第30話  走れ、今日の宿まで

「で、随行メンバーのうち、5人が野の花の過敏反応アレルギー持ちとわかりましたっと」

 ルッキオは、まったく平気だった。ナーソーもだ。

 この馬車では御者台のパンニーニが、鼻をグズグズいわせているだけだ。


「せっかくのブートニアですが、この先の古代の墓にでも手向たむけましょう」

 片メガネさんの案で街道から見えた古代の遺跡に全部、ブートニアを持って行くことになった。



「墓の主が過敏反応アレルギー持ちだったら、いい迷惑だね!」

 ルッキオは屈託がないから、ブートニアを集めたエコバック片手に、つぶやいてしまった。

 アーフェン王子に、行って来いと命じられたのだ。こういう使いっぱしりは、人質には、ぴったりのお役目だそうだ。

 ナーソーもついてきた。もれなく、パンニーニもだ。


 墓の前に着くと、パンニーニが元神官の助手らしく両手を組んで祈った。

「かゆいの、かゆいの、飛んでいけー」


「ほぅ。これは」

 ナーソーが苔むした墓に刻まれた文字に見入った。旧い古代文字だ。ナーソーのちいさな目に輝きが宿る。

「足を止め、追悼せよ。戦没の戦士、——の墓に向かいて。先陣にありし彼を猛々しき軍神が滅ぼし給えれば——」


 刻まれた碑文は、肝心の名前のところが読めなかった。

 よく見れば自然にすたれたものではなく、強引に削り取られた跡がある。


「——がここに眠る。王の王、統治者の統治者、軍の司令官。何人たりとも、この廟をけがすならば、かの権力のしゃくは砕かれ、かの王座は火を噴き、その愚か者から平和と安寧を奪い去るであろう」


 墓は、いくつか散らばっていた。長い年月の間に風雨にさらされ、樹木の根に石段は割られていた。忘れ去られた墓所なのだろう。

 ナーソーは、過去にあっただろう一場面を想像した。

(今は、風しか訪れる者もなく)


「さて、帰りましょう」

 物思いから醒めて、ナーソーが振り向くと、パンニーニが立ち小便をしていた。


「あー、すっきりした」

 木陰からはルッキオが、晴れ晴れとした顔で立ち上がった。


「……王子。パンニーニも」

 ナーソーは陰鬱な顔を、さらに、くもらせた。

「足元をおたしかめにならなかったので?」


「んー?」

 少年は、ふたりとも同じ方向に首をかしげた。


「息、ぴったり。ではなくて。その木陰に石段が続いてます。樹木の根っこで、だいぶ壊れていますが。つまり」

 ナーソーは告げた。

「そこも墓の一部ですよ。まちがいなく、呪われます」


「それ、魔人ジョーク?」

 ルッキオは屈託なく問い返した。

 

「いや? ふつうの倫理的な考察です」

 ナーソーの言葉にパンニーニが、「いや? だいぶ昔の人だし! もう天国に行ってますよ!」と、考察してみせた。

 それも眉をしかめ、口を突き出してだ。変顔だ。それは、ナーソーの顔真似なのだ。ルッキオは、ふき出してしまった。


「魔人です。それに、ここで粗相そそうをすると祟ってやると、墓碑に6行にわたり刻んであります」


「えー、ねっちっこいなぁ。言葉だけだろ」

 ルッキオは、へらへらと笑った。そのときだ。


 カッ。

 一転、にわかにかき曇り稲光がひらめいた。

 ゴゴ、ゴ……。

 地鳴りがして、ルッキオ、ナーソー、パンニーニの足元が、ゆれた。


ワルはいねぃがァ、がァ、がァ、がァ……』

 地の底からの低い声が響いた。


「ぎゃーーーっ」

 ルッキオとパンニーニは飛び上がった。それより早く、ナーソーが駆け出していた。その走りっぷりに、ルッキオとパンニーニは置いて行かれまいと必死に追いすがる。


ワルはいねぃがァ、がァ、がァ、がァ……』声が追って来る。

ワルはいねぃがァ、がァァァ……、くっ、くっしょォォォォォ!』

 稲光とともに、くしゃみが聞こえたのは気のせいか。




 自分たちの馬車にたどり着くと、アーフェン王子の馬車はいなかった。

 馬に乗った騎士たちもだ。


「おそらく、さきほどの雷鳴で事態を察したアーフェン王子らは、一足先に逃げ出したのでしょう」

 ナーソーは、ぽすんと馬車の座席に収まった。


「ナーソー、おまぇ、従者のくせに主を置いていったな……」

 ぜぇぜぇと息を吐きながら、ルッキオが追いついた。


「いえ、馬車までの道を先導していただけですが」

 しゃあしゃあとナーソーは言う。

「しかし、ルッキオ王子は魔王国アルスタインとの懸け橋となられる方。きっと魔人の亡霊とも、よき縁を結ばれたでしょうに、このナーソー、気働きができずに申し訳ありませんでした」


「ニーニ! 全速力」

 ルッキオは引きつりながら、御者台のパンニーニに叫んだ。


「行きますよ! ふぎゃぁぁ!」

 また雷鳴がとどろいた。パラパラと大粒の雨も落ちてきた。

 パンニーニは稲妻が苦手らしく、空が光るたびに、「ふぎゃぁぁぁ!」と叫んで、馬に鞭を入れた。

 4頭の馬どもも異常事態を察した。目を血走らせて走る。馬とても、魔人の亡霊の餌食にはなりたくない。


 丘ひとつ超える頃には雷鳴はやんだ。




「なんか危なかったねぇ」

 ルッキオは馬車の座席に座り直した。


 気がつくと、馬車の床でラピスがひっくり返って、じたばたとしていた。手足が甲羅から出ている。

「ラピス!」

 ルッキオは急いで、ラピスの顔の方へ回り込んだ。すんっと、ラピスは自力反転して甲羅の中へ手も足も顔もかくしてしまった。 


「ははっ。そう簡単にラピスが顔を見せるものですか」

 ナーソーが、かわいた笑い方をした。

 ルッキオは、しゃくにさわって、「むぅぅ。それより、今夜の宿はどんなところだっけ」と、話を変えた。


 3泊4日の旅、これが最後の宿泊地だ。旅のしおりを開いてみる。


「何々。古戦場の宿。今でも月のない晩に、籠城して飢え死にした城主一族と女たちのすすり泣き、軍勢が行軍する甲冑のこすれ合う音や馬のいななきが聞こえる呪われた館——」

 ルッキオは、ちびりそうになった。

「なんてとこを宿泊場所に選ぶんだよ!」


「魔人ジョーク? ですかねぇ」

 ナーソーが小首をかしげ、口をすぼめた。おじさんがしても、とうてい、かわいくない。


「あ。向こうに虹がかかりましたよぉ」

 御者台からパンニーニの、まのびした声が聞こえた。



 馬車の往く手には、低い虹がかかっていた。

 彼らの、これからを祝福するように。

 おそらく。たぶん。



 そういうことにしておこう。





    〈いったん了〉

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第6王子と御一緒に! ミコト楚良 @mm_sora_mm

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