Outro(Positivity)

 大抵の人間は、何故か鳥瞰図を愛す。

 その日オレはギザミ山の上で、相変わらずものすごく凡庸な鶯岬町の風景を眺めていた。


 風がおだやかで空は青い。

 なんだか気持ちの良い一日になりそうだ。


「水口!」


「おぉ」


 ようやく到着した早乙女を見つけ、オレは軽く手を上げる。

 休日にもかかわらず呼び出されたので一体何の用かと思っていたが、早乙女は手ぶらだった。

 どうやら民俗学研究部の部活ではないようだ。

 オレは少し安心する。


「ねぇ、水口。今日のお弁当、おかずは何?」


「なんで休みの日までオレが弁当作らなきゃなんないんだよ? 必要なら自分で作れ」


「だって水口、せっかくの休日なのにくっそヒマでしょ?」


「オレくらいのモテ男になると、むしろ休日はゆっくり休養するんだよ。本当にモテる男はやるんだよ、そういうことを」


「あ、スマホ忘れた!」


「だから聞けよ、オレの話……」


 いつものまったく成立しない会話を終えると、早乙女がベンチに歩いていく。

 仕方なく、オレもヤツに続いた。

 二人で腰をかけ、目の前のオランダ風車を見上げる。


 オランダ風車はいつものようにゆっくりと回転を続けていた。

 相変わらず時折ミシミシという音が鳴るが、たぶん大丈夫だろう。

 ギザミ山公園には今日もオレたち以外の人影は見えない。

 とことん人気がないこの光景は、むしろオレに謎の安心感を与えてくれた。


「で、今日は一体何の用だ? オレにコクってくるつもりなら、とっとと御暇おいとまさせてもらうが」


「なんで私が水口にコクんの? いい、水口? 人間とフンコロガシは付き合えないんだよ?」


「前から言おうと思ってたが、なんでオレがフンコロガシなんだ? まったく共通点がないぞ」


「来生麻美ちゃんの遺体が発見されたよ……」


「そっか……良かった……」


 オレたちはオランダ風車を見つめ続ける。

 風が少し強くなった。

 風車の羽根がこれまでで一番円滑に回っているような気がする。


「あの時消防団だった人たちが集まって、一斉に掘り始めたんだ。意味わかんないけど警察までやってきてね。立ち入り禁止の規制線が張ってあったんだけど、関係者面してなんとか潜り込んだ。もぉね、すごかったよ。あっという間に深い穴ができて、その中で発見された」


「うん」


「遺体が発見された時、もう全員が号泣だったよ。きっとみんなずっとココロのどこかに引っかかってたんだろうね。多米さんももう喋れないくらい泣いてて、私、勢いで抱きつかれちゃってさ。思いっきりエルボーを喰らわせてやったよ。多米さん、目の上が切れちゃってさ。もぉ、パックリだよ、パックリ」


「なんで得意げなんだよ。違うだろ。そこはお互い抱き合って、讃え合って、感動のフィナーレだろ。空気読めないのか、お前」


「行っちゃったね、来生ちゃん……」


「あぁ、行っちゃったな……」


「ねぇ、水口」


「ん?」


「水口って、来生麻美ちゃんのこと、好きだったの?」


「は? 何だ、急に?」


「いや、好きだったのかなぁって思って」


「好きになるほど時間が無かっただろ? ただ、まぁ――可愛らしい子だったな。明るくて、元気で、お前が一生かけても手に入れられないような素直さを持っていた」


「素直さなら、たぶんあの子も持ってるんじゃないかな?」


「あの子? どの子だよ?」


「あの子」


 早乙女がベンチから立ち上がって、向こうに大きく手を振る。

 ギザミ山公園入口に一台のタクシーが止まっているのが見えた。

 多米さんがこちらに向かって大きく手を上げる。


 そしてもう一人、こちらに向かって歩いてくる女の子の姿が見えた。

 オレは呆然と、ベンチを立ち上がる。


 来生――歩美ちゃん?

 もしかして来生歩美ちゃん?

 た、退院したのか?


