8 九泉

「で……お前、それ、何だ……」


 おにぎりをきちんと弁当箱に詰め、デンパ塔横の広場に出ると、オレはその場で呆然と立ちつくした。

 早乙女と来生麻美がジッとオレを見つめている。

 早乙女は自信満々で、来生麻美はかなり困惑していた。


 早乙女の手には二本の長いL字形の針金のようなものが握られている。

 それはどう見たって――単なるロッドだった。

 つまりダウジング用の器具だ。


「何って、ダウジング用のロッドだけど?」


「L字形のロッドを二本、両手に握る。地下にあるお目当てのブツが近づくと、それがスッと外側に開く。たしかそんな使い方だったか?」


「そそそそそ。それ、それ」


「もしかして……ひょっとしてとは思うが……まさかそれが、その、秘密兵器、なのか?」


「うん。そうだけど?」


「いや、ちょっと待てよ、お前……」


 めまいがして、オレは一瞬その場にしゃがみこむ。

 しかしなんとか気力で立ち上がり、深いため息とともに続けた。


「お前さ、あんな大感動なことを言っておいて、持ち出してきたのがそんなインチキくさいロッドかよ? 何だ、お前? それ使って、水道管やら地下水でも見つけ出すつもりなのか?」


「相変わらずバカだな、水口は……」


「すげぇな、お前……ホント、相変わらずマジですげぇ……そのロッドで古い井戸でも見つけ出し、思いっきり突き落としてやりたい気分だ……」


「説明を聞きなよ。このロッドには不思議な染料が塗られていて――」


「またそれかよ! 正体不明すぎる不思議な染料! ったく! そもそもお前の脳ミソ自体に何か不思議な染料が塗られてるんじゃないのか!」


「でも前の虫取り網はきちんと機能したでしょ?」


「そ、それは、まぁ、しました……しましたけれども……」


「じゃあ当然このL字形ロッドも機能するよ!」


「お~い! 嬢ちゃあ~ん! 来たぞぉ~!」


 遠くからそんな声が聞こえてきた。

 そちらを見上げると、国道から例のタクシー運転手が大きく手を振っているのが見える。

 それを確認した早乙女が「ちょっと待ってよ、ダメオヤジぃ! すぐ行くからぁ!」と手を振り返した。


「さて、と。ダメオヤジが来た。二人とも、出発するよ」


「仕方がない……」


 覚悟を決めて、オレは不安そうな来生麻美に頷く。


「大丈夫だ、来生ちゃん。コイツの言うことはどう考えてもインチキくさいが、とりあえずこの場はコイツの言う通りにしよう。現世にはこんなボンクラがいた。それだけでも、まぁ、黄泉に行った時の土産話になると思う。代案はあとで二人で考えよう」


 それを聞いた早乙女が「はぁ?」といった表情で感じ悪く口を挟んでくる。


「水口がどんだけ頭フル回転で代案をひねり出したところで、L字形がJ字形になるくらいでしょ?」


「うるせぇよ、お前! オレはアレだぞ! F字形とかM字形とか、NとかSとか、色んなバージョンを考えてるぞ!」


「結局どれもロッドじゃない。水口、やっぱすっごいバカ。そもそもどうやってF字形ロッドを一筆書きするつもり? 絶対重なる部分が出てきますけど?」


「くっ……」


 タクシーに向かいながら、オレはヤツに何ひとつ返せない。

 オレたちが車に乗り込むと、運転席の例のオジサンがニコやかに振り返った。


「えっと、もしかしてまたオランダ風車かい?」


「ううん。今度はその手前。ギザミ山入口にお願い」


「了解だ♪」


 早乙女に頷き、オジサンのタクシーが軽快に発進する。

 オレたちはベンチの時と同じ並びで早乙女を挟んでシートに座った。

 来生麻美は眼下に見える鶯岬デンパ塔に視線を向けている。

 たぶん彼女にとって、あの塔は少し思い出深い場所になったかもしれない。


「嬢ちゃんたちは、もしかして、その、アレかい? 何だっけ? あのぉ……民俗学研究部ってやつなのかな?」


 運転手のオジサンが早乙女に訊く。

 もはや友だちのような気さくさだった。


「うん。そうだよ。何? オジサン、知ってるの?」


「知ってるも何も、鶯岬じゃ有名じゃないか。でもたしか民俗学研究部はここ数年で廃部になったって聞いたけど?」


「あぁ。今年めでたく復活したの」


「そうだったのか。でもあそこの元灯台って、何かヘンな電波を飛ばしてるってウワサがあるだろう? あれってホントなのかい? まぁ、もちろん答えたくないんならいいんだけどさ。オジサン、昔から興味があったんだ。なにしろオジサンが子どもの頃から鶯岬デンパ塔はかなり有名だったからね」


