第5話 加賀の二代目

 前田利家が草津へ経った慶長三年の四月末、朝鮮半島から戻った藤堂高虎が、有馬刑部卿法印則頼の屋敷へやって来た。巨人は、三月十八日付の朱印状により長宗我部元親・来島通総・生駒一正・脇坂安治等と共に帰国を命じられていたのだが、領国にも伏見の自邸にすら立ち寄らず、敬愛する摂津出身の小大名の屋敷を目指したのであった。

「ささ、早う入らんか」

 屋敷の主人が己の何倍も大きな体躯を招き入れると、既に西笑承兌が控えていた。承兌は「太閤御噺衆」や「出頭ノ衆」にも数えられる相国寺の傑僧である。大仏建立供養の導師を務め、明皇帝の冊封文書を読み上げるなど、天下人からの信頼も厚い。文禄三年には秀吉や家康から寄進を受け、伏見に光明寺を再興した。最近は徳川家への出入りも多く、秀吉・家康双方の「相伴衆」として私的な取次を担う事も多くなっている。

「大納言が草津に出立されたそうな。そればかりかご隠居なされるとの噂も」

 挨拶もそこそこに、高虎は博多から伏見への道中で掴んだ情報を披露した。

「肥前様が従三位権中納言に任ぜられる事となりました。いよいよ前田家も代変わりで御座いますな」

 ゆっくりとした口調で承兌が答えた。傑僧は、世間では意外と少ないと噂されている利家の隠居料についても説明した。

「あの御方が後を継ぐというのも、今ひとつ想像出来ませんが」

 承兌の言葉は、そのまま世間の評価と言って良かった。加賀前田家は良くも悪くも利家色が強い。いや、利家そのものと言っても過言ではない。嫡男の利長は文禄四年に中将、そして慶長二年九月には参議に昇進し既に公家成しているものの、世人からは変わらず「肥前殿」と呼ばれ続けていた。人望のある先代と比べて、没個性な印象がある利長の器量は果たしてどうなのか。

「内府様は大納言の留任を強く望んでいるようです」

 承兌は、先日前田家で披露した家康の言葉を説明した。

 情報は徳川家康の側近で、巨人と同じ受領名を持つ本多正信からのものであった。座高が極端に低く、家中の者から「蓋のよう」と揶揄される男である。天正壬午の動乱以降、急速に地位を高めた。鷹匠上がりとも噂されているが、その経歴は彼の栄達を妬む大久保某のでっち上げであり、事実ではない。

「内府がそのように……」

 摂津出身の小領主は、言葉の真意を掴み損ねた。そのまま受け取るならば、家康が利家の隠居を望んでいないという意味になる。近頃は太閤秀吉の体調が思わしくない上、ここで更に利家まで欠くとなれば家康にかかる政務負担は膨大なものとなるだろう。慰留するのも当然と言えば当然であった。

「しかし内府様の本意は別のところにあるようです」

「別のところ」

「肥前様は、何と言いましょうか……」

 刑部卿法印則頼は傑僧の言葉を待った。だが、鷹匠上がりという不本意な噂をされる男から仕入れた情報は、ひどく曖昧なものだった。

「気色が悪いと」

「気色悪い、とはまた」則頼は首を傾げた。

「出来ればこのまま大納言に留まってもらった方が何かとやりやすい、そういう意味のようです」

 そう言って承兌もまた首を傾げた。


 二人のやり取りを聞いていた高虎は、何故か唐突に、長岡越中守忠興から聞いた話を思い出した。

 天正年間の終りの頃だという。ある日、蒲生飛騨守氏郷は、忠興・利長・高山右近・上田宗箇・戸田勝成・金森長近を招き雁鍋を振舞った。座は大いに盛り上がり下手糞な謡と舞にも飽きたところで、氏郷が愛情を込めて「お狂い人」と呼ぶ忠興が、一つの座興を持ち出した。


――もし関白秀吉が亡くなり再び天下が乱れたならば、次の天下人は誰か


 即答したのは食事中でも鯰尾の兜を外さない飛騨守氏郷だった。

「あやつの親父殿に決まっておろう」

 氏郷が顎で指したその先には、瓜の塩漬けを黙って口に運ぶ男がいた。

「もし家康が上方に攻め上がろうとも、この氏郷が裾に喰らいつき、決して箱根を越えさせない」

 鯰尾の武将は鼻息を荒くした。

 酒宴というのは大抵こうしたもので、大言壮語の応酬となる。ある者は架空の武勇伝を披露し、またある者は拾った業物を自慢した。中には忠興の様に誰彼つかまえて殴りかかる者もいたが、大抵の場合、酔っぱらいの所業として大目に見られていた。

 この日も天下取りの話題で、座は大いに盛り上がっていた。

もともと前田利長と蒲生氏郷は織田信長の近習時代から縁がある。共に信長の娘を娶り、茶人・千宗易の高弟という共通項もあった。二人は気質も似ていた。戦場での氏郷しか知らないある者は、彼を「滾りきった輩」と評したがそれは大きな間違いで、鯰尾の武人は寧ろ温厚で気の長い男だった。高山右近の言葉を借りるなら、

「越中は天下一気の短き御仁、飛もじ様は長き人也」

という事か。「飛もじ様」というのは利休が好んで使った氏郷の呼び方で、偉大な茶人の死後も利長達の間で引き継がれていた。

 天下が羽柴秀吉に移っても二人の連帯意識は変わらなかった。氏郷が、酒の席で利長の父親を仮想天下人に仕立て上げるのも、無理からぬ話だろう。


「その話なら誰でも知っておるぞ。その後『前田殿が亡くなったらその次は誰が』という展開になった筈じゃ」

 則頼の言葉を受け、そうそう、と承兌が膝を叩いた。

「そいで確か飛騨は『自分だ』と言ったとかなんとか」

 則頼は大きく笑った。

「そうですが」

則頼の話を遮ろうとしたは彼を敬愛する巨人であった。

「越中に、口止めされていたので黙っていましたが……」

 そう言って高虎は、越中守忠興から聞いたという後日談を語りだした。

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関ヶ原 @takinogawa

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