9 なんかこの世界って素敵だね

「双子の一人を発見したのはこのあたりだ」


 強い風に吹かれながら、ショベルを持った多米さんがオレたちに言った。

 タクシーから降りたギザミ山のふもと。

 多米さんが指差したあたりには、鶯岬にしては大きな川が流れている。


「当時、大雨の影響でここには泥が溢れていた。濁流が川のように道路を流れ、その勢いのまま流れ込んだんだ。そんな時、双子の女の子がふもとで土石流に飲み込まれたという情報が入った。我々消防団は、双子の自宅が流された現場に向かった」


 遠い目で語る多米さんが川に沿って歩きはじめる。

 強い風が吹いてきた。

 オレたちはそのあとに続く。


「このあたりは土砂災害の特別警戒区域でね。現場は混乱していたが、ほとんどの住民はすでに避難していた。だから我々は双子の捜索に集中することができたんだ」


 多米さんが制服のポケットからスマホを取り出す。

 彼が待ち時間にいつも眺めていたものだ。


 待ち受け画面には――公園で楽しそうに笑顔を浮かべる双子の女の子の姿があった。

 幼い頃の、来生麻美と来生歩美だ。


「可愛いだろう? これがその双子だよ。この子たちが行方不明になった日、村長が救助隊員全員に配った。親御さんが提供してくれた写真を遠くのコンビニでコピーしてきてさ。オレたちはこの写真を見ながら、全員でココロを一つにしたよ。『この子たちを絶対に見つけ出すぞ!』ってね」


 多米さんが足を止める。

 そこはきちんと整備された場所でギザミ山ふもとの風景が四方に見渡せる。

 とても美しい田園風景だった。


「双子の一人を発見したのはここだ。その子は少し意識があった。うわ言のように『アサミ……アサミ……』って言ってたよ。きっと自分が誰なのか、子どもながらに大人に伝えてたんだろう」


 それを聞いた瞬間、来生麻美がその場に泣き崩れる。

 多米さんはそんな彼女を驚きの表情で見つめた。


「え、えっと……こっちのお嬢ちゃんは、なんで……」


「そろそろ気づきなよ、多米さん。この子はその写真の双子の一人だ。あの時、多米さんたちが救い出した女の子」


「え……」


 多米さんがスマホの写真と泣いている来生麻美の顔を交互に見つめる。

 すべてを理解して、愕然とした表情を浮かべた。


「キ、キミは……」


「これでわかったでしょう? 私が最初何も考えずに呼んだタクシーの運転手がアナタだった。そしてアナタと来生ちゃんは再会してた」


「たまたま……」


 オレが呟くと、早乙女が真っ直ぐな視線をこちらに向ける。


「そうだよ、水口。そんななんて起こるわけがない。おそらく――これはオランダ風車の仕業だ。オランダ風車が私たちを導いている。この鶯岬における誤った流れを修正しようとしているんだ」


「誤った流れを……」


「多米さんの勘では、もう一人の女の子はどっちに流されたと思う?」


 早乙女の言葉に、多米さんがハッと我に返る。

 そして川に沿った遠くの方向を指差した。


「こっちだ。オレの考えでは、女の子は土石流に流されたあと川に落ちた。そして急流と化していた川に泥といっしょに流されていったんだ」


「こっちか……」


「捜索が打ち切られてからも、オレは何度もここにやってきた。探したよ、本当に。仲間の中にも同じようなヤツが何人かいた。だけど半年が過ぎ、一年が過ぎ、みんな諦めるしかなかった。オレも、諦めたんだ。もう見つからないだろうって……」


「だけど完全に忘れることはできなかった。だからタクシーのトランクに常にショベルを積み込み、時折その写真を眺めてた。そういうこと?」


「そうだ……」


「オッケー。でもアナタの心残りは今日解消される。双子の残ったもう一人はこれから見つかるわ」


「み、見つかるのか?」


「見つかる。って言うか、見つける。オランダ風車が協力してくれる」


 早乙女がそう言うと同時に、オレは周囲の異変に気がついた。

 いつの間にか――さっきまで吹いていた強い風が止んでいる。

 何度か経験したこの流れ。

 これは……もしかして……。


 見上げると、薄暗くなった空がいつもより低くなっているような気がした。

 それと同時に、オレたちの周りに黒い霧が漂いはじめる。

 続いて例のごとく、ギザミ山の方から山鳴りのような重低音が響いてきた。


 ウォォォォォォォン。


 腕時計を見る。

 昼の1時だった。

 十時でもないのに、黄泉比良坂の御扉が開くってのか?