「電波なんか飛ばしてないよ。そんな機材、あそこにはない。あそこは単なる元灯台なんだ。隣の建物は資料館。郷土資料が図書館みたいにズラッて保管されてる」


「そうなのかぁ……うーん……でもなんか残念だなぁ。オジサン、謎の怪電波を飛ばしていてほしかったよ」


 オジサンが本当に残念そうに肩をすくめる。

 タクシーが赤信号に引っかかり、停止した。

 歩行者専用のカッコーサウンドが聞こえてくる。

 ヒマだったのか、早乙女がオジサンに身を乗り出した。


「ねぇ、オジサン。ギザミ山ってどうしてギザミ山っていうか、知ってる?」


「ん? 何だい、嬢ちゃん? ご当地クイズかい?」


「ふふふ。ねぇ、わかる?」


「わかるよ。九泉きゅうせんだろ?」


「お! すごい! さっすがタクシー屋! やっぱホンモノは違うね!」


「ははははは。嬢ちゃんみたいな若くて綺麗な女の子に褒められるなんて、オレも長いことタクシー運転手やってて良かったなぁ」


「なぁ、その九泉って何だ?」


 オレは早乙女に訊く。

 だがそれには運転手のオジサンが答えてくれた。


「九泉っていうのはね、九重ここのえにかさなった地の底、つまり黄泉、死者の世界のことなんだ」


「死者の世界……」


「ギザミ山には、あの世とこの世の出入り口があると言われている。鶯岬の者の魂はギザミ山から下りてきて、死んだらギザミ山に帰るんだ。だけどそんな恐れ多い場所をそのまま『キュウセン』って呼ぶのはなんだかバチが当たりそうだろう? だからたまたまこの近くでよく獲れる魚の名前をあてた。キュウセンって名前の魚がいるんだ。土地によってはギザミって呼ばれてる」


「く、詳しいですね、オジサン……」


「男は死ぬまで勉強だよ。おにいちゃんも頑張んな」


 信号が青になり、タクシーが走り出す。

 オレたちはあっという間にギザミ山のふもとに到着した。

 『ギザミ山入口』という案内標識の前で、オジサンがタクシーを止める。


「はい、到着。ホントにここでいいのかい?」


「うん。ここでいいよ」


 早乙女が答え、オジサンが頷く。


「そっか。じゃあ、えっと、料金は――」


「払わない」


「は?」


 オジサンが早乙女の言葉に絶句した。

 車内に漂っていたなごやかな空気が一転して不穏に変わる。

 オレは慌てて、堂々と腕を組んでいる早乙女に言った。


「ちょ、ちょっとお前、何言ってんだよ! す、すいません、運転手さん! 少々お待ちください!」


 オレはポケットからサイフを取り出し、持ち金とメーターを交互に見る。

 明らかに……足りなかった……。


「早乙女、お前な、タダ乗りはマジでマズいぞ。犯罪だよ、犯罪。すいません、運転手さん。もう少し待ってください。早乙女、ほら、金出せ。持ってるんだろ? そもそもお前がタクシーで行くって言ったんじゃねぇか。き、来生ちゃんも、その、いくらか持ってない?」


 オレの言葉に来生麻美がプルプルと首を振る。

 その時、早乙女が静かに口を開いた。


多米ため健司けんじさん」


 突然のその言葉に、オレと来生麻美は首をひねる。

 コ、コイツ、何だ?

 いきなり何を言っている?


 タメ・ケンジさん?

 誰だ、それ?


 この人はタメじゃなくて、ダメオヤジだろ?

 いやいや、ダメオヤジも違う!

 そんなの、いくらなんでもこの人に失礼すぎる!


 早乙女の意味不明な言動に戸惑いながら、オレはふとタクシー前部に見える乗務員証を見た。

 オジサンの顔写真。

 その下部に記された名前は――『多米健司』さんだった。


 えっと……つまりこのオジサンの名前が……多米健司さん……。


「多米さんって、人生の中でやり残してることがあるよね? アナタはそれをもう二度と取り返せないものだと思ってる。でも今日、アナタはそれをなんとかできるかもしれない。私はアナタがそれをやり遂げるためのお手伝いをしに来たんだ」


「嬢ちゃんが何を言ってるのか、オレにはさっぱりわからないんだが?」


「そういうのはもういいんだよ。まだ何も終わっていない。今日、そう、たった今から、すべてを終わらせるんだ」


「料金を払ってくれないかな? オレは早く戻って次の仕事を――」


「十年前、アナタは地元消防団として、ここで起こった土石流の救助にあたった。そして二人の幼い姉妹を探し出そうと必死になって捜索し、結局最後の一人を見つけ出すことができなかった」


 早乙女の言葉に、多米健司さんが顔色を変える。


「じょ、嬢ちゃん……キ、キミは……」


「さぁ、行くよ、多米さん。こんな時のためにいつもトランクにショベルを積んでるでしょ? 今度こそ、双子の残ったもう一人を探し出すんだ」


 早乙女が何かをオレに手渡し、勝手にタクシーを降りていく。

 それはこないだ見せてくれた、古い新聞記事のコピーだった。

 鶯岬時報。


 『鶯岬で記録的な大雨 姉妹が行方不明』


 その記事の下に載っている写真。

 泥だらけの男たちが必死の形相で土砂を掘り起こしている。

 オレは写真中央で必死に作業を続けている一人の男性の顔を見つめた。


 ……間違いない。

 それはたしかに――今より少し若い多米健司さんの姿だった。

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