第28話  記憶喪失の喪失

「もしかして、ぼくのきょうだいって9人じゃなかった? 何か思い出せそうだったんだけど」

 ルッキオは忘れているので、ナーソーに聞いた。


「たしかに父王さまは婚約発表で『子供は何人くらい欲しいですか』と囲み記者に聞かれて、『野球チームが作れるくらい』って答えておりました。その前に、すでに愛人が野球チームくらいいたんですけどね」

 子供向きでない話題が返って来た。


「すごいなぁ。父上って、多くの女性に好かれていたんだねぇ」

 まったく無邪気にルッキオは感心した。


 こーん。

 パンニーニが打った球が、きれいな弧を描いて飛んでいく。


「じゃ、明日の準備があるから練習は、ここまでー」

 切りのよいところでパンニーニは棒切れを、そばの幼児に渡そうとした。パンニーニはルッキオの馬車の御者なのである。


「やだぁ」

 幼児は、むくれて棒切れを受け取らない。久方ぶりに現れた、遊びがいのある相手だったのだろう。


「えーと。ぼく、やろうか?」

 ルッキオは、パンニーニに近づいた。

 ちいさな子供相手なら、自分でもなんとかなるかなと思ったのだ。


「ネコを抱えてですか」

 パンニーニに聞かれて、「もちろん、猫は預けるけども。ナーソーさ(ん)」と、ルッキオはナーソーを振り向いた。

「よろしいですけども」、ナーソーは流れるような所作で、ルッキオから猫を受け取る。猫にナーソー。クリーム色の毛並みのよい猫に、ナーソーの貧相さが際立つ。「王子には、野球の素養はおありでしたか」


「わかんないけども。何か思い出せそうな気がして。父上と、きょうだいと、ふたり一組玉投げ合いキャッチボールぐらいはしていただろうし」

 ルッキオの屈託ない想像に、ナーソーは痛そうな顔をした。


「このさい、何でもやってみたほうがいいですよね。ぼくのことも思い出してほしいし」

 パンニーニも賛成だ。


「忘れてしまって、ごめんね。パンニーニ。君とは、たくさん楽しい思い出があったろうに」

 ルッキオは、ほほえんだ。


「魔王の生贄いけにえにされるんじゃないかって、なかなかスリリングな思い出ですね」

 笑っているパンニーニは、実は肝が太そうだ。


「じゃ、ボール、投げてね」

 ルッキオは、やさしく幼児に声をかけた。

 幼児は、ばさっとした、おかっぱ頭で、目がくるんとして、かわいらしかった。

「君の名前は?」


プリチス

「え?」

 人の名にあらざるものを聞いた。


「魔除けですな」

 ナーソーが横から補足した。

「魔除けに、そういう名を子供につける風習があります。魚の好きな猫でもまたいで通り過ぎる、まずい魚を指すのような意味合いで、悪魔もまたいで通るのみほどの価値の子供ですから、ということですな」


(魔族が魔除け?)

 その場合、どうなるのかな。それはおいといて。

「えっと。じゃ、ひとまず、プリと呼ぶことにしよう。ぼくのことはルキでいいよ」


「はぁぁい。るき」

 幼児は気合を入れて、ボールを上へと投げた。

 けっこう、上まであがった。


 ルッキオは落ちてくるボールに思い切り棒切れを振った。

 ボールの当たる手ごたえはなく。

 手にした棒切れも消えた。

(あれ?)


 ぽてん。

 ボールが足元に落ちていた。

 どごん。

 ルッキオの頭部に、いきおいよく棒切れが落ちてきたのは、そのあとだ。


「ルッキオさまぁぁ!」

 パンニーニの悲鳴をルッキオは、うっすらと聞いた気がする。




 次にルッキオが目覚めたのは、療養施設サナトリウムの寝台の上だった。

 胸が苦しかった。クリーム色の猫が、ルッキオの胸の上にのっていた。

「あっ! るきにいちゃん、起きたよぉ!」

 ばさっとした、おかっぱ頭の幼児が声をあげた。

 子供たちとナーソーとパンニーニが、寝台のまわりを囲んでいた。


「ん? 誰さ、君」

 ルッキオは起き上がろうとして、頭部の痛みに一瞬、顔をしかめた。

「ぼくには異母きょうだい異父きょうだい合わせて9人いるから、今さら心当たりのないきょうだいがふえても、なんとも思わないけど——」


「記憶が戻ったのですか!」

 片メガネの魔人、アーフェン王子の側近であるイスゥが、タイミングを計ったように部屋の扉から飛び込んできた。

「お約束の展開が早い!」


「何。このシチュエーション。臨終まじかの老人みたいで、こわいんですけど」

 ベッドの三方を人々に囲まれて、ルッキオはたじろいだ。まず、胸の上の猫が重い。


「もう1回、頭打って記憶が戻ったってぇ?」

 ミスホル博士がアーフェン王子を引き連れて、部屋へ入ってきた。


「安易だな」

 アーフェン王子が誰にともなく、つぶやいた。


「いわゆるショック療法ということですな」

 ミスホル博士が。


(誰)

 ルッキオにはミスホル博士がわからなかった。


「おぅ。わしを見て『誰?』という顔をしているね。記憶喪失の間の出来事は忘れているということですな。あることです」


「え? ぼく、記憶喪失だったの?」


「そうですよ。ケルンテン領で落馬されたのです。一時はどうなることかと思いました——」

 イスゥが、ほっとした表情でルッキオをみつめた。


「あっ! そうだよね。ここは、ケルンテン領?」

「いえ、そこから進みまして、2泊めのミスホル博士の療養施設サナトリウムで朝が来たところです」

「え? ケルンテン領のブタ料理、楽しみにしていたのに」

「大変、お召し上がりになっておられましたよ」


「覚えてない……」

 ルッキオは愕然がくぜんとした。

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