魚の翼
『どうやらおめえの妖力を喰っちまったみたいだなあ』
ぎゃんぎゃん泣き続ける茜雲をしっぽで包み、丸太小屋まで飛び跳ねながら進んで辿り着いた彎月へと、長庚が開口一番に言ったのだ。
九尾の妖狐の妖力が身体に馴染むまで、できる限りそのしっぽで過ごさせてほしい。
「お孫さん」
「何よ?」
「まだ妖力が馴染んでないんです。前みたいに空を飛びのはもうちょっと我慢してください」
「だって退屈なんだもん」
「俺の身が持たないので、お願いします」
「え~。しょうがないわねえ~」
「お孫さん」
「何よ?」
「地面に下りてください」
「え~。しょうがないわね~」
今日も今日とて。
空から落っこちて来た茜雲を空中に飛び跳ねては、しっぽで受け止めた彎月。徐々に下降して地面へと着地したところだった。
いつもと同じ光景。と、言いたいところだが違うのだ。
両の手に収まるほどの質量と大きさの青い魚の姿、ではなく。
横に倒して半分に切った樹齢三十五年の杉が十本重ね集められた、それはそれは重たい質量と大きさで青にも黒にも見える、漆黒の翼が生えている鯨の姿であった。
その鯨の姿になった茜雲を受け止めて、なおかつ支えていたのだ。
九本のしっぽで。
茜雲に妖力を喰われた彎月であったが、回復してしまえば五本になってしまったしっぽも九本へと戻ったのである。
よいしょっと。
翼を動かして彎月のしっぽから離れた茜雲が地面に降り立つ頃には、いつもの青い魚の姿になっていた。
茜雲曰く、まだまだ妖力を持て余している、自由自在に操作できない、超面倒な妖力だ、とのことだが、彎月はこの言葉を少し疑っている。
本当は自由自在に、魚の姿になれたり鯨の姿になれたりできるのでは、と。
けれども、茜雲がそう言っているのだ。問い詰めようとはしなかった。
茜雲は隠そうとしているが、時折、本当にきつそうな姿を見てしまえば尚更。
(それにしても、九尾の妖狐の妖力を喰っちまう妖怪も居るんだな~)
彎月が長庚に言われた時は、思わずあんぐりと口を大きく開けてしまったのだ。
(喰う存在だけかと思ってたけど、喰われる存在でもあるんだよな~。まあ、生物ってそんなもんかあ~。最強だろうが何だろうが)
「ふふ。彎月のしっぽに藤の花が絡みついてる」
藤の花の下。
茜雲は彎月の九本のしっぽの上で眠りに就こうとする時、ふと見つけた藤の花を取ろうとして、結局止めた。
(いつか、)
彎月が長庚の元に来てからこっち、彎月が具合が悪くなったことなど一度もなかった。
だから、腹が痛いと彎月に訴えられた時は、ひどく肝を潰して、そして、早く地上に戻らなければ、長庚の元に連れて帰らなければと、ひどく焦って。ひどく、泣きたくなって。
(まさか、彎月の妖力を食べちゃうなんて)
そんなことをしでかしてしまった自分に、度肝を抜かれて。
自分が彎月を殺しちゃうんじゃないかって、気が動転して。
死なないで、死なないで、と。
言葉に出さずに、泣き続けて。
泣き続ける中で、強くなろうと決めたのだ。
彎月が自然と名前を言っても大丈夫だと思われる存在になりたい。
だから、この身に廻る彎月の妖力も有効活用させてもらう。
「彎月。いつか必ず私が雲の上に連れて行くから」
彎月は茜雲の寝息を聞くともなしに聞きながら、頭上に連なる藤の花にそっと小指で触れてから、大きなあくびを零したのであった。
(2023.4.25)
魚の翼 藤泉都理 @fujitori
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