「マズいわね。オランダ風車まで焦ってる。おそらくこれが最後のチャンスだ。あれから十年、オランダ風車ですらもう待てない状況。来生麻美ちゃんにとっての黄泉比良坂の御扉が開くのはこれが最後になるでしょう」


「こ、これを逃したらどうなるんだよ?」


「妹の来生歩美ちゃんがもう二度と自分の肉体に戻れなくなる。歩美ちゃんの肉体に定着した麻美ちゃんもほどなくして肉体が崩壊していくでしょうね。おそらくは事故か、病気で」


「マ、マジか……」


「似てるとはいえ、そもそもこの肉体は来生麻美ちゃんのものじゃない。誤った流れをそうでもして修正しないと、現世のことわりが乱れ、良くないことが起こり続ける……」


「歩美が……この肉体に戻れなくなる……」


 来生麻美がそう呟きながら自分の手のひらを見つめる。

 早乙女がそんな彼女の肩にそっと手を置いた。

 厳しい表情で多米さんを振り返る。


「さぁ、行こう! 多米さん、アナタは先頭! 私たちを導いて!」


「い、いや、嬢ちゃん。これは一体何なんだ? この黒い霧……それからさっきの山鳴り……じ、地震でも来るんじゃないのか?」


「うるせぇ、ダメオヤジ! 時間がない! とっとと歩け! 十年前のアナタが女の子が流されたんじゃないかと予想していた地点に、私たちを連れてけ!」


「あの、すいません、多米さん。ここはひとつ、穏便に、あのチンピラ女に従ってやってください。ちょっと、こぉ、色々と可哀想な子なんです。つまりアレです。アレな子なんです」


 激昂する早乙女と戸惑う多米さんの間に入り、オレはなんとか事態を収拾させる。

 多米さんがゆっくりと歩きはじめた。

 オレたちがそれに続くと、早乙女がオレの肩を引っぱる。


「何だよ、お前? 痛いだろ? 止めんなよ。時間がないんだろうが」


 そう振り向くと、早乙女は手ではなく、針金のような物をオレの肩にフックしていた。

 L字形の、二本のロッドだ。

 イヤな、予感がした。


「それは違うだろ、早乙女。それはお前の役目だ」


「バカなの、水口? 私みたいな美少女JKがこんな針金を持って歩けるわけないじゃない」


「オレだって美少年だよ!」


「プッ。今日イチのバッドジョーク。しかもおもんない」


「お前が資料館から引っぱり出したんだろ? お前が持てよ!」


「ほら。恥ずかしがらないで。母さんに息子の晴れ姿を見せておくれよ。アンタも今日から立派な一社会人になるんだからさぁ」


「まずは設定を説明しろ! どういう状況だ、それ!」


 しかしいつの間にか――オレはL字形ロッドを持たされていた。

 鶯岬高校に入学して二ヶ月。

 オレは一体何をやっているのか?


 多米さんはそんなオレたちの前を歩き続ける。

 自分の遠い記憶を確かめるように、ゆっくりと。


 やがてオレたちの周囲に漂っている黒い霧が、さっきより濃厚になりはじめた。

 半ば宵闇に包まれていくような感覚で、オレたちはさらに前へ進む。

 オランダ風車の山鳴りのような雄叫びが、さっきから止まらない。


 ウォォォォォォォン。ウォォォォォォォン。ウォォォォォォォン。


「いい感じだ! 来生麻美ちゃんの体に近づいてきてる! 多米さんの予想は間違ってない!」


「ホ、ホントかい、嬢ちゃん?」


「ホントだよ! マジだ! 近い! 近いよ!」


 その瞬間、黒い霧の中から切迫した男たちの声が聞こえてくる。

 ものすごいざわめきがオレたちを取り囲んだ。


『今、情報が入った! 女の子だ! 女の子が二人! 土石流に流された!』


『女の子? マジか!』


『おいおい、マズいだろ!』


『ヤバいって、それ、ヤバいって……』


『来生さんとこの娘さんだ! 家の中で二人きりで留守番してたらしい!』


『来生さんとこって、もしかしてあの双子の女の子かよ!』


『行くぞ、お前ら! とりあえず、行くぞ!』


 な、何だ、この声……。

 すごい緊迫感……。

 も、もしかして、これって……。


「当時の状況が霧の中で甦っている! オランダ風車が見せてるんだ! これは近い! マジで近い!」


 早乙女がオレの後ろで大きく言った。

 オレの隣を歩く来生麻美が祈るように胸元で両の手をからませている。


 オレたちのすぐ横にその時の状況が克明に映し出されていた。

 まるでたった今、すぐそこでそれが行われているかのように。

 

