第3話

 遠くで、誰かの声が聞こえた。

 俺は詰襟を着て、卒業証書を手にして、満開の桜の下に立っていた。

「卒業おめでとう」

 あちこちから声がかかり、俺は辺りを見回す。

 よく晴れた青空の、桜が満開の日だった。

 はらはらと、桜が降っている。

 さっきまで同級生だったクラスメイト達は、どこか知らない人のような、それでいて懐かしいような顔をして、互いに別れの言葉を交わしている。

 明日になって制服を脱げば、もう、それぞれ別の道を行く。どこかで会うことがあるかもしれなくても、その時は、群れの仲間ではない。

 寂しくて、誇らしい、不思議な気持ちだった。

 俺は賑やかにじゃれ合う友達の中に、棚橋を、佐伯を探したが、どこにも見つからなかった。散り行く桜の影の中で、きっと夢を見たのだ。

「じゃあな」

 先生やクラスメイトに手を振って、俺たちは通い慣れた学校の門をくぐり、ばらばらの方角に歩き出す。

 もう、二度と訪れることのない、この場所。

 振り返った桜の木の下に、棚橋の姿があった。呼びかけようと上げた手が、不意に止まる。校庭に、一陣の風が吹いて、桜と共に棚橋は散って、そうして俺は、無事に卒業した。

 手にした卒業証書には、まだ新しい、桜の花弁が付いていた。

 今でも、桜を見ると思い出す。

 覚えていてね。棚橋は、そうは言わなかったはずなのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜の花の咲く頃に 中村ハル @halnakamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