元嫁からの手紙・後日談





 一週間の出産入院を終えて、紬は自宅に戻って来た。

 その腕には息子の翔がいる。代わりに俺は入院中に使った衣服や雑貨をすべて持っている。

 帰ってみれば、ポストには郵便物が溜まっていた。

 しまったな。入院している紬の世話や、望愛のことばかりでこっちまで気が回っていなかった。

 俺は改めて届いた郵便物を確認していく。

 すると、また手紙があった。

 元嫁である、ここあからだ。そういや、先週は病院に急いでいたせいで捨てたんだっけか。

 つーか「んほぉメール」とかやっといてよく送れたな。

 俺はとりあえず紬が休めるように室内を整え、ベビーベッドに息子の翔を寝かせ、その他もろもろの片付けを終えてから手紙を開けた。


【拝啓・春乃宮満重様。

 神聖ここあ帝国が樹立して三年が経ち、建国祭もつつがなく終了しました。

 建国祭では皆飲めや歌えやの大騒ぎ。

 名物のタッコ・ヤーキやチョコバナーヌ、肉の棒(フランクフルトみたいな魔獣肉料理)が大人気。

 我が民たちの笑顔を見ていると心が温まる思いです】


 俺が読まなかった一通の手紙の間に何があった!?

 

【かつての紅蓮魔城ダイングライフも、今やプリンセスキャッスル・センテンススプリングと名を変えました。

 まるで春を思わせる宮殿です。

 いつか二人でお城めぐりが出来るといいですね】


 お前ネーミングセンス最悪だな。

 そういや異世界って時間の流れがおかしいのか? 向こうではもう三年経ってるって。


【神聖ここあ帝国は魔力を動力とした魔道具で栄える国です。

 私の知識で再現した冷蔵庫や街灯などは国民にとても喜ばれています。

 それに義務教育や社会福祉にも力を入れているんですよ】


 意外とちゃんと為政者やってやがる……。


【なお魔道具を動かす魔力は、大型魔力炉フティウ・ワーキによって賄われています。

 生かさず殺さ……間違えました。うまく魔力を搾り取って、国の運営に役立てています】


 フティウ・ワーキ!? 紅蓮魔王フティウ・ワーキさんが大変なことに!?

 あいつ魔王を動力炉にしやがったな!?

 俺、あの人? あの魔王のこと応援してたのに!


【今の私にはお金があります。地位もあります。尊敬されて、皆が私を褒めてくれます。

 なのに、どうしてかな……心が満たされないんです。

 ふふ、どうしてなんて、分かり切ってるのに。

 隣に、あなたがいない。

 それだけでこんなに世界は色褪せて見えるんですね】


 お前勇者チャッラとも戦士ネトゴリーともヤッてたよな?

 よくもまあそんなこと言えたなオイ。


【異世界ネトランドでは桜の花は咲きません。

 だから遠い景色にあの淡いピンクと、あなたと過ごした日々を思い浮かべては強襲に浸るのです】


 郷愁な。

 こいつちょくちょく大事なところで誤字るんだよ。


【そんな日はバックス王子とバックでします。ネトゴリーを超える巨漢なので、ロリエルフのまま歳をとっていない私とは物凄い体格差。

 抱えられてがくがく後ろから突かれて小っちゃい私の身体がゆさゆさ揺さぶられます。

 頭の中は大体ピンクです】


 復縁要請メールで性事情赤裸々に語んな。復縁する気ないけど腹立つ。

 こいつ本気で俺を舐めてんな。

 ただ、自分のことはようやく理解できたみたいでなによりだ。


【これは浮気ではありません。

 ただ、異世界で寂しい心を慰めるためのモノ。

 心はいつだってあなたと共にあります】

 

 まあ浮気ではないよね。

 俺にとって妻は紬だけだし、君は既に他人だから。

 どうぞ好きにビッチライフを過ごしてください。


【あなたに、会いたい。

 また桜を見たい。

 どれだけ他の男に抱かれても、思い出すのはあなたの笑顔ばかり。

 離れてもきっとどこかで繋がっていると、そう思っていた。

 でも私達の愛も異世界の壁に阻まれて、通じ合うことができない。

 寂しいの……。

 あなたの優しい腕に包まれて星の夜を眠れたなら、きっと心が満たされるのに】


 異世界の壁の前に、色んなものに阻まれ切ってて愛なんて欠片も残ってませんが。


【ねえ、私の王子様。

 このバルコニーから手を差し伸べて、私を自由な世界に連れ出して?】


 いや十分自由にやってると思うけど。

 