 終わらないどしゃ降りの中、泥だらけの男たちが必死の捜索を続ける。

 ショベルで掘り起こす班、長い棒を地面に挿していく班。

 みんなヘトヘトの様子だが、まるで泣いているような顔で声を張り上げていた。


『お嬢ちゃん! お嬢ちゃん! 助けに来たよ! オジサンたち、助けに来たよ!』


『大丈夫かい? もう怖くないよ! いたら声を出して! 声が出なかったら、手とか足とか少しでもいいから動かしてみて!』


『くっそぉ! なんで小さな女の子なんだよ! その子たち、家で留守番してただけなんだろうが!』


『いたぞ! いた! 女の子一人発見! 大丈夫だ! 息はある! 息はあるぞ!』


『マジかよ、おい!』


『やった! やったぞ! 助かった!』


『いや、まだだ! もう一人! もう一人を探せ!』


『うぉぉぉぉぉ! めちゃくちゃ元気が復活してきたぁ! 助けるぞ! 待ってろよ! 待ってろよ!』


『みんな! めちゃくちゃ急いで、丁寧にいけ! 絶対にオレたちが助ける! 絶対に、オレたちが、助けるんだ!』


 その言葉に、全員が『おおおおおおおおおおおお!』と雄叫びをあげた。

 だが――その声が終わると、一転して沈黙が訪れる。


 場面が変わり、変わり果てたギザミ山のふもとに男たちが整列していた。

 雨は小雨になっている。

 彼らの前に立ったヘルメット姿の男性が重々しく口を開いた。


『みんな、実に……実に辛い報告だ……七十二時間が経過した……これはみんなもよく知っているように、人命救助のタイムリミット、生存率が著しく低下することを意味する……』


 男性がそれを告げると、アチコチで嗚咽とともに泣き崩れる者がいた。

 オレたちはその中に少しだけ若い多米さんの姿を見つける。

 多米さんはその場にへたり込み、自分の無力さを責めるように地面を拳で殴っていた。


『みんな、ありがとう。そしてお疲れさま。来生さんとこの双子の娘さん、その残る一人を我々は結局見つけられなかった。だけど、もう一人の娘さんはなんとか救助することができた。私はその子の未来を見守ってあげたいと思う。本当に、そう思う。二次災害を起こすわけにはいかない。以降、我々は自衛隊・地域住民との連携をさらに強化し、この地域の復興に尽力していく。以上だ』


 男たちの泣き声が、黒い霧の中にいつまでも響き続けている。

 その時、オレの横を歩いている来生麻美が突然立ち止まった。

 オレと早乙女も彼女にならって足を止める。

 そして目を見開いた。


 来生麻美の体が、黄金色に発光しはじめていた。

 いつの間にか、オレの手の中のL字形ロッドが開いている。


「ここか! ここなのか!」


 オレと早乙女は自分たちの足元を凝視した。


「ど、どうした? 見つかったのか?」


 前を歩いていた多米さんがこちらに駆け寄ってくる。


「ありがとう、水口くん。それから早乙女さん。二人のおかげで、私、十年ぶりに自分の体を見つけることができたよ」


「き、来生ちゃん……」


 オレの言葉に頷くと、来生麻美はそこに呆然と立ちつくす多米さんに顔を向けた。


「多米さん、私を探すためにあんなに頑張ってくれて本当にありがとうございました。消防団の方々にもよろしくお伝えください。私、本当に嬉しかったです」


「じょ、嬢ちゃん……嬢ちゃんはひょっとして……」


「私、今までずっと気づかなかったけど……」


 来生麻美がオレに微笑みを向けてくる。

 それは初めて話したトイレの時とまったく同じ表情だった。

 つまり子どものようなとても無邪気な笑顔だ。


「なんかこの世界って素敵だね。もう一度、私はこの世界に生まれ変わりたいよ」


 ギィィィィィィィ。


 その時、遠くから何かが軋むような音が聞こえた。

 黄泉比良坂の御扉が開いた音だった。


「さようなら。私は黄泉に行くね。次に山から下りて来る時も良かったら私と仲良くして」


 そんな来生麻美の言葉に早乙女が肩をすくめる。


「大丈夫だよ。水口はロリだから、アナタが生まれ変わったらどれだけ拒んでも尾け回してくる」


「ちょっと待てよ。なんでだよ? なんでオレがロリなんだよ?」


 オレたちのやり取りに来生麻美が笑う。

 それもまるであの日と同じように。


「仲良いね」


 その言葉と同時に、来生麻美の体がさっきより明るい黄金色に包まれていく。

 オレたちは手でその光を遮りながら、なんとか前を見つめた。


「来生ちゃん! また戻っておいでよ! 私、待ってるから!」


「き、来生ちゃん! オレも待ってるよ! 次に会ったら、また弁当を作ってあげるから!」


 早乙女とオレが交互に言うと、さっきまであれだけうるさかった山鳴りの音がどんどん小さくなってきた。


『これであるべきものがあるべき場所に戻ったね』


 ギザミ山の上から、野太い声が響いてくる。

 オランダ風車の声だった。


『キミたちはそのまま生きていくといいよ。特に頑張る必要も無い。生きることに疲れた頃、ボクが迎えに来てあげるよ。そして疲れが取れたら、またそっちに送り出してあげる。すべては回っていくんだ。永遠に。ボクみたいな、風車のようにね』


 オランダ風車の言葉が終わると、それまでオレたちを包み込んでいた黒い霧が実にあっけなく晴れていった。

 オレたちは川沿いの道の片隅にポツンと取り残される。

 強い風に吹かれながら足元を見ると、そこには来生ちゃんが倒れていた。


 おそらくこの子は――来生歩美ちゃんだ。

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