 来生歩美ちゃんは、何と言うか……非常にモジモジとしていた。

 このへんが姉・来生麻美とはまったく違うところだ。

 いくら双子の姉妹でも性格はまったくの真逆。

 彼女がオレたちの前にやってきて、怯えたような顔で立ち止まる。


「あ、あの……み、水口さん、早乙女さん……お、おひさしぶりです……」


「あ、あぁ。ひさしぶり」


「ひさしぶりだね」


「あ、あの……ワ、ワタクシ・来生歩美は……その……恥ずかしながら帰って参りました!」


 歩美ちゃんがいきなりその場で敬礼をする。

 オレと早乙女は顔を見合わせ、彼女に視線を戻した。


「あ、あの、歩美ちゃん……それ、誰? オレ、ちょっとよくわかんないんだけど……」


「こ、この度はワタクシども姉妹が、お二人に多大なるご迷惑をおかけし――」


 歩美ちゃんが言い終わらないうちに、早乙女がいきなり彼女を抱きしめた。

 強く、強く、抱きしめた。

 歩美ちゃんは呆然と早乙女のされるがままになる。

 オレたちの周りの時が止まった。


「来生、歩美ちゃん……」


「は、はい……あの、早乙女さん?」


「友だちを助けるのってね、当たり前なんだよ。だからね、全然ご迷惑じゃなかったよ」


「え? で、でも……」


「来生麻美ちゃんと私は友だちになったよ。来生歩美ちゃんも私の友だちになってくれるかな?」


「い、いいんですか……私……こんな私なんかが……」


「おかえり、歩美ちゃん。私、待ってた……」


「早乙女さん!」


 歩美ちゃんが泣きながら早乙女を抱きしめる。

 オレは「やれやれ……」と思いながら、早乙女から体を離した歩美ちゃんに大きく手を広げた。


「おかえり、歩美ちゃん! オレもずっと待ってた!」


 これ以上ないほど薔薇色の笑顔で、オレは彼女が胸に飛び込んでくるのを待つ。

 だが――歩美ちゃんはいつまでたってもオレの胸には飛び込んでこなかった。

 ビミョーな空気の中、オレと歩美ちゃんの目が合う。


「ごめんなさい、水口さん……さすがにそれはちょっと……無理です……」


「なんでだよ! 違うだろ! ここはスケベ心じゃなくて、再会の感動を存分に分かち合う場面だろ!」


「まぁ、水口は、ちょっと臭うものねぇ……」


「何だ、お前? 早乙女! 臭うって何だよ! どこがどう臭うんだよ! シャワーは今朝家を出る前に思いっきり浴びてきたぞ! これで臭うんなら、オレはもう打つ手なしじゃないか!」


 ギィィィィィィィ。


 その時、オレたちのすぐそばで不気味な音が鳴った。

 オレたちは一瞬ハッとして、オランダ風車を見上げる。

 また黄泉比良坂の御扉が開いたのかと思った。


 でも――それは違った。

 風が止んで、風車が停止した音だった。


「何、今の? ビビったぁ! いや、かなりマジで!」


 オランダ風車の下、早乙女の言葉で全員が安堵の息をもらす。

 直後、早乙女が歩美ちゃんの手を取った。


「水口! 今日は歩美ちゃんの生還記念パーティーだ! どっさりと冷凍食品も買ってある! 鶯岬デンパ塔で待ってるから、早く来なさい!」


「は? また冷食かよ? しかもなんでまたオレだけ自転車なんだ?」


「いいから、いいから! じゃあね! 五分後にデンパ塔に集合!」


「五分じゃお前らも無理だろうが……」


 早乙女と歩美ちゃんがタクシーに着くと、多米さんが笑顔で手を振りながら「水口くん! 男は死ぬまで勉強だ! お互い頑張ろうぜ!」と言った。

 よく見ると、多米さんの左目の上には白い絆創膏が貼ってある。


 あれが思わず早乙女に抱きついた時喰らったエルボーの傷か……。

 縫ってるな、あれは……。

 少し腫れてる。


 多米さんのタクシーを見送ると、オレは一人でオランダ風車を見上げた。

 おそらくこれで『オランダ風車は言葉を話す』という噂は、鶯岬のごくありふれた都市伝説になっていくだろう。


 来生姉妹をめぐる現世の誤った流れもこれですべて修正された。

 オランダ風車が言葉を話すことはもうない。


 オレは公園の自転車置き場に歩き、サドルに跨ってから、もう一度オランダ風車を見上げた。

 そしてそれを見て、フッと思わず微笑んでしまう。

 オランダ風車の羽根の一枚が、頂点に差しかかる直前の位置で止まっていた。


『オランダではね、その一枚の羽根が頂点に差しかかる直前の位置で止まった場合、それは未来や希望を表すんだ。つまりポジティヴな意味合い』


 オレの頭の中で、あの日の来生麻美が子どものように得意げに言った。


「じゃあな、来生麻美ちゃん。またいつか、会えたら嬉しい」


 そう軽く手を上げ、オレはギザミ山の坂を下りていく。

 早乙女と歩美ちゃんが鶯岬デンパ塔でオレを待ってる。


 いや、早乙女はそれほどオレを待ってないかもしれないけれど。

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鶯岬デンパ塔 貴船弘海 @Hiromi_Kibune

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