【もう嫌なんです。毎日毎仕事仕事政治に政治に性事、お金があったって城下に降りられる機会なんて限られてるし。私が望んだのはこんな生活じゃなかった。ここではセックスだって仕事のうち。お世継ぎを早くなんて言われるんです。バックスなんてブッサイクで大きさくらいしか取り柄がないのに血筋がいいからって私の旦那になりました】


 あぁ、結局お前は日常に不満を抱いたら全部放り出して逃げる道を選ぶのな?

 あと性事も混じってんじゃねえか。

 そんな時に娘の望愛がやってきた。


「パパー、オレンジジュース飲むー?」

「おー、もらうー」

「えへへ、実はね。これ、私がしぼった百パーセントオレンジジュースなの! ママにもえーよー? とってもらおうと思って」

「え、すごいなぁ望愛。いい子いい子」

「わぁい」


 頭を撫でるとすごく嬉しそうに笑う。

 まあ、ここあに共感する訳ではないが、国のお偉いさんってのも窮屈そうだ。

 俺は紬と望愛と翔がいて、日々の小さな幸せさえあればそれでいい。

 ……あいつはそういうものを大切に出来なかった。俺と過ごしたささやかな思い出よりも、浮気相手の与えてくれる刺激的な快楽に縋った。

 その時点で破綻は約束されていたのだろう。


【ああ、桜の花が見たい。

 あなたと一緒に。

 というかタッコ・ヤーキとか言ってるけど中身クラーケンなんだよ。

 くそが、ジャンクな味が食べたいんだ私は】


 手紙はまだ続いている。

 一応最後まで読もうかな、そう思ったタイミングでインターホンが鳴った。

 出産したばかりの嫁を無理させるわけにはいかない。

 俺はすぐに玄関に出て対応する。


「はーい、どなたですか?」

「ああ、春乃宮満重様ですか?」


 俺は驚きを隠せなかった。

 だって、あまりにも予想外な人物が普通に家を訪ねてきたのだから。


「初めまして満重様。私はオフィーリア・ソル・セレインと申します」


 そこには、滅茶苦茶に飛び抜けた美少女。

 貧乳で金髪でほわほわなロリっ子聖女がおられました。


「え? オフィーリアって、前、手紙をくれた?」

「はい。異世界ネトランドにおける聖女とは“異界を繋げる者”。ココアを呼び出したのも、今迄手紙を送り届けていたのも私なのです」

「そんな、すごい人がなんでウチに……」


 そう言うと、オフィーリアちゃんが少し切なそうに微笑みました。


「紅蓮魔王フティウ・ワーキを倒せば異世界に戻れる。それは正しくもあり間違いでもあります。正確に言えば、その魔力を継承することで異界を繋ぐ魔法を得られる。結果として、元の世界に戻れるのです」


 あれ? でも元嫁は……。


「ココアは、フティウ・ワーキの魔力結晶を荒廃したネトランドの復興のために使いました。聖女も、異世界間移動ほどの力の行使は、自分にのみ限定されます。ですから、彼女はもうこの世界に戻ってこれません。召喚術に使った触媒ももう失われた。できるのはせいぜい、手紙を届けるくらいのものです」


 俺はあんぐりと大口を開けた。

 あの金に汚いクソ不倫嫁が、自分の願いより世界の復興を優先したこと。

 もう二度と会いたくないと思っていたグチャドロ浮気嫁と、もう二度と会えなくなってしまったこと。

 そのどちらもが上手く飲み込めず、俺はもしかしたら動揺していたのかもしれない。


「……そう、ですか。あの、向こうでここあのヤツは、どうしてます?」

「少し我儘で奔放なところはありますが、国民に愛される為政者ですよ。国を治めるために私情を押し殺してバックス王子と婚約しました。魔王との戦いの後、ネトランドの民は本当に疲れ切っていました。ココアの見せた希望がなければ、きっと立ち上がれなかったでしょう。……本当は、愛する方と結ばれたかったでしょうに」


 あ、聖女さんまだ勘違いしてるわ。

 俺は別に夫でもなんでもないし、愛し合ってもない。

 あいつの根本は浮気性で、元嫁で、今の俺にとってはただの幼馴染だ。


「だから、私は大儀式を使ってでも異世界移動を行い、あなたに直接謝罪をしたかった。……申し訳ありません、あなた達の絆を壊してしまったのは、私です」


 いや、壊したのは間違いなく上司とのオホ声パワフル騎乗位です。

 でもここで「おたくのお姫さんクソビッチですよ」とか言えないし。あいつのためというより、クソ女の身代わりになろうとした聖女さんのために。


「いやあ、アイツらしいっちゃアイツらしいですよ。きっと、困っている人を見捨てられなかった。それがアイツの選択だった。……だから、聖女さんは気にしないでください」

「満重様……」

「もし、少しだけ我儘が許されるなら。あいつの幸せを、ちょっとだけ祈ってやってください。あ、でも身代わりになろうなんて考えたら駄目ですよ。そうしたらきっと、ここあも悲しむから」


 まあ絶対悲しまないけど。

 ただ、あいつらしい選択というのは間違ってないかもしれない。

 だって俺達が幼馴染になったのは、上手く周囲に馴染めなかったぼっちの俺に、ここあが声をかけてくれたのが始まりだ。

 だから、きっと。

 元嫁にも、俺が好きだったここあが、まだどこかに残っていたんだろう。


「無理しない範囲で、ここあをお願いします。聖女さん」

「はい。必ずや」


 そうしてロリっ子聖女はさわやかな笑顔と共に帰っていった。

 大儀式とか言ってたし、あの子とも、もう会うことはないんだろう。それも一興、さよならだけが人生だ。


「あなたー、お客さんー?」

「いいや、郵便屋さんだったー」


 紬に呼ばれて俺はリビングに戻る。

 まあ元嫁の事情はどうでもいい。 遠い異世界の人々を救う道を選んだ元嫁は凄いと思うが、彼女の決断に惑わされて今の生活に目を向けないのは違うだろう。

 俺には俺の愛する家族がいて、これから先もずっと大切にしていく。

 国を治めるような偉業ではないが、誰に恥じることのない誇るべき日々だ。


 だから俺は精一杯紬を、望愛を、翔を愛していこう。


 いつか俺の方が正しかったと、もう二度と会えない幼馴染に胸を張れるように。





 ◆


 


 そうして日曜日になると、ときどき彼方からの手紙が届く。


【拝啓・春乃宮満重様】


 その書き出しから始まる手紙には、元嫁のクソみたいな性生活とか、むちゃくちゃな異世界の話が綴られている。

 相変わらず性的には奔放だがしっかり為政者をやっているようだ。


【ところで、実際のところあなたの年収はどれくらなのですか?

 社長夫人になったあかつきには私がしっかりと管理しないといけないので。

 やはり復縁するべきだと思います】


 金に汚いのも同じ。今や一国の主、俺なんかよりもよっぽど稼いでるだろうに。

 ほんとに復縁メールのつもりかよと突っ込んでしまうような文面だ。

 ただ、いつの頃からか変わったこともある。


【あなたと一緒に、桜の花が見たかった】


 繰り返した彼女の望みは、いつの間にか過去形でつづられるようになった。

 本当は彼女も分かっているのだ。

 復縁なんて叶わないって。きっと、異世界に行く前から……本当は、分かっていた。

 

 後ろ髪を引かれたりはしない。

 裏切った彼女と裏切られた俺はもう二度と交わらない。それが正しい在り方だと思う。


 ただ、空を見上げる時はふと考えることもある。

 異世界の空の下、元嫁はまたバカをやっているのだろうかと。


 でも本当に一瞬だ。

 だって今日はお花見。あれから何年も経ち、息子の翔も大きくなった。

 淡い桜の花を家族で眺める。そんな大切な時間に余計な感傷を持ち込むのは勿体ない。

 今日は家族みんなで楽しむと決めていた。


【拝啓・春乃宮満重様】


 それでも日曜日になるとアクロバティックな復縁メールが届く。

 俺はそれを読んで一頻り文句を言って、びりびりに破いて捨てる。

 繋がりというほどのものでもない些細な一連の流れもきっといつかは終わる。

 たぶん、それでいいのだろう。

 



・おしまい

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元嫁の復縁メールがアクロバティック 西基央 @hide0026

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