第29話  過敏反応中

「ブタ料理……」

 ミスホル博士の療養施設サナトリウムを出立する時間になっても、ルッキオは立ち直れなかった。

「ケルンテン辺境伯のところで、ぼくは、どんなごちそうを食べたんだ……。くぅぅ」

 記憶喪失していた間の記憶は、今のルッキオにはないのだ。

 

 応接間兼診察室のソファーで、うなだれているルッキオの側へパンニーニとプリチスがやってきた。

「るき? いい子、いい子」

 プリチスは背伸びして手を伸ばし、ルッキオの頭をなぜようとした。ルッキオは、かるくよける。

「ルキ? それ、ちいさいときの、ぼくのニックネームだよ。ぼくがルッキオって言えなくって母上が——、いや、気安く呼ぶなよ、幼児」


「ふぇ」プリチスが目をまんまるに見開いた。その目に涙があふれた。「ふぇぇぇぇ」泣き出した。


「あ~。ルッキオ王子、王子が『ルキと呼んで』って、プリちゃんに言ったじゃないですか」

 パンニーニが抗議してきた。


「え? ぼくはそんなこと言わないよ」

「記憶喪失中の王子が言ったんですよ!」

「え? なんだよ。それ、気持ち悪いやつだな」

「王子ですよ」

「覚えていない」

「記憶喪失でしたからね」

「——他にも、いろいろ失言していそうだ」

 ルッキオの顔色がくもった。


「ものすごくやさしかったですよ。記憶喪失中の王子は」

「記憶喪失していないぼくが、やさしくないようじゃないか。パン——」

 ルッキオは言いよどんだ。


(こいつ、名前なんだっけ)


「……王子? もしかして、オレの名前、思い出せないんですか」


「……後遺症かな」


「ミスホル博士ぃ! 来てくださいぃ!」

 パンニーニは叫びながら、部屋から出て行った。



 大事おおごとになってしまった。

「順番に名前を言ってみてください」

 ミスホル博士はソファに座ったルッキオの前に、次々と旅の随行メンバーを連れて来た。

「はい。この方は?」


「アーフェン王子です」

 黒髪黒目の仏頂面の少年を見て、ルッキオは答える。


「正しくは、アーフェン・ツェッツェだ」

 アーフェン王子は安定の傲慢さで、あごをあげ、首をかしげてルッキオを見下した。


「はい。この方は?」


 すらりとした長身の片メガネの青年を、(片メガネ)とはルッキオは言わずに、「ちちきょうだい乳兄弟さん……」と、ぼそぼそ答えた。


「イスゥと呼んでくださってけっこうですよ」

 青年は、やさしくほほえんだ。


「はい。この人たちは」

 よく似た大柄な魔人ふたりだ。


(どすこいペア)だが、ルッキオは上目づかいで、「ラピスのお世話係の魔人さん」と答えておく。名前を聞いた覚えがない。


「ごっつぁんです。テンザン天山です」「カイリュウ海龍です」


 ふたりとも、けっこう、りっぱな名前だった。


 次に来たのは、ナーソーだ。

「はい。この方は?」


(キノコ頭)とは言わない。

「ナーソーですね」


「記憶が戻られたようで、ようございました」

 ナーソーは口の端を、ひくひくさせていた。


 最後にミスホル博士は、「では、わたしは」と聞いてきた。


(へくしょい大魔王)とは……。

「ミスホル博士、ですね」と、ルッキオは、(はよ解放してくれよ)という内心をかくして笑顔で答えた。


 ミスホル博士は満足そうな笑みを浮かべ、「おおよそ大丈夫でしょう。健康な人間でも、ど忘れくらいありますからな。ま、みなさんでルッキオ王子を見守ってあげてください」と診察をしめくくった。



 そして、療養所サナトリウムの馬車留めには、いつでも出立できるように馬車が待っていた。

 ルッキオが馬車に乗り込もうとすると、子供たちが寄ってきた。

「道中、お気をつけて。これは遊んでくれたお礼に」

 年かさの少年が、野の花のブートニアを差し出した。

 子供たちは、随行メンバー全員にブートニアを作ったようだ。


(覚えてないんだけど)

 ルッキオは悪いなとは思っていたから、子供のひとりにブートニアを胸のポケットに差されるままになった。

 ナーソーもしゃがんで、プリチスにブートニアを差してもらっていた。

 あどけない幼児のかわいらしさに、ナーソーの貧相さが際立つ。そして、野の花が似合わない。


「ありがとう」

 アーフェン王子の馬車では、イスゥが王子の分も受け取っていた。


 馬上の騎士たちも笑顔で受け取り、帽子のベルトに羽飾りのように野の花のブートニアを差した。

 そして、一行は療養所の職員患者全員に見送られ旅立った。




 それから、しばらくたってからのことだ。

「へーくしょい!」

 パンニーニが、おおきなくしゃみをした。


「へくしょい!」

「へ、へ、へ、しょいっ!」

 呼応するように馬上の騎士の何人かも、くしゃみが止まらない。


「くっしゅん!」

 アーフェン王子の馬車に同乗しているイスゥも、くしゃみが出た。なんだか鼻が、むずかゆい。


「これは——」

 アーフェン王子が顔色を変えて、自分の胸元とイスゥの胸元から、野の花のブートニアをむしりとった。

「この花が原因だぞ」

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