村は今年の冬には……」
そこまでミサリーが言ったときだった。
村の人々がミサリーとイサムに気がつき集まってきた。
そのうちの1人――杖をついた老婆が言った。
「おお、巫女様。その
「はい、その通りです」
「ああ、黒い髪に黒い瞳……まさに伝承にある日本人様。これで村は救われる……」
老婆はその場でイサムに向かって土下座してしまった。
さらに、子ども達が騒ぎ出した。
「えー、コイツが日本人なのか? オイラよりガキじゃん」
「でも、麦をだせるんでしょう?」
「こんなヤツに漢字が書けるのか?」
「巫女様、魔法を失敗したんじゃね?」
口々に言う子ども達を、老婆が叱りつけた。
「巫女様と日本人様になんと無礼な。お前たちも土下座せんか」
子ども達は渋々土下座した。
他の村人達もイサムとミサリーに土下座する。
まるで、時代劇のお殿様にでもなったかのようだ。。
「やめてくれよ! オレなんてただの小学生なんだからさっ」
イサムは助けを求めてミサリーを見た。
「なあ、どうにかしてくれよ」
「村の人たちは、これほどまでに日本人を待っていたんです」
「なんでそこまで……」
「あの子達を見てください」
ミサリーは親に頭を押さえつけられて土下座している子ども達を指さした。
「どう思います?」
「どうって、痩せているなぁとは思うけど」
「その通りです。このままなら、彼らの半分はこの冬を越せないかもしれません」
その言葉に、イサムはギョッとなった。
「え? それって……飢え死にするかもってこと?」
ミサリーは深刻な表情でうなずいた。
「マジかよ?」
子供たちの中にはイサムの弟と同じ年ごろの子もいた。
それよりも幼い子も。
あるいは母親に抱かれた赤ん坊も。
あらためて観察すると、みんなが栄養失調状態に見えてきた。
「子どもたちだけじゃありません。大人だって……」
大人達も子供たちと同じく痩せ細っていた。
イサムはぐっと両手を握りしめた。
そして、ミサリーに言った。
「戻ろう」
「え?」
「もっと真剣に漢字を思い出してみるよ」
イサムは小屋の中心であぐらをかいて座り、必死に『むぎ』の漢字を思い出そうとした。
指でもう一度地面に3本の横線を引いてみた。
(そうだ、確か横線だけじゃなくて縦線もあったはずだ)
【麦】の上半分はなんとか書けた。
だが……
(ちくしょう、ダメだ!)
どうしても下半分が思い出せない!!
イサムは左手を握りしめ、地面にたたきつけた。
手の皮膚が少しすりむけた。
「ちくしょう、どうしても思い出せない!」
(なんでオレはもっと真面目に漢字の勉強をしなかったんだよ!)
ガン、ガン、ガンッ!
イサムはなんども地面に拳をたたきつけた。
「やめてください、イサムさん!」
ミサリーがイサムの腕を握って止めた。
「ごめんミサリー。さっきまでオレは何も分かっていなかった。飢饉なんていうけど、ミサリーはけっこう元気そうだし……まさか村の人たちが、あそこまで大変だなんて思わなかったんだ」
涙が出てくる。
(オレが『むぎ』を漢字で書ければ、あの子たちは死なずにすむのに!)
「私は優先的に食べ物をいただいています。心苦しいことですが、魔法を使うためには栄養をとることが必要で……特に日本人を呼び出すには大量の魔力が必要だったんです」
自分たちが飢えてもアベンの村の人々はミサリーに残った麦を与えた。それほどに、呼び出される日本人に期待していたのだ。
「なあ、ミサリー。もう一度日本人を呼ぶことはできないのか?」
イサムよりも漢字に強い日本人はいくらでもいる。
だが、ミサリーは首を横にふった。
「異世界転移には【水】を呼び出すのとは桁違いの魔力が必要です。私に残った魔力ではあと1回が限度。魔力を回復には半年はかかります」
「だったらもう1人だけでも日本人を呼んで……」
「ダメなんです。たしかにもう1人日本人を呼ぶことはできるでしょうが、イサムさんもその人も半年間日本に帰れなくなります」
「だったら、半年待ったって……」
「それも考えましたが、さっきイサムさんがおっしゃったとおりです。次は日本人の赤ちゃんを呼び出してしまうかもしれません。そうなれば、食料がないこの村ではその赤ちゃんも冬を越せないかもしれません」
たしかにその通りだ。
赤ちゃんじゃなくても、半年も帰れないと分かっていながら異世界に呼び出すなんて、さすがにできない。
そんなの世界を股にかけた壮大な誘拐だ。
「それじゃあ、どうしたらいいんだよ!? オレのせいでみんなが死んじゃうなんて……」
「イサムさんのせいではありません。イサムさんは単に巻き込まれただけ。むしろ申し訳なく思っています」
「だけど……」
(くそっ、なんでオレなんかが呼ばれたんだ。コタローだったら簡単に村を救えただろうに)
コタローとはイサムの友人だ。運動はできないが漢字テストは毎回満点。
先日、漢字検定3級に合格したと言っていた。
(コタローなら『むぎ』だけじゃなくて。いろんな食いもんの漢字が書けるはずだ。アイツが呼ばれていれば……)
と、そこまで考えてイサムはハッとなった。
(『むぎ』だけじゃなくいろんな食いもん……? そうだよ、その手があるじゃん!)
イサムはミサリーに言った。
「ミサリー。やっぱりオレは『むぎ』の漢字を思い出せねーよ」
ミサリーはうつむいた。
「そうですか……いえ、イサムさんは気になさらないでください。これは私たちの問題ですから……」
「でも、別の漢字なら書ける」
「別の漢字?」
「ああ、紙と筆を貸してくれ」
ミサリーによれば、『漢字魔法』を使うためには地面ではなく紙に筆で書かないといけないらしい。
ミサリーが紙とインクと筆を用意してくれた。
「この村には紙があと3枚しかありません」
「わかった」
イサムはうなずいた。
漢字テストだけでなく習字も苦手だ。
【翻訳】なんてお手本があっても、筆とインクで書き上げる自信はない。
(でも、あの漢字なら書ける)
そこまで複雑じゃないし、習字の授業のたびに毎回必ず書いてきた字だ。
イサムはふぅっと息を吐いて、筆を手に取りインクを付けた。
そしてゆっくりとその漢字を書き始めた。
書く漢字はイサムの名字の最初の一文字。
すなわち、米谷の【米】だ。
イサムが【米】と書いた紙にミサリーが魔力を込めると、米が次々に出現した。
(やっぱりオレってバカだよなぁ。こんな簡単なことにも気がつかないなんて)
『むぎ』の漢字を書いてくれと言われて、そればかりを考えてしまっていた。
しかし、お腹をすかした村人を救うならば、【麦】ではなく【米】でも良かったのだ。
「イサムさん、これってなんですか? 麦に似ているようにも見えますが」
「米だよ。ご飯。ライス、オレたち日本人が大好きな食いもんだよ。オレはパンよりもこっちの方が好きだぜ」
その後、イサムは米を炊く方法をミサリーに教えた。
といっても、電子ジャーなんてない。
校外学習で飯ごう炊さんをしたことはあったが、水加減なんて分からない。
だから、できあがったのはご飯というよりもおかゆだった。
それでも、飢饉に苦しむ村人達の命を救うには十分だった。
おかゆを配ると、村人達がむせび泣きながらイサムに感謝してくれた。
「日本人様、ありがとうございます」
「これで村は救われます」
「ありがとう、にいちゃん。めっちゃ
「ああ、暖かい……」
「さすがは日本人様」
「子どもなのに漢字を自在に書けるとは……」
まるで神様扱いだ。
「い、いやぁ、それほどでもないさ、はっはっはっは」
ミサリーも【米】と書かれた紙を持ってイサムに言った。
「この【米】という漢字は村の宝です。子々孫々伝えていきます」
「ああ、そうしてくれ、ところで、オレは日本に帰れるんだよな?」
ここはいい村だと思うが、さすがに両親や弟や学校の友達を放り出して、このまま異世界で暮らすわけにもいかない。
「はい、もちろんです。おじいちゃんが遺してくれた最後の『漢字』があります」
ミサリーが取り出した紙には【日本帰還】と書かれていた。
「この漢字でイサムさんを日本に戻せるはずです」
「へー」
イサムは漢字をじっくり眺めた。
【日本】はさすがに読める。【帰】は『帰る』という意味の漢字だったはずだ。
【還】は……
(やっぱり読めねーや)
本当に正しい漢字なのだろうか。
会ったこともないミサリーの祖父だが、【日本人召喚】と【翻訳】は正しい漢字だった。
ならばこの【日本帰還】も正しいと信じるしかない。
「わかった。それじゃあよろしく頼むよ」
「はい!」
「ミサリー、あんまり役にたてなくてゴメンな」
「いいえ。イサムさんのおかげで村は救われました。どうお礼を言ったらいいのかも分かりません」
2人は手をつなぎ、別れの挨拶を交わした。
それから、イサムはミサリーに【日本帰還】の漢字魔法を使ってもらった。
そして……
目を開けると、イサムは自宅のベッドに横たわっていた。
(全部夢だった……?)
だが、すぐに自分の顔に紙が貼られていることに気がついた。
その紙を剥がしてみると、【翻訳】という漢字が書かれていた。
(夢じゃねーか)
イサムは立ち上がって大きくのびをした。
それからふと本棚から国語辞典と漢字辞典を取り出した。
(辞書なんて授業以外で使うの初めてだなぁ)
そう思いながらも、まずは『むぎ』を調べて見た。
(へー、【麦】って書くんだ。それに、大麦と小麦なんて種類があるんだな)
さらに【召喚】と【帰還】の読みを調べてみた。
こっちはちょっと苦労したが、なんとか見つかった。
(ふーん『しょうかん』と『きかん』か)
(少し漢字の勉強もするか。またいつ異世界に【召喚】されるかもしれないしな)
最初の目標は【麦】をスラスラと書けるようになることだ。
マジカル漢字アドベンチャー! ななくさ ゆう @nanakusa-yuuya